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疑惑


今日は調子が良い。全身から迸る覇気がアッシュにそれを教えてくれた。 機体の状態、状況、そして何よりこの高揚感。地獄のような退屈の日々が、いつも以上に力を与えてくれているような気がした。

二機のACが荒野を駆ける。足元からは猛烈な土煙が巻き起こり、大気を鳴動させる姿は、 まさしくACが世界最強の兵器と謳われる所以と言えるほどの威厳を示していた。

「こら、アッシュ! てめえ、先に行きすぎだ」

せっかくの高揚が削がれてしまうのではないか。ロウの通信に舌を打ったアッシュは、

「お、悪い悪い」

と言いつつも、顔を歪める。

「ったく、子どもじゃねえんだからしっかりしろって」
「だから、悪いって言ってるだろうが」

ロウの言葉一つ一つがアッシュの癪に障る。親のような言動は実に鬱陶しい。 昔なら誰にも邪魔されることなく神経を研ぎ澄ませることができた。仕事の成功率ですら、一人でやったほうがマシなときもある。だが、彼はその鬱陶しい人間とともにいる。一匹狼でいることよりも、こんな連中とともにいることを選んだ。

「言っとくが、前みたいな真似しやがったらマジで殺すからな」
「へいへい。あの子に良いところ見せたいんだよな。わかってます、わかってますよ」
「ならいい」

カラドヴルフは速度を落とし、後方から追随していたファフニールと肩を並べる。 横目で見える紅い装甲を睨みつけながら、アッシュは「……どうせ無駄だけどな」と口元を緩ませて罵った。

「何か言ったか?」
「何も。がんばれって言ったんだよ」

どうせ今回も敗北で決まりだ。すでに何十回と同じ結末を見てきたアッシュには、未来の映像が容易に想像できる。 夢が散ったときに現れる、あの絶望と失望が凝り固まった表情。思い出しただけでも笑いが止まらない。 ただ、いつもは冗談半分で言う彼も、何故か今回ばかりは真にロウが失敗することを望んでいた。

「そうか。俺には『どうせ無駄だけどな』って聞こえたんだが?」
「げ」
「後で覚えとけよ」

以前に食らいかけた左ストレートが脳裏に浮かび、アッシュは思わず身震いを起こす。 問答無用で殴りかかってくるのがロウという男だ。今回もきっと躊躇なく踏み込んでくるに違いなかった。

だが、所詮は元素人の拳。今はレイヴンとは言え、それ以前から争いの最前線にいた自分とはまるで違う。 避けようと思えばいくらでもできるし、逆に返り討ちにすることも容易い。けれどもアッシュはしない。する気もない。

初めて彼ら兄弟と接触したとき、アッシュは二人を殺すつもりだった。そういう依頼を受けていた。 だが、今の彼はこうして彼らと肩を並べている。アッシュは負けたのだ。それも完膚なきまでに叩きのめされた。

依頼元は、正規の斡旋業者ではなく、裏社会にはびこる闇企業。 失敗は彼らの存在を世に知らしめることと同義なため、任務失敗は例外なく口封じの対象とされる。

だがそんな彼を、二人は迎え入れてくれた。抹殺に来た連中を返り討ちにし、彼に新しい居場所まで与えてくれた。 「この馬鹿兄貴を押さえつけるには、もう俺だけじゃ力不足すぎる」クオのなんともくだらない誘い文句に、笑いが抑え切れなかったことは、今でものアッシュの記憶にある。

「おーい、アッシュ。聞こえてるか。おい?」

ロウの怒りを含んだ応答が、回想に心を奪われていた彼を目覚めさせる。

「え? あ、ああ。聞こえてる、聞こえてる」
「そろそろだ。気抜いてんじゃねえぞ」
らしくない。自分でもそう思う。いつから自分は懐かしさなど感じるようになってしまったのか。 思い出など馬鹿馬鹿しい。今はそう自嘲することもできなくなっていた。そんな自分自身が彼は嫌いだった。

