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馬鹿


「本当に冗談じゃないよ、全く」

クオ・ヴァディスはこの上ないほどの失望感に苛まれていた。思い描いていた理想が高すぎたのか、それとも運がなかっただけなのか。 想像していたものとあまりにかけ離れた辛辣な現実に、彼は頭を抱えながら絶句していた。

辺りには多種多様のACがハンガーに掛けられ、いかにも整備士やレイヴンだと言わんばかりの人間で埋め尽くされている。 街のほぼ真ん中に建てられたドーム上のアリーナ施設。その脇に併設されたACの整備用ガレージの一角に彼らはいた。

自身のパソコンから印刷した収支結果の用紙を手に、呆れて物も言えないといった表情で、 彼はその場で棒立ちとなっている長身の二人――アッシュとロウを半ば軽蔑するような目つきで睨みつけている。

「はい、二人ともそこに正座ね」

三人の中では最年少であるクオだったが、ほとばしる怒気には年齢差など関係ない。 自分よりも年齢も身長も大きい二人を目の前にしても、彼はまったく動じる気配を見せてはいなかった。

人の行き交いが絶えず、喚きとも絶叫とも言えない大音響が途絶えないガレージ内でも、 大の男が二人、情けなく膝を床につけている様はさすがに目立つのか、通りかかる人々の興味の視線が彼らに突き刺さる。

「で、なんだよこの損害報告は!」

収入の欄に赤く記された文字を指差しながら、クオの口から周囲の喧騒すら打ち破ってしまうかのような怒号が飛ぶ。

全ては、大した知名度もないアッシュに転がり込んできた一つの依頼から始まる。 仕事内容もありきたりな破壊と制圧というふざけた内容だったが、何よりその成功報酬の大きさ、 そして、複数の契約が可能なことにアッシュやロウ、そしてクオを含めた三人の心は躍った。

まさに天から恵み。今までに例のない儲け話ではあったが、アリーナでの試合を事前に組んでいたクオは辞退せざるを得ず、 残る二人がその仕事を請け負うことになった。クオが不安を感じるようなことは何一つなかったはずだった。成功は約束されたようなものだった。こうしてクオは一人居残り、収支結果を楽しみに待っていたのだが、結果はあまりに無残だった。

「今回のはかなり良い稼ぎだっただろ? それが何でこんな赤字になってるんだよ?」

AC一体にMTが十数体。数としては多い部類ではない。むしろ普段通りの成果だ。 通常の報酬では修理費と弾薬費のみで大抵の儲けは消えてしまうが、今回の場合は違う。 普段と同じ出費でも、そこから差し引いた儲けは格段に良いはずだった。 しかし、両機ともに想像を遥かに超えた損傷を負い、修理費、弾薬費も大幅に増大。そして赤字という最悪の結末を迎えてしまった。

「い、いや、それはだな……」

クオの疑問にアッシュが言葉を濁す。その視線は決して彼を見つめようとはせず、 まるで安息の場所でも求めているかのようにあちこちへと動き回り、一目で動揺していることがわかった。

「この馬鹿がいきなり自分の役回り変えてどっか行きやがったんだ。それで俺が代わりにACとやる羽目になってだな」

落ち着きのないそんな彼を見かねたのか、ロウが代わりに口を開いた。 「ば、馬鹿! そんなんじゃねえ!」とすかさずアッシュがそれに反論し「違わねえよ!」とさらにロウが重ねる。 責任の擦り付け合い。この期に及んでまだそんな愚行を犯す彼らに、クオの苛立ちはさらに募る。

「はいはい。お前らの言ってることはよくわかった。それでこれだけの損害なわけだね」

燃えるような憤激を瞳に込めてクオはその言い争いに介入した。殴り合いに発展しそうだった二人も、 クオのその強烈な瞳を見た瞬間に萎縮し、振り上げた拳を下ろすしかなくなる。悪魔じみた能面がそんな二人を睥睨し、

「んで、アッシュ?」

怒気を限りなく噛み殺した表情のまま、クオはまずアッシュに視線を送った。

「お前、自分から『俺のACはタイマン専用だ』って言ってたよね。そんな機体で集団戦? 何だよ、それ。急に自殺願望とか出てきたわけ?」
「……すんません」

言葉で追求されればアッシュには立つ瀬がない。それがクオであるならばなおさらだった。 肩を落とし、大人しく非を詫びるしか彼に残された道はなかった。

「で、いつも以上に無駄撃ちしまくって、弾貰いまくった結果がこれなわけね」

だが、その言葉を境に今の今まで逸らされていたアッシュの瞳が不意にクオを見つめ返してくる。

「ん? 何か言いたいことでもあるの?」
「無駄撃ちは認めるさ。けどよ、俺なんかよりロウの方が最悪だぜ? 俺に向かってマジで撃ってくるんだからな」
「……どういうことだよ、兄貴?」

