In mother's will TOP

08.


かつては繁栄していたであろう都市の跡地。灰色の瓦礫と無数の穴が開いた建造物。 戦争が残した爪痕を色濃く残したまま、荒廃した街跡の傍に、その異形の怪物は鎮座していた。

スピリット・オブ・マザーウィル。
前後に納めてあった計六枚の甲板が、今は左右に目一杯広げられている。 開かれた各甲板に設置されたミサイルサイロはその全てが展開し、ミサイルを吐き出す瞬間を待っていた。

鋭い風が舞う。だがそれは自然が起こしたものではない。 エンジン音が轟々と響かせながら、無数の戦闘機が空を飛んでいる。 戦闘ヘリの空気を破るようなローター音も同時に大気を奮わせた。

甲板、そして艦橋付近に設置されたヘリポートから、艦載機が随時発進していく。 地上にはBFFの主力ノーマルである044ACが至るところに配備されており、甲板、艦橋頂上にもその存在は確認できる。

壮観だな、とトーマスは正直な感想を述べた。 圧倒的な物量が可能にする絶対不可侵の布陣だ。

十年ものあいだ、敵という敵を返り討ちにしてきた自信。 それぞれの持ち場につく彼ら兵士にも、それが十分備わっていることであろう。

トーマスはすべてを始める前に彼らに向けて頭を下げた。 命を預かる身として、また指揮を執るものとして。彼らを指揮できることこそが、今のトーマスにとっての何よりの誇りでもある。

「ホワイト・グリント、間もなく防空圏内に入ります」
「わかった」

オペレーターの声に応じ、トーマスはそして考えることをやめた。

「偵察隊はすでに離脱したか?」
「はい」
「わかった。主砲、全砲門を開いて発射用意。目標はホワイト・グリント。対象が網にかかり次第、砲撃を開始せよ」
「了解」

明滅する光点をレーダーを眺める。やはりVOBの影響か、凄まじい速度で向かってくるのがわかる。 主砲の届く範囲など敵は一瞬で詰めてくる。それまでが勝負だ。

「ホワイト・グリント、主砲有効範囲侵入まであと五秒! 四、三……」

CICに緊張が走る。トーマスはただひたすらにそのときが来るのを待った。

「対象、主砲の射程内です」
「艦長」

副長がトーマスを見る。

「ああ、始めよう。攻撃開始だ」

彼は即決した。

「了解しました。これより主砲を発射する。一番から三番。用意……てえっ!」




怪物染みた砲台がその名に相応しいまでの爆音を轟かせた。 砲口から放たれ、空の彼方へと飛翔していく大質量体。それは炎を纏い雲を切り裂きながら目標に迫る。

次いで二発目が発射され、発射の振動がまだ収まりきらぬ合間に、さらに三発目が発射された。 超高速で飛来する十メートルの対象を穿つ。それは難しいことではない。

VOBの爆発的な加速力は、ネクストに音速をも凌ぐ力を与えるが、その反面、上下左右の行動を大いに制限する。 そんなものではマザーウィルの主砲からは決して逃れられない。

たとえ紙一重で砲弾をかわしたとしても、砲弾内に搭載されたセンサーが作動し、その場で砲弾は炸裂する。 指向性を持たせた弾頭が内部の金属片をばら撒き、爆発の衝撃と合わさり対象を切り刻む。 砲弾自身のスピード、そしてネクストのスピードが合わさることにより、その破壊力は数倍、数十倍にも膨れ上がる。

羽虫を撃ち落とすような精密さなど必要ない。空間そのものに砲撃の雨を降らし、敵の逃げ場をなくせばいい。 直撃して耐えられる兵器など今の世界には存在しない。たとえそれがネクストであろうとも、それは例外ではない。