「そうだな」

すでに二機のACは、肉眼でも十分確認ができるまでに街に近づいていた。 そろそろ敵がこちらの動きを捉え、不意打ちの一つや二つを仕掛けてきても良い間合い。 操縦桿を握る力を一層強めた彼はただひたすらにそれを待った。

「……なあ、襲撃されてる割には特に火の手とか上がってないよな?」
「だな」

だが、ディスプレイに表示されている街の外観は至って平和そのもの。そこで敵が傍若無人に振舞っている様子はない。 爆発一つ見えないというのはどういうことだ? 敵はどこだ? アッシュの頭上に、いくつもの疑問符が立った。

「そういうことなのか」

消え入りそうな口調が、不意にアッシュの下に潜り込んでくる。

「ん、なんか言ったかロウ?」
「いや、何でもない」

嘘だ。いつもはだらしがなく節操のないロウだが、物事の洞察に関してだけは彼のほうがクオよりも頼りになる。 普段の飄々とした彼と、少し神経質なきらいのあるクオだと、その比較は難しく思われるが、 いざ、ロウがACに乗ればその差は顕著に表れてくる。ここまで変わるのかと以前のアッシュもそれを痛感させられた。

彼がロウの意図を探ろうとしたまさにその時だった。待ち望んでいた警告音が耳に突き刺さり、 アッシュはその音響の正体を探り始める。発しかけたものは唾液とともに喉に流した。

「ようやく敵さんのお出ましだぜ、ロウ」

ようやくの敵だというのに、アッシュの気分は晴れ晴れとしない。これでは調子の良さもどこかへ行ってしまいそうだ。 敵の展開があまりに遅すぎる。二体のACはすでに彼らの懐に入り込んでいると言うのに。 火の手すら上がっていない街並みに、およそプロとは言い難い敵の行動パターン。アッシュの疑念はさらに募っていく。

「なあアッシュ。お前、先に行けよ」

疑心暗鬼にとらわれていく彼の前に、不意にロウから意外な言葉が飛んできた。

「あ? 何で?」

その提案にアッシュがさらなる訝しげな表情を浮かべた。

「さっさと終わらせたいんだよ。こいつらは俺がやるから、お前は街中の敵を頼む」
「……いいのか?」

彼の脳裏には、以前彼が起こした独断先行の映像が頭に染みついていた。 あれほど注意を促していたロウ自身からこんな指示を受けることか、アッシュには意外でならない。

「俺のACじゃ余計なもんまで壊してしまうからな。お前の方がまだマシってことだ」

経験からくる咄嗟の反応。つまりは本能のみで戦っているアッシュにとっては、論理的に考えて動くことほど苦手なものはない。 役割分担から言えば、考えるのは主にロウかクオと相場が決まっている。自分はただそれに従って動くのみ。 今回もそれは変わらない。ロウが行けと言うのならば、もう他に選択肢はない。

「なるほどね。わざわざ美味しい部分を譲ってくれるわけか。ハハ、そりゃいいぜ」
「言っとくが、無駄弾厳禁だからな」
「わかってる。わかってる」

街中に潜む不特定多数の敵。弾数消費を制限され、かつ建造物という障害が幾重にも立ち並ぶ厄介な戦場。 展開としては最高だ。これほど心が騒ぐシチュエーションが他にあったのだろうか。トリガーを握る手にも力が入る。

こんな最高の舞台に、これまた最高の調子で臨める機会など、もう二度と訪れないかもしれない。 だからこそ後悔など一切残さず最善を尽くす。ただその想いだけがアッシュを前へ前へと突き動かす。

そしてカラドヴルフの背部が突如として開き、周辺の大気が収束していく。 過剰に集められたエネルギーは、幻想的な紫の光となってその蒼と白で彩られた機体を囲んでいた。

「んじゃお先に行ってきまーす」

高らかに宣言した刹那、この世のものとは思えない衝撃と全身を押し潰すかのような圧力が、彼の身体に襲い掛かる。 その代償の下に差し出されたのは、音速にすら匹敵してしまうかのような圧倒的な速度。