話の大筋が理解できないクオは、眉を潜めながら今度はロウの方向に目を動かした。 アッシュと同じように彼から視線を逸らす様を見てクオは失望を隠せない。実の兄にしてはあまりにも情けないからだ。

「まあ、一度ぶっ飛ばしてやろうかなと思って、だな……」

彼はアッシュを指差しながら、強い口調でそう言った。アッシュは当然反論の弁を吐き捨てようとするが、クオは目で制してそれを阻む。

「……へえ。で、アッシュを撃ったわけだ。それでこんなに弾薬費が高くなってるんだ。なるほどね」

そこまで聞いたクオは、ようやく腑に落ちなかった点の大半を自己解決させた。

「そうそう。半分以上が俺に向かってだぜ? 俺の機体の修理費がかさんだ原因がこれだ」

何故だか、その光景がいとも簡単に想像できてしまう自分自身にクオは少し絶望した。 そして想像できるが故に、どうしようもないほど腹が立ってくるのもまた事実であった。実際にその場にいなくても大体は予想できる。

「あ? 何言ってやがるんだてめえ。もとはお前が余計なことしなければだな」

再び勃発した責任転嫁に耳を傾けていても、クオには彼らが本気で怒鳴り散らしてなどいないことがすぐにわかった。 どう考えても、彼らは商売道具であるACを喧嘩の材料かなにかと勘違いしているとしか思えない。

「それでも撃つことはないだろうが! AC降りたら降りたでいきなり殴りかかってきやがるし!」
「殴るってあらかじめ言ってただろうが!」

笑顔の代わりに罵声を浴びせかけ、歓声の代わりに悲鳴を上げる。やっていることは度を遥かに超えているが、 根本は子どもの水遊びと何ら変わりない。唯一違うことは、その遊びに使う道具の値段が半端ではないことだ。

にもかかわらず、二人は後先も考えずにそこで己の欲が満たされるまで暴れ続けていた。 生活費の一部となる筈であった報酬を、そんな陳腐な争いでどぶに捨てていったのだ。クオはそれが何より許せない。

「何ならここで決着つけてやろうか。今度こそてめえの腹に風穴あけてやる」
「ああ、やってやろうじゃねえか! てめえの指全部砕いて、二度と包丁握れなくしてやる!」
「それだけは許さねえ! 俺は死んでもいいが、俺の指だけは殺させねえ。だから代わりにお前が死ね!」

積もりに積もった苛立ちももう抑えられそうになかった。しかし彼の目の前では、未だに自分たちの愚行を自覚すらせず、 ただただ責任を擦り付け合うばかりの不毛な争いが続いている。もう駄目だ。すっと目を閉じクオは我慢することをやめる。 そうして緊張の糸を自らの手で引きちぎった彼は、そのまま勢い良く息を吸い込んでから、
「うるさいっ!」

周囲の人間が皆一様に視線を送ってしまうほどの激昂を二人に叩きつけていた。 二人の身体がまるで魚のようにびくりと跳ね、クオの禍々しい表情に慄いたのか、そのまま氷のように固くなってしまった。

「俺らには金がないの金が! 誰が悪いとかそんなのどうでもいいんだよ! そんなものより金、金、金だ! 二人ともわかってるよな?」

二人がほぼ同時に首を縦に振る。と言うより振らされていると言ったほうが正確だ。

「二人とも絶対俺の収入だけで生活できると思ってるだろ?」

今度は横に首が動く。これまで幾度となく同じ問いをしてきたクオだったが、今回ばかりはさすがに腹の虫が収まらない。

「いいよいいよ、そんなに餓死したいならどうぞご自由に。二人が暴れてる間に俺はどっかに消えるから、二人は勝手に仲良く死んでくれ」

突き放すように言い放ち、クオは彼らから視線を外す。本当にどうしてこんなことになってしまったのか。 明確な目標を掲げて動き始めた数年前の出来事をふと思い出し、そこまでの軌跡を彼はふと頭で思い浮かべた。

これでも三人ともれっきとしたレイヴン。三人が三人きちんと真面目に働けば、常人とは比較にならないほどの富や名声を掴める筈だった。 だが、どこでどう間違ってしまったのか。大した稼ぎ手でもないのに、支出ばかりを増やして家系を火の車にする馬鹿二人に、 いつのまにか翻弄され、いつしかクオは好きでもないアリーナに参加したり、やりたくもない高難度の依頼に飛び込んで行くようになった。

そうしなければならなかったから生きていけなかったから。タイプは微妙に違えどアッシュもロウも猪突猛進さを絵に描いたような性格だ。 退屈を何より嫌い、刺激ばかりを追い求めようとするアッシュに、実の兄ではあるが、料理のことしか頭にない単純馬鹿のロウ。 彼らの手綱を握る役回りが自然とクオに回ってくるのは必然であり、彼自身もまたそれを自覚していた。

