ARMORED CORE Stay Alive TOP

04.


突き刺さった銃弾がコクピットを揺らす。トリガーを握って撃ち返し、迸る銃火を避ける為に機体を巧みに切り返して避けていく。
その度に甚大な重力が筋肉、そして脳までをも揺らし、常人ならば既に気絶していてもおかしくない程の衝撃が容赦無く身体に襲い掛かる。
だが、今のユエルはその苦しみに表情を歪める事も、嗚咽を漏らす事もせず、 まるでそれら全てを許容しているかの如く、示された力を手にして圧倒的に不利な状況を打開しようとしていた。


しかし、その表情にはある意味恐怖ともいえる能面が張り付いていた。表情が全く動いていない、動かないのだ。
呼吸もある、瞬きだってしている。生きているのだ、その反応を見れば誰でも解る。
だが、顔の筋肉が緊張もしなければ弛緩もしない。しかし究極の無表情を表す反面、 彼の身体は全く支障無く動作を起こしていた。それも、微塵のズレも無い桁違いの繊細さで。


まるで、魂だけ失った器だけが動いているようだ、見る者がいれば間違いなくそう表現される状態。
これは人などではない。そう、言うなればこれはまさしく、人の形をした只の人形――


一体いつからこうなってしまったのか……。


もはや映像としか言えない光景が流れていくのを眺めつづける退屈な作業。目の前の座席に腰をかけ凶剣を振るう為に操縦桿を操るのは、 間違い無くユエルと言われる男そのものの筈なのに、その男を“第三者として見つめている”この自分は一体何者なのだろうか。


まさに人智を超えた怪現象だと思う、自分でも理屈が全く理解ができない。
いつから? そう、この奇妙な現象の始まりはレイヴンとなって間もない頃、自らを陥れるための計画的な罠に嵌められた時だ。
忘れもしない。丁度今と同じか、それ以上の無数の敵―その時はACも含まれていた―に囲まれ、人生何度目かの生死の境目に立たされていた時、 恐怖も焦りも感じなくなった自分が、必死に死を拒みつづける自分自身をどこかで“見ていた”事に気付いたのだ。


精神と肉体の解離――そう言えば良いのだろうか。馬鹿な、と思わず笑ってしまいそうだが、 もし百歩譲ってあり得るとしたら? 仮定の話など無意味な事は知っている、だがそれでもあり得るとすれば?
苦痛を感じる器が存在しなければ、身体に掛かる負担すらも痛みとして捉えられず、人智を超えた機動もお手の物だ。
余計な思考による時間的な浪費も限りなく起こらない。本当に存在するのであればまさに無敵だろう。


それが現実に存在するのだ。自分だけに与えられた贈り物としてその力は確かに在った。自らが経験したあの地獄から勝ち取ったのだ。
事実、幾度と無くこの現象はあらゆる状況で発現され、何度も自身の命を救ってきた。

だが自分はこの力を何処かで嫌悪している。

戦闘中に感情が意識外に飛ぶ事は問題ではない、むしろ良い兆候だろう。
余計な感情など無ければ、一瞬が命取りとなる殺し合いに支障をきたす心配は無くなる。
だが、限度というものがあるのもまた事実。激しい憎悪を感じているのはこの為だ。そして浮かぶ一つの疑問。
このままこの解離現象に身を委ね、何の感情を持たぬまま、殺す為だけに兵器と定義されるACを駆り、 屍だけを見つめ続けながら生きる事は、はたして本当に生きていると言えるのだろうか……。

これでは何も変わってはいない、殺した筈のあの男と。全てから逃げ、只命じられるままに動くだけの人形であったあの“臆病者”と――。







弾倉に込められた全ての弾丸を打ち切ると同時に、空気を切り裂くような爆発音が轟き目の前のMTが崩れ落ちた。
初めから数えてこれで五機目。しかしレーダーの中心を取り巻く無数の光点は未だその数を減らしたようには見えない。
残り何機かなど確かめる暇など無い。微かな息を無意識に吐いたユエルは次の瞬間には、 新たに視界に入れた六機目を狩るべく再装鎮されたライフルのトリガーを自身の指で握り締めていた。