当然、パイロットの負担も尋常なものではなく、あれほど饒舌だったアッシュの口が固く閉ざされていた。 それも当たり前のこと。下手に口を開けようものならその瞬間に舌を噛む。

視界も薄れてはいたが、猛烈な重力にさらされながらも、彼は意識だけは保っていた。 微かに視界に映るのは二つの敵影。形状から見て瞬時にMTと断定する。彼らとの距離は急速に縮まっていく。

そのまま意識を失いでもすれば、正面衝突はまず避けられない。 これだけの速度で衝突するのだ。互いが粉微塵となるのは誰が見ても明らかだろう。 一秒未満の時間で事態を把握したアッシュは、操縦桿をわずかに傾けて街への侵入口を探す。

ちょうどそのころ、ようやくMTからの迎撃が始まろうとしていた。 だがその銃口が輝こうとした刹那、カラドヴルフはすんでのタイミングで彼らの脇を颯爽とすり抜けていった。 ACが入れそうな舗道を目で捉えると、蒼白の機体はそのままその隙間へと滑り込み、加速を維持したまま街の中へと入り込んでいく。

舗装された道路はACの重量に耐え切れなかったのか、機体が通り過ぎた後の道路は無残に引き剥がされていった。 高速で動いたことにより発生した衝撃波が周囲の建物にも降りかかり、 壁面の破片やガラス片がまるで豪雨のように荒れ果てた地面に降り注いでいく。

街の中心部にまで近づいたころ、レーダーにようやくの反応が見られた。三つほど先の交差点で、敵が息を殺して待ち構えている。 このまま行けば交差点内で挟まれ、袋叩きにされるのがオチか。衝撃に耐えるだけで精一杯の彼だったが、 どうにか他に意識を傾けられるだけの余剰を搾り出し、最低限の状況把握を行う。

ほぼ同時期に、カラドヴルフに貯蓄されていたエネルギーが底を尽きかけ、警告音が鳴っていた。 すかさずカラドヴルフは、ボタンを叩いてエネルギーの放出をカット。 ブースターの類を用いず、ただ惰性のみで機体を動かして、彼はその交差点に躍り出ていた。

「ども。こんちわ」

緊張感の欠片もない声音とともにまず一発。カラドヴルフに握られていたグレネードランチャーが唐突に火を吹いた。 吐き出された榴弾は炎を纏いつつ、ビルの一角に命中しそして爆発。 爆風で支柱の何本かが破壊されたのか、抉られた大穴から徐々にヒビが入り、支えを失った部分が地面目掛けて落ちていく。

大質量の残骸が地面に激突し、篭もった重低音があたり一面にその咆哮を響かせた。 同時に、大量の粉塵が空中に舞い上がり、周囲の視界を奪う。

レーダーを逐一目に焼きつけながら、舞い上がる粉塵に紛れてカラドヴルフは移動を開始。 比較的大きな街なのか。ビルとビルとの間隔はACが通り抜けるには十分の大きさだった。

黄土色の砂埃からようやく解放されたころ、その蒼白の機体はいつしか敵の一体の後ろに回り込み、挙動の自由を奪っていた。 その間、敵の銃撃は一切なし。やはり何かがおかしい。奇妙なことばかりなのは相変わらずだが、 逆にエネルギーの回復には、まさに最適とも言える時間帯ではあった。

十分すぎるほどのエネルギーを生産し、本来の動きを取り戻したカラドヴルフに、視界を取り戻した敵が銃撃を仕掛けてくる。 だが面白いことにそれはカラドヴルフが押さえ込んでいたMTに突き刺さり、味方であるはずの敵に見事なまでの銃創を刻んだ。

「動くなよ? 動けばこいつがどうなるかわかってるよな?」

右腕のグレネードランチャーをすっと相手の背中越しに添え、半ば脅迫のように残ったMTを脅し始める。

とてもプロとは見えない行動の数々。明らかに彼らは場数を踏んでいない。 MTを操るだけの能力はどうにかあるようだが、それでもレイヴンという観点から見れば、 間違いなく不合格という三行半を突きつけられるだろう。同士討ちを起こしかけた眼前の敵はまさにそれだ。