「着弾予定まであと三秒」

ディスプレイ上に表示された複数の光点。それは目標に直進し、そしてお互いの光点が重なり合う。 CICに緊張が走る。誰もがその画面を見つめている。だが、

「……駄目です。反応いまだ消えず。まっすぐこちらに突っ込んできます」

発射された砲弾の反応は消えた。しかし敵の反応はまだそこに残り続けていた。 さらに数発が同じように対象の光点に絡み付いていくが、どれもが同じ末路を辿った。

「おい、管制官。これはどういうことだ!」

士官の一人が叫んだ。動揺が隠しきれなくなっている。 重苦しい空気の中、トーマスは腕を組んだまま、目の前に座るオペレーターを呼んだ。

「信管はすべて炸裂したのか?」
「はい。発射した分に関しては問題はありません。すべて正常に作動しています」

だろうな。と心の内で呟く。

「気を引き締めるんだ。まだ終わってはいないぞ」

部屋中に聞き渡るように、あえて声を荒げて士気を持ち直す。

「対象との距離は?」
「現在、南東の方角七十キロの地点を通過中」

接触まであと数分。しかし、地平線にはまだ敵の姿は見えない。 絶えず撃ち込まれる砲撃をどのようにして回避しているのか。

「ミサイル発射管、一番から五番、十一番から十五番まで用意。敵との距離が五十キロになったら教えろ」

判断する術はない。思考する暇もない。 トーマスは迷うことなく次の指令を伝達する。

「しかし、この距離ではまだ……」

明らかな動揺。これまでにマザーウィルの砲撃をかいくぐった存在はいない。 その防空網が今初めて破られた。地上最強の不沈艦が、初めて味わう屈辱。 それを認めてよいのかと、皆がトーマスの顔を注視する。

「構わん。誘い込め」

迷わなかった。厳格な表情を崩さず、彼は岩のように動かない。

「お披露目ですね」

ティンバーが言った。

「ああ、この艦を相手に選んだことを思う存分後悔させてやる」

常に想定していた範囲だ。訓練での演習も欠かしたことはない。 敵は普通ではない。カラード下位に甘んじるような連中とは一味も二味も違う。相手は最高峰のネクストだ。

こちらも死力を尽くさねばならない相手であることは初めからわかりきっていた。 撃墜できることを願っていた。だが、敵はある意味期待通りに、マザーウィルの攻撃をかい潜っている。

「距離五十!」
「ミサイル発射しろ」

トーマスの声とともに、マザーウィルの甲板に設置された垂直発射装置から、大量のミサイルが空へと昇っていく。 一定高度まで達したそれらの大群は、皆一様に弾頭の向きを変え、目標であるホワイト・グリントのもとへと突き進む。

それはまさに弾壁。ミサイル一つ一つが推進剤を撒き散らし、巨大な発光体となって雲を突き抜けていく。 灰色の空。だが、マザーウィルによって吐き出されたミサイルは、その空の色をも変えた。

周囲一体をも多い尽くすほどの超密度攻撃。逃げ場など与えないこの飽和攻撃こそが、マザーウィルが地上最強と呼ばれ続ける最大の理由。 敵は不幸にもマザーウィルを本気にさせてしまった。たかが点でしかないネクストが、面で押し寄せるあのミサイル群と相対するのだ。

勝てるものか。誰もがそう思った。だが、

「ホワイト・グリント……健在!」

一人のオペレーターの報告が、そこにいた全員を戦慄させる。

「モニター出ます!」

すでに無用の産物となりつつある画面が、モニターへと切り替わる。 将校、下士官を含めた全員が画面に目をやる。

モニターには、敵が飛翔し続けている光景がはっきりと映し出されていた。 装甲版があちこち剥がれ落ち、虎の子のVOBも一部のブースターから黒煙を噴出している。 だがそれでも、ホワイト・グリントはその代名詞でもある白亜の装甲を残したまま、ミサイルの壁を潜り抜けていた。

「馬鹿な……」

士官の一人がそう呟いた。トーマスが周囲を見回す。同じように、開いた口が塞がらない人間は他にも大勢いた。 無理もなかった。将校やトーマス自身でさえも、その衝撃には唖然とするしかない。