敵側にしては準備は万全だったのだろう。
ユエルがこの広大な空間に足を踏み入れた瞬間の盛大すぎる歓迎は、 彼が予定していた全ての行動を中止し、思わず回避行動をとってしまうのを見れば多大な効果を生んだのは間違いない。
数十機が一斉に放つ弾幕は先程の三機とは比較にならず、その多くを刻み込んでしまった彼の銀色のACはまさに一瞬で、 壮麗な姿と言うよりは古傷が目立つ歴戦の戦士のそれに変貌を遂げていた。


さらに広大な空間であるにも関わらず、ACを取り囲む無数のMTがその空間を占領し、 自信の武器である機動力もまともに発揮できないこの状況では、彼らの優位は少しの事では揺るがない。
作業用MTに毛が生えた程度の装備でもこれだけの数と統率された動きは、まさしく脅威以外の何物でもなかったのだ。
油断していなかった、と言えば嘘になる。任務前での想いも、もしできるのなら即時撤回したい。
だが、一切の感情の揺らぎを見せない今のユエルには何もかもが無駄でしか無かった。


六機目を無数の弾痕で埋め尽くした直後、他の相手から仕返しと言わんばかりの銃弾の嵐がどっと押し寄せる。
扱うだけで精一杯であるAC――アダナキエルでの任務は、やはり困難であったという結論と共に、 コアが損傷を負ったという報告がユエルの耳に突き刺さった。しかし、そんな最初から聞いていないといった様子で、 彼はその警告を無視し、自らが駆るMTよりも強烈な殺傷力を伴ったAC本来の力をその狭い空間の中で集約させ、爆発させた。


結果生まれた瞬間速度は、突き刺さる銃弾すら弾き飛ばすかの如き勢いで延長線上にいる敵との距離を一瞬で縮める。
MTの脇をすり抜けるのと同時に、その胴の部分にそっと左腕を添えてそのままトリガーを絞り、 小気味良い音と共に何かが敵の背後から飛び出す。伸びた紅い閃光が相手の胴を突き破ったのを確認すると、
ユエルはそのままアダナキエルの巨体を大きく捻らせ、その左腕を突き刺さったMTごと、目の前に立ちはだかる別の一機に叩きつけた。


速力と遠心力、そして何よりMT自身の重量が合わさって出来た破壊力は、容易にそのMTの装甲を叩き潰し、中の人間をも押し潰す。
それでも彼は止まらない。潰れた塊の映像を捉えたユエルはそこでブレードの展開を止め、 一秒にも満たぬ合間で感覚神経の全てを視神経に注ぎ込んで、即座に状況の変化を見極める。
そして今の動作を見て呆気にとられているのだろう奥のMTを捉えると、迷う事無く残る右腕のライフルを無防備なそれに向けて叩き込んだ。


マガジン一つを使い果たし空の薬莢が外に飛び出る頃には、ほぼ同時に別方向から三つの火柱が立っていた。
当然、何が起こったのかを把握している者はユエル以外にいない。こんな展開が先程から終焉を迎える事無く続いている。
だが、依然としてこちらに向かって放たれつづける弾丸の雨は止む事は無く、アダナキエルの装甲は容赦無く削り取られていた。


多い、とにかく数が多すぎる。幾らACとはいえ、ましてや神がかった性能を有するアダナキエルでも、 密集戦ではその機動力を生かしきれない。普通のACでこの武装だったなら間違い無く終わっている。
だがユエルは決して弱音も悪態も吐き出すこともせず、その凍てついた表情を崩そうとする事は無かった。


敵の猛攻が僅かでも衰える一瞬を巧みに機体を切り返し、静かにその時を待つ。と、新たに一機を破壊した瞬間、それは意外にも早く訪れ、 待っていたと言わんばかりにユエルは端末のスイッチの一つを瞬時に叩く。アダナキエルを真に目覚めさせる切り札と言えばこれしかない。


瞬時に背部が開け、大量のエネルギーが一気に収束するのが解った。オーバードブースト――限界を超えたスピードがコンマ一秒も満たない間に、 アダナキエルを前方に押し出していく。音速を超えた速度で敵のど真ん中に突っ込んだ銀の機体に反応できる者は存在しない。


超加速を維持したまま一体のMTをブレードで突き刺した後、ブースターをカットした銀色は、余剰の速度がもたらす勢いすら自らの力として用いた。
展開した緋が消え去る合間に、ユエルは肩に追加装備されている旋回ブースターのスイッチを初めて叩き、 生み出された横方向のベクトルと共にアダナキエルの左腕を限界ぎりぎりまで伸ばす。