二人の扱いに手を焼きながらも、彼が数年を費やしてその合間にコツコツと溜めた金は、今ではAC三体がまるごと買えるだけの財に増えた。 しかしそれでもまだ足りない。レイヴンを志したあの時に夢見た富や名声にはまるで足りなかった。

全ては三人で名を上げるため。世界中に名前を轟かせて名声を得る。そしてこの二人をどうにか矯正し、 安定した収入を取り戻すこと。それが今のクオの目指す目標であり理想。ではあるのだが未だにそれが身を結んだことはない。

「まあ、この話は後々じっくり説教するとしてだ。実はもう一個あるんだよ。大事な話がさ」

過去の想いをすっと消し去り、クオは再び視線を二人に戻して口を開いた。燃え上がっていた怒りを一旦奥へと隠し、 彼はポケットに忍ばせておいた一枚の用紙を手に取り、彼らの正面でかざして見せた。

「なあ兄貴。こんな紙があるんだけど、これってどういうこと?」
「ああ、それか」

怯えさえ見せていたロウの表情が急にぱっと明るくなり、普段の彼が戻ってきたことをクオに知らせる。

「ちょっと前にな。知らないおっさんに勧められたんだよ。AC担いで各地を転々するならとっておきの車があるってな」
「車? 何それ?」

契約書の一部だと思われるその用紙には、見たこともない型番とそして聞いたこともない人物の名前が殴り書きにされていた。 言葉にし難い妙な寒気を背筋で感じつつ、クオは恐る恐るロウの言葉を待つことにする。

「ACも積み込めるだけのコンテナが付いたキャンピングカーだ。企業から買い取った輸送車を改造して作ったものらしい。さすがに整備までは無理かもしれないが、これで滞在費云々は気にしないで済む。どうだ結構良い話だろ?」
「おお、すげえ! ってことはあれか? あの大陸縦断とかできるようになるのか?」
「そうそう。それだそれ」

今まで蚊帳の外に置かれていたアッシュがそこでようやく事態を把握したらしく、子どものような歓声を上げる。 ロウの発言で変な想像でもしているのだろう。「マジですげえ!」と叫ぶ彼の表情は、何とも言えない愉悦で歪んでいた。

「……あ、あのさ兄貴。それでその謎のおっさんに勧められたその車って、まさか買ったの?」
「ああ、もちろんだ」

誰がどう見ても、どこかの悪徳セールスにでも引っかかったとしか思えない。どこの誰がそんな輸送車など使うと言うのだ。 ACを乗せるということは全長や全高は恐ろしく高くなる。当然、それだけの長さを動かす燃料費だって馬鹿にならない。 第一、そんな巨大な車で走れば絶対に目立つ。まさにどうぞ襲ってくださいと言わんばかりの愚行としか言えないではないか。

さらに市販されているキャンピングカーのエンジンで、AC三体分を搭載したコンテナを牽引することなどできるのか? まず無理だ。どうにか走れる程度にまで体裁を取り繕うだけでも、相当量の資金が必要になるのは明らかだった。

素人目で見てもそれだけの疑問点が出て来るのだ。それをロウは悩むことなく買ったのだと言う。 大方その男の話術に引っかかり、隣で呆けているアッシュのような状態にされて無理矢理押し包められたのであろう。

ロウの性格が単純だとはクオも思っていたが、ここまで鈍感だとはさすがの彼でも予想できなかった。 クオの中で彼への評価が大暴落していることなどいざ知らず、勝ち誇った表情でロウはさらに続ける。

「聞いて驚け。普通なら軽く五百はする代物らしいんだが、俺には特別なものを感じるとかなんとかで、なんと三百にまで値下げしてくれたんだよ」

胸を張り、背筋をピンと伸ばして彼がさらに言葉を重ねる。さきほどとはまるで違う自信に満ち溢れた表情だったが、 間違いなく良い金づるにされたであろうそんな哀れな男を目の前にしても、クオはもう呆れることしかできない。

「……よくそんな金あったね」

しかし、それだけの額を隠し持っていたロウがクオには意外ではあった。 既に存在しなくなったとは言え、やはりやるべきことはしっかりとしていてくれていたのか。 柄にもなく純粋に感心してしまったクオだったが、それを聞いたロウは何故か怪訝な表情で彼を見つめ返していた。

「何言ってるんだ。お前の口座からに決まってるだろ。俺がそんな大金持ってないのはお前もよくわかってるじゃないか」
「へ?」

一瞬、彼が何を言っているのか全く理解できなかった。クオが理解したいと思っても、 身体の奥で何かがそれを必死で阻止しようとしてくる。加えて身体の動きも途端に悪くなり、 全身が熱を帯びたように熱くなる。掌には湿った汗がべとりと滲み出ていたが、クオにはまだ意味が理解できなかった。