味方を盾にした敵を相手に戦えるのか? 単純な常識すらも知らないド素人が味方を無視してまで敵を屠りにかかるか? ありえない。精々、額に汗でも浮かべて震えるのが関の山だろう。案の定、敵は人質にされたMTの中身でも気にしているのか、 アッシュの脅しにも迷う素振りすら見せずに応じ、カラドヴルフに向けていた銃口をあっさりと降ろしていた。

「そうそう。そのまま大人しく武装解除して、さっさとMTから降りろ」

珍しいこともあるものだ。咄嗟に思いついて実行したはいいが、やはり効率が悪い。 人質を取って脅すなど、本来ACがやるべき行為ではないだろう。 弾薬費さえ制限されていなければ、彼はとっくの昔に両機とも破壊している。

そしてMTからパイロットがのっそりと現れ、こちらに警戒心を剥き出しにしながらも、手際良くコクピットから離れていく。 目の前のMTがもう動かないことを悟ったアッシュは、

「あとは……」

そう漏らしながら、動きを封じているもう一機の処理について考え始めた。 破壊するのは実に簡単だ。ここでもやはり弾薬費の問題が出てくる。 節約を義務づけられているため、一撃、あるいはそれに近い弾数で敵を屠らなければならないのだ。

一撃もしくはそれに近い弾数で敵を行動不能にするためには、装甲が集中しているコア付近を狙うのは得策とは言えない。 カラドヴルフに両腕に搭載されている小型グレネードライフルでは、コアを一撃で撃ち貫くだけの火力は望めない。

両肩の垂直降下型のミサイルポッドなら、直撃さえすれば一撃で破壊することも十分可能だが、 建造物に囲まれた街や一撃に対するコスト面の問題から、こちらも効率が悪い。

ならばと、彼はトリガーを引く。その狙いは敵の膝裏に向けられていた。

「悪いが、あんたもそこで寝ててくれよ」

正面から撃ち合うことを前提としている兵器ならば、比較的その背後の装甲は正面と比べて遥かに薄い。 それを経験上知っていたアッシュは、MTの脚部、人で言うふくらはぎの部分が爆発とともに砕けていく光景を眺めて満足げな表情を見せる。

レーダーにはまだ多くの反応がある。と先程まで映っていたはずの反応が二つ消えていた。 首を傾げながら不思議に思った直後、反応がさらにもう二つ消失する。それがロウのファフニールであることは確認するまでもない。

黙して動かなくなった二つのMTに別れを告げ、カラドヴルフはさらなる獲物を求めて地を蹴った。 重力からの束縛を振りほどいて上空へと舞い上がったアッシュだったが、次の瞬間、思わぬ位置からの銃撃が彼の機体を襲った。 四方からの迎撃に見舞われ、手厚い歓迎を一手に受けたカラドヴルフは、やむを得ず再び地に足をつけるしかなかった。

「な、何だよこれ! どこから撃ってきやがる!」

薄々感じてはいたことだが、おかしいのは敵だけではない、この街自体もどこかおかしかった。 建物で大まかな視界が狭まれていたため確証が得られなかったが、 今こうして防衛策として置かれた迎撃機銃に、救援に来たはずの自分が攻撃されている。

奇妙な点はまだある。まず住民の避難が完璧であったこと。そして街の外観を守るためなのか、 都合よく容易された防護壁も、建物の壁や道の中に幾重にも容易されていた。 極めつけは街の中に等間隔に仕掛けられている迎撃用機銃が、一切壊されることなく残存していることだ。

仕方なく彼は地面を這いつつ進むことを決めた。幸い、敵の戦力自体は大したものではない。 先程の一戦で大体の要領を掴んだのか。アッシュの挙動はさらなる効率性を求めるようになっていた。敵陣へ突っ込み、背後を突く。可能であれば敵をも自らの盾とし、そして最後に脚部を破壊して離脱する。