貫かれたMTの側面から、鮮血の如き緋が装甲を切り裂きながら飛び出した。遠心力を極限まで利用した緋の威力は通常の数倍にまで跳ね上がり、 その綺麗な弧を描く軌道に重なるMT全てを次々と真っ二つに両断していく。紅いブレードがようやくその役目を終え消え去った頃には、
耳をつんざく轟音と紅蓮の爆炎がアダナキエルを中心に数発轟き、発生した熱風がその装甲を叩いて僅かに焦がした。


だが自らをも蝕むその炎すら、今は己の存在を高める元にしかならない。
紅を新たに身に纏った銀は、まさにこの世のものとは思えない存在として残る者達の胸に深く刻み込まれていった。








自らを殺す訓練は嫌と言うほど叩き込まれた。煙草の火を身体に押し付けられる程度の事など日常茶飯事以下。
早々に脱落した者を目の前で引き裂かれ、四散したどす黒い血液が身体の至る所に付着しても眉一つ動かす事もしなかった。
すれば待つのは死という帰結だけ。ならばしなければいい。当時でも簡単な二者択一の問いに解を示せるだけの頭は働いた。 だけどそれだけ。それ以上もそれ以下でもない。
生か死か、常にその選択が付きまとい、自分は分かりきった選択を単純にそして機械的に行い続けているだけだったのだ。


過去、大人でもましてや子供ですらない、単なるガキでしかなかった時代に人として生きる権利を早々と放棄した自分。
世間のスポットライトなど、どう頑張っても当たる事も無いごくごく普通な家庭を、巨大な銃弾が粉々に破壊していった。
独りだけ生き残っても、もう何も無いのだから意味が無い。待っていたのは自分の気持ちなど何も理解していない汚い同情にまみれた救いの手。
必要無い、と自らの手でそれを振り払ってガキは全てを捨てて外界に飛び降りた。待っていたのは唸る大波が待つ暗黒の大海――。


引き返せばどれ程楽だったか、そんな事も気づかない程度のガキが暗い深遠の底まで沈んでいるという事など、 完璧に理解出来た筈も無い。その後どうなったのかはもとより想像するまでもないだろう。


人間の記憶というものは実に精巧に出来ているようで、記憶できる全容量を超えない為に古い、または必要の無い内容は、 容赦なく削除していく機能を生まれた時から有しているようだ。今、思えばこの機能を生んだ存在に感謝すべきなのだろう。
今自身に内在している最も最古の記憶は母親と呼べるぼやけた何かに抱かれている映像だ。
人の体温が生み出した暖かさが無ければ既に削除対象になっていた物だが、残念ながらその順番は確実に迫ってきている。
いずれ無くなるのは時間の問題だった。


次に古いのはあの瓦礫の光景。血塗れとなった自分を抱き上げる誰かが見える。これは削除対象外。
どこかで生み出された強固なプロテクトが立ち塞がり、未だそれを破るには必要な要素が多すぎて削除実行には至っていない。
言うならばこれは心的外傷――トラウマと言えば良いのだろうか。


そこから記憶は大幅な跳躍をしている。記憶の道筋にぽっかりと大穴が空いているように綺麗さっぱり無くなっているのだ。
残念ながら幼いガキが何を見、何をしたのか。それは最早誰も、自身ですら知る事の出来ない謎として葬られており、 唯一解るのは、記憶を司る脳の一部が全会一致でその項目を全削除したという事実だけ。
大穴を飛び越えた先に居た青年は、もう水面には浮かぶ事の出来ない所にまで身を闇に染め上げ堕ちていた。


子供から大人へ。そのプロセスを二段から三段飛ばしで駆け上がり、既に大人の境界に踏み込みかけたと思ったのが、 自身の身長が伸びる所まで伸びきり、自己というものが確立し始めた頃。仮にあの過去が無かったとしたら、
丁度、その確立した自己ゆえに周囲という要素が気になり始める年頃だ。異性に本気で興味を示すのもこの頃なのかもしれない。
だが実際、自分がその時期で気になった事といえば、まだこの地獄に叩き込まれまだ数年しか経っていない事に絶望したり、 昨日の訓練で死んだ仲間の事を涙を流して悲しむ感情が、まだ自分の中にあった事に驚いたぐらいだった。








敵の背後に降り立ったアダナキエルはブレードを相手の腕部に突き刺して支点とし、背後から無数のライフルを撃ち続ける。
中に押し込まれている人間が巨大すぎる銃弾に引き裂かれた事は、その銃弾が作り出した風穴が証明しており、 その穴に左腕のマニュピレーターを強引に差し込んだ銀色は、既に残骸となるMTを盾代わりとして敵に向かって特攻を始めた。