「VOBも、健在か。……悪魔か奴は」

副長が唇をかみ締めながら呟く。 映像のホワイト・グリントは、先の報告とは装備が異なっていた。 前線基地を攻撃した際に用いた両肩のミサイルが見当たらない。

「どうやら、我々の攻撃を自力で迎撃していたようですね。なんという奴だ。我々の常識を超えている」

ティンバーの視線もモニターに釘付けになっていた。

「だが、無傷ではない」

トーマスが言う。

「ええ、そこが唯一の救いです」

敵は神の化身ではない。それだけはわかる。だが、常軌を逸した存在であることに変わりはない。 瞬間、ミサイルが機体に襲い掛かる様子が、リアルタイムでCICに流れ込んできた。 そこで彼らは、初めてホワイト・グリントの機動を目の当たりにした。

膨大なミサイルが接近する。それを確認したホワイト・グリントは、VOBを急加速させながら上空へと昇る。 ミサイルも鎌首をもたげて機体に迫る。

刹那、ホワイト・グリントはクイックブーストを後方に吹かして、急激な減速行動を取る。 同時に機首を地面に向け、VOBを装着したまま急降下を始めた。 一部のミサイルが急激な方向転換に対応できずに機体の後方をすり抜ける。

だが残ったミサイルはまだ大量に残っている。それらが追撃の手を緩めない。 急降下から体勢を立て直したホワイト・グリントは、手持ちのライフルを手に取り、前方に向け発射。

眼前に迫っていたミサイルに一部が誘爆し、連鎖的に発生した爆風と衝撃。 それが、逃げ場なし弾壁にわずかな逃げ場を作った。ホワイト・グリントはあえてその熱風の中へと飛び込み、ミサイルを最低限の被害のみで避けたのだ。

音速をも上回る世界で、なおこの挙動。言葉が出ない これは本当にネクストなのか。いや、そもそも本当に乗っているのは人間か。

ネクストも、パイロット自身の安全さえも、まるで考えられていない。 十年の間で、トーマスはネクストと互角に渡り合う術を得た。 だが目の前に映る敵は、それ以上の進化を遂げていた。

「艦長。このままでは突破されます!」

CIC内部に伝わる焦燥や恐怖がトーマスにも感じ取れた。 勝てるのか。疑念が周囲に伝播していく。

「ああ、わかっている。ノーマル、及び航空部隊にも攻撃を開始させろ!」

それでもトーマスは表情を崩さない。

「艦長! まだやれます。至近距離で主砲を叩き込めれば!」

副長から懇願とも取れる声があがった。

「無理だ。狙いを定めている間に突破される」
「しかし!」
「艦長命令だ」

副長の抗議を、トーマスは眼光で押さえつけた。 軍内部での「たられば」は御法度だ。現実を見ればすぐにわかる。主砲が狙いをつけるほんの一瞬の隙。敵はそれを見逃さない。 それにかまけて、地上部隊への攻撃許可が遅れれば、それこそ生死にかかわる。

自慢の主砲もかわされ、ミサイルでの高密度攻撃も突破された。 しかし、それはすでに過去のこと。考えるべきは常に先のことだ。生じた結果に悲観する暇はない。

「駄目です。ホワイト・グリント、防空網を突破!」
「ミサイル、VOBに着弾!」
「駄目だ。奴はVOBを切り離すぞ!」

二人の管制官が同時に叫んだ。敵はすぐそこまで迫っていた。 廃墟の上を高速で通過し、まっすぐマザーウィルに向かってくる。 後ろのVOBからは猛烈な火の手が上がっていた。だがもう間に合わない。

ロケットブースターーのすさまじい轟音とともに、ホワイト・グリントが遂にマザーウィルを捉えた。

「全軍攻撃開始!」

トーマスは声を荒げた。

瞬間、ホワイト・グリントは艦橋まで辿り着き、そして背部のVOBを切り離していた。 自らの推進力で空を舞う白い悪魔。背中から吹き出る推進剤は、さながら翼のように見えた。



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