必要最低限の動きと最小限の弾薬。必然的に殺傷という概念が意識から消えることになったが、特に気にするところではない。 今はただ、市街戦という舞台が楽しめればそれでいい。それが仕事の成功にも繋がるのだからなおさらだった。

「さてと、残るはあんた一機だぜ?」

アッシュは最後の一機となったMTに向けて告げる。

「もう盾にする奴いなくなっちまったから、あんただけは普通に殺っていい?」

ふざけるな。相手のパイロットからはそう言った類の怒号が飛んでくる。 まだ相手も諦めたわけではないらしい。放たれたマシンガンはきちんとカラドヴルフのコア一点を狙いすましていた。

「おお、すげえすげえ。少しはやるじゃん。その調子だ。もっと楽しませろよ!」

敵の気合に呼応するかのようにアッシュの士気も上がっていく。 大通りを踏み散らしながら突っ込んでくるMTを尻目に、背部のブーストが雄叫びを上げ襲い掛かる火線を巧みに避ける。

「さてと――」

何を思ったのか、カラドヴルフの動きが止まる。ピタリと挙動を停止し、黙したまま動こうとしない。 脇道に隠れるわけでもなく、ただ無防備な姿を晒し直立不動で動かなくなった蒼白のACに、 MTの両腕が先程までの威勢をそのまま物語っているような激しい弾幕を想像していた。

より濃密な弾丸を見舞おうとしているのか、MTの速度が徐々に増し、動きを止めたカラドヴルフとの距離があっという間に縮まっていく。

「ロウ、最後の締めはやるよ」

火線の命中率がそろそろ無視できない範囲に達したその瞬間、カッと目を見開いたアッシュが、スピーカーに向けて叫んでいた。 その咆哮に呼応するかのように、隣のビルの壁面から紅く輝く刃先が飛び出し、 まるで計算されていたかの如き精密さで、その閃光はMTの脇腹をまっすぐに射抜いていた。

運良く動力部には損傷はなかったようで、派手な爆発もなく、 そのMTは力なく動きを止めただけに留まり、これまでの機体同様、崩れ落ちる。

「すげえ。タイミング完璧じゃねえか。さすがさすが」

ファフニールがすでに当初の仕事を終え、街に入り込んでいるのはレーダーで確認が取れていた。 と言っても自分は用済みとでも思っていたのか、彼からの援護は一切寄越されることはなかったわけだが。

だからこそ、アッシュは咄嗟に思いついた行動を実行に移した。 ビル一棟を隔てた先で傍観しているだけの怠け者を叩き起こして働かせる。その思惑はこうして見事に果たされた。

「てめえ、いきなり俺に振るんじゃねえよ! マジでビビったじゃねえか!」
「弾を節約しろって言ったのはロウだろ? 良いもの付いてるんだから使わねえとな」

さながら子どものように無邪気に笑うその顔に、反省の色は窺えない。

「……咄嗟に思いつけたから良かったが、俺が失敗してたらどうするつもりだったんだ?」
「ないない。あんたに限ってそれは絶対にない。こう見えてもあんたのことは結構信頼してるんだぜ、俺は」

戦闘中限定だけどな。と内心でそう付け加えた。だが、咄嗟の判断には定評があるロウも、 アッシュからしてみれば、まだまだ詰めが甘いところがある。

現にファフニールの体躯には無視できない弾痕がいくつも存在していた。 相手は素人も同然だ。にもかかわらず必要以上に損傷を被っているこの機体は何なのか。

「それよりもだ」

磨き続ければ必ず美麗な宝石となる原石を、そのまま石ころとして処理するようなものだ。 そんな感情を伏せながらアッシュは、苛立ちを含んだ口調でロウに問う。

「何なんだよ、この依頼は? どこもかしこもおかしなことだらけだ。あの子の話と全然違うぞ」

転がったMTの残骸を指したと同時に語気を強めたのに対し、問い詰められたロウは、

「ああ、それか。だってあれデタラメだからな」

ひどく落ち着いた返答をし、アッシュを唖然とさせた。

「……何だって?」
「そこのMTを見てみろよ。機体の脇についてる絵柄だ」

言われるがままに、彼はカラドヴルフの視線を先程屠ったMTに向ける。目標箇所を指定し、その部分だけを拡大すると、 確かに絵柄のようなものが見える。解像度の限界か、正確な文字までは読み取ることができなかったが、 それでもレイヴンが用いているエンブレムのような絵柄が装甲の脇に張り付いていた。