前方から迫る銃弾はアダナキエルが差し出す残骸によって全て遮られ、その銀を止める事は誰にも出来ない。
予定通り新たなMTにその残骸を真正面からぶつけたアダナキエルは、同時に差し込んでいた左腕部から再び紅い閃光を放って、 二機をまとめて串刺しにする。当然次に起こりうる爆発も二機分で、無論それを察知している銀は即座にその刀身を引き抜き、 爆発によって生まれた爆風に乗りその場からの素早い離脱に成功した。


これでMTの残存数は九機、ようやく数える事ができる数まで減らす事が出来たが、最悪な状況という事実はやはり揺らいではくれないようだ。
幾ら機動力が優れていようと浴びせられた銃弾を全て回避する事など出来る訳も無く、その身に刻んだ銃創は数え切れず、 加えて無茶としか言い様が無い機動は、やはり機体各部に甚大な負荷を負わせていたようで、 損傷、破損を示す警告音が絶えずユエルの鼓膜を振るわせた。


だがユエルは気づいていなかった。聞こえないというより聞いていないといった様子で、 既に満身創痍と言っても良いアダナキエルに微塵の気も払う事無く、彼は再びその身を銃弾の中へ飛び込ませる。
しかし、する事は何も変わらない。火花を散らし始めた脚部でかろうじて銃弾を回避しながら、 これまでと全く変わる事無く交差するようにライフルを撃ちこんでいけば良い、筈であった。


しかし新たに一機を屠った直後、ライフルの残弾が遂にゼロを示してしまう。
拙い、とその事態を傍観している男が叫ぶ。残る武装と言えば左腕のブレードか、まだ一発も放っていない小型ロケットランチャーだけ。
主力であった筈のライフルを失った今のアダナキエルには、己の命を守ってくれる盾はもはや無きに等しい物だった。


さらに悪い事に、高速で動きつづけるアダナキエルに精確な捕捉能力を必要とするロケットの類は相性がとにかく悪い。
遠距離からの命中率の低い攻撃に縋るなどはこの場においては論外だ。全ての動作の中心となるべき右腕の武装をを失ったアダナキエルにとって、
残された選択肢と言えば即座にライフルを廃棄し、我が身を少しでも軽くしてからブレードに頼って舞う事くらい。


と、常人ならそう考える。だが無用の産物となったにもかかわらずユエルは決してライフルを廃棄しようとはしなかった。
まるで何かを秘めているかのようにそれを頑なに握り締め、初めて用いるロケットランチャーで牽制しながら敵との距離を詰めていく。
そして相手の鼻先寸前まで近づいたアダナキエルは地を大きく蹴って跳躍、軽々とそのMTの頭上を飛び越えて背後をとると、 何を思ったか彼はその場で旋回ブースターを起動させた。


強力な力が左側に押し寄せ、銀色の身体が右に大きく回転し機体の向きを変えていく。怜悧に輝く不動の瞳で敵の脆そうな脚部を捉えた刹那、 ユエルはその時まで離さなかった器と成り果てたライフルを遂にその地点目掛け振り下ろした。


吸い込まれるようにMTの脚部に突き刺さったライフルの銃身は、脆い関節部に食い込んでその脚部を叩き折り、 重い体重を支えきれなくなったMTはバランスを失って崩れ落ちた。
まさに刹那、その図体をブレードで両断するまでの時間と併せてもコンマ数秒と掛かっていない。
唖然として一部始終を見つめていた別の機体の無防備なコクピットを、榴弾で新たに叩き潰した後、 不意にユエルはその絶対零度の瞳で、残る残存勢力であるMTを見上げていた。


攻撃は止んでいた。あれだけ激しい銃撃が完全に収まり、今見えるのはその余韻である硝煙だけが寂しくたなびいている光景だけ。
何故? 考えるまでもなく視覚だけで十分解る。答えはこちらが一歩踏み出せば、 その動きに合わせるかのように後退する残り少ないMTの萎縮した動きを見るだけですぐに判断できた。


右手には使い方を誤り僅かに歪んでしまった元銃器の名残、そして左手にはこれまで幾多の血を貪ったブレードを携え、 全身の装甲を無惨に散らし、それでも動きつづける死人の如き姿が彼らに視線を向けている。
彼らに芽生えたのは単純で、しかし絶望的なまでの威力を孕んだ恐怖心。