「まあ、何も言わなかったのは謝るよ。とりあえずいきなり見せて驚かせてやろうと思ってな。弟のために用意した兄貴のちょっとしたプレゼントみたいなものだ」

微笑みながらロウがクオの肩をポンポンと叩く。そこでクオはようやく事態の全てを把握した。

「……すごい、すごいよ兄貴! わざわざそんなことまでしてくれるなんて俺とても嬉しいよ。さすが俺の自慢の兄貴だ!」 「だろだろ?」


自然とクオの口から歓喜に塗れた言葉が漏れていた。ロウもその言葉に満足したのか、 喜悦で顔を綻ばせながら、己の計画の成功を祝っているように見えた。もちろんクオの言葉は全て嘘だ。

「ねえ、アッシュ。ちょっとちょっと」

そんな彼を横目に、クオは一部始終を見ていたアッシュを手招きしながら呼び出す。 不思議そうな表情を浮かべながらもそれに従ったアッシュとクオはロウ距離を出来る限り離した場所で止まった。

そしてクオは唐突にアッシュのジャケットを翻し、彼の腰や背中、はたまたジャケットの内ポケットなどを執拗にまさぐり始めた。 目的のものがそこにないとわかると、今度はしゃがみこんでズボンの裾からポケットまで念入りに調べていく。

「……何やってるんだ、クオ?」

さながら身体検査のように身体を探られるアッシュは当然のようにわけがわからないといった表情で聞く。

「あれ? アッシュ、いつも持ってる拳銃は?」
「部屋に置いてあるけど」
「じゃああのナイフは?」
「それも置いてきた」

思わずクオの口から舌打ちが零れていた。アッシュもさすがに困惑を隠すことができずに、

「一体何に使う気なんだよ?」

と真剣な面持ちで問い返してくる。

「いや、あいつマジで殺そうかなと思って」
「な……」

クオの宣言にアッシュの表情が驚愕に染まる。だが特に驚くことでもない。 大事に取っておいた大金を無断で、しかもこのように無駄に使われれば誰でもキレる。

頭に思い浮かべていた様々な予定が粉々に砕け散り、この先の未来が闇に染まってしまったような感覚。 唯一の拠りどころを奪われたその激憤は、もはや地獄の業火にもひけを取らないほどにクオの中で猛り狂っていた。

「あ、でもその辺の鉄パイプとかでも十分だよね? 思いっきり後頭部でも叩いたらさすがにあの馬鹿も死ぬでしょ?」

今なら躊躇なく殺せる。後で多少なり後悔するかもしれないが、そんなことはどうでもいい。 何かが頭の中でぷつりと切れ、清々しさすら感じることのできる今なら何でもできる。 子どものころから親のように育ててきてくれた実の兄貴? そんな奴は知らない。

「真顔でとんでないこと言うなって。お前の冗談は冗談に聞こえないんだから」

真剣な目つきで周囲を物色し、利用できるものを見定めようとするクオに向かって、 単なる冗談としか思っていないといった様子のアッシュが制止を求めるが、

「俺は本気だって。実の兄貴じゃなかったらとっくの昔に殺してるよ。けど今日はもう限界。だから殺す」

そんなものは寝耳に水だと言わんばかりにクオの行動は止まらない。 そして丁度良い長さの角材を目に留めると、彼は躊躇いなくそこに向かって一直線に歩き出そうとしていた。

「ま、待て待て! 早まるな、まずは落ち着け。な、な? とにかく落ち着け。まずは深呼吸だ深呼吸。大きく吸ってゆっくり吐く。オッケー?」

ようやく事態を把握したアッシュは、クオの肩を強く掴み動きを封じそして腰を屈めて彼とまず目線を合わせた。 真正面にアッシュの顔が迫ったその迫力に押されたのか、仕方ないと言った様子で彼は渋々アッシュの指示に従い、 息を大きく吸い込んでいく。数秒後、すぅという音とともにそれはゆっくりと吐き出された。

「どうだ? 少しは落ち着いただろ?」
「無理」

アッシュの精一杯の努力を易々と踏み潰し、彼を押しのけたクオは再び角材のもとへと歩み寄る。 その後数回に渡ってアッシュの説得は続いたが、結果的にはいずれも失敗に終わった。

事態がようやく沈静化したのは、クオが狂気に満ちた表情でロウ目掛けて角材を振り回していたのを、 その異常さに気づいた整備士の数人が彼を取り押さえたところで終結した。結局、クオの鬼気迫る怨念の意図をロウが理解することはなかった。



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