「これは?」
「この街の警備部隊のエンブレムだそうだ。中の人間に脅しをかけて直接聞いたからまず間違いない」

戦闘中ずっと引っかかっていた違和感の正体がようやくわかった。 だが揺らいでいた気持ちがそれだけで解決するはずもなく、さらなる猜疑心と混乱がアッシュの心に植えつけられていく。

「わかったか? こいつら全員、ただのガードだぜ? レイヴンでもなければ、ましてやテロリストでもない。面接やら何やらで寄せ集めただけのアマチュアだよ」

彼女は確かに助けてくれと言った。あの必死に訴えるような眼差しは忘れられない。ずっと脳裏に残っている。 しかし、そんな彼女が彼らに託した願いと、この現実は決して交わろうとしない。まるで真逆ではないか。

「お、おい。じゃあ最初からテロリストなんかいなかったってことか?」

アッシュが聞く。搾り出すようにして吐き出した言葉もどこか力がない。 すでに全ての解答を所持しているであろうロウは、冷静沈着な口調を一切崩すことなく応じた。

「何言ってるんだよ。いるじゃないか。ここに」
「どこに?」
「だからここだって」

意味がわからない。敵がここにいる? そんな馬鹿な。ここにはアッシュとロウしかいない。 敵であった存在はもうとっくに地に伏している。それなのに敵がここにいるとはどういうことなのか。

「俺とお前」
「は?」
「彼女の言ってた街を襲ったテロリストってのは俺たちのことだ。お前だってしっかりと襲っただろ?」
「嘘だろ?」

まさか。そう口走ろうとした瞬間、冷たい汗が頬を流れた。認めたくない真実に、身体が拒否反応を示しているのか。 あの記憶から離れない彼女の悲痛な表情が無残に崩れ去り、代わりに別の何かがその中で蠢いている。

レーダーに映る敵の識別信号はまだ残っている。だが彼らはもうそれを処理しようとはしない。 残っているのは街に置かれた例の迎撃機銃のみだからだ。射角の問題なのか、今いる箇所には攻撃はされてはいないが、 恐らくその有効射程に足を踏み込んだ瞬間、その機銃は容赦なくアッシュを敵と見なして銃弾を放ってくるだろう。

そして全てを悟った。この街にとっての最大の敵はMTではない。自分たちなのだということに。 操縦桿を握る手が湿っていた。そんなことはいざ知らずロウはさらに言葉を重ねようとする。 やめろ。もう聞きたくない。無理矢理にでも声を荒げて、彼の発言を妨げようとしたアッシュだったが、それはほんの少しの差で叶わなかった。

「あの女に嵌められたんだよ。俺たちはな」

鋭い刃物で身体を貫かれたような感覚。痛みも血液も流れない。 全身を締め付ける敗北感そして虚無感が、血液の流れとともに全身を駆け巡り、失望という感情をアッシュに送りつける。

「……ロウ。クオに連絡を取ってくれ。話したいことがある」
「奇遇だな。俺も同じこと考えてた」

一瞬で失意の底に叩き落されたからか、意気揚々だったアッシュの声色が急激に落ち着いたものへと変わっていた。 そこには冷静とも絶望とも違う別の感情、つまりは自分たちを裏切り、そして騙した者に対する純粋な怒りが含まれていた。 都合の良い駒にされた気分を痛いほどに味わいながら、彼はただ操縦桿を握り締めながらクオからの応答を待った。



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