勝敗はそこで決した。戦う理由、復讐心、執念、その他もろもろを全て捨て去り逃げに走った者達に勝ち目など無い。
そしてこの反応は危険が伴う任務から、単なる作業に成り果てた事を意味する。
このまま続けてもこれは戦闘ではなく只の虐殺にしかならず、同時にそれはレイヴンに呼びかける制止信号でもあった。


だがユエルは止まらない。投降を促せば良いものを自身を突き動かす内なる衝動に支配されている今、 彼を止める事が出来るのは全ての機体が炎に包まれた光景のみ。
その光景を現実の物とするためユエルは最後となるであろう自身の機体に新たに力を吹き込んだ。


全身を蒼光が包み込む。それが一つの閃光となり爆発する刹那、切なる願いを込めた断末魔が轟き、 再び無数弾幕の雨が注がれたが、もはやユエルと銀色の機体が成す舞踏を止めるにはあまりにも弱すぎた。


噴出したエネルギーを最大限利用し、本来の最高速度を楽に越えたアダナキエルは真に光速と化し、 進行方向に存在する全ての物質を自らが発する光で包み込んでいった。




当時、自分は得体の知れない傭兵養成施設に居た。何故? そんな事知る訳が無い。
いつの間にか放り込まれており、無駄な頭の労働に時間を費やす代わりに、血反吐を吐くまでに身体を虐め抜いていた。
それで十分。自身を定義できる決して動かすことの出来ぬ己の真実の一つに変わりは無い。
ありとあらゆる殺人術を覚え、銃器を操り、時にはMT程度の操縦方法まで学んだ。勿論、人も殺している。敵も仲間も見境無しに。
消えた記憶の先に居たその男は毎日、毎日、彼の心にある何かを殺されていた。止めれば良いという制止も無駄だった。
それを嫌だと感じる部分も既に殺されていたのだから、もはや止めようが無かったのだ。


施設の名目は確か企業との裏取引の為だった気がする。一企業がのし上がる為には他をいかにして蹴落とすかが最も重要な要素となるようで、 手段を選ばず、他者を蹴落とし、また止むを得ない場合は暴力という最も効率の良い権力を持って事を成す事が大事なのだそうだ。
そうしなければ自分達は上には上がれない。安っぽい偽善では頂点には立てないのだから、と誰もが叫ぶ。


そしてその為に必要なのが道具がレイヴンでありそこらに転がっているテロリストという訳だ。
と言っても、実際にはその戦力を駆使して働く人間が居るのが大前提となる。彼らが破壊を行わなければ新たな施設は建設されず、 より良い効率を求める為の新たなACの部品を製造する事もできない。微量のはした金で無心で働いてくれる彼らは、 雇用者から見れば、さぞ効率が良い使い捨て商品に見えただろう。つまりは単なる需要と供給の仕組みに則ったビジネス。
今思えば嗤えてくる、こんなにくだらない話は無い。自分の人生はたったその四文字で片付けられる程度に過ぎなかったのだ。


このご時世、親、兄弟を無くした者、人間という枠組みを外れて塵に成り下がった者は、探さずともその辺を見れば大抵転がっているもの。
後は適当に拾って彼らを構築し直すだけで良い。脱落者は容赦なく抹消され、見込みありと判断された者だけがさらなる地獄を体験させられ、 ある者は企業という名の鎖に繋がれた犬となり、またある者は彼らに牙を剥く同じく狂犬となる為に“再生産”される。


自分は後者だった。勿論選択などしていない、誰かにいつの間にか勝手に決められていた事だ。
だが、どうでも良かった。さっさと最前戦に突き出してもらい、ただ流れる月日を傍観するだけの毎日を終わりにできればそれで良かったのだ。
少なくとも彼――ラスティに出会う頃よりさらに前、そんな地獄から救ってくれたあの男が現れるまで、 自分は只、一刻も早く死んで楽になりたいと思っていた。たったそれだけを求めて生き続けていた……。





「レイヴン、応答しろ。レイヴン!」

酷く嫌な夢だった、と思う。声という音を聞くのが久々に感じられ、何故か嬉しかった。
しかし久々にも関わらずスピーカー越しから聞こえてくる音は強力そのもので、ユエルの鼓膜を異常に震わせ全身の神経を目覚めさせる。
声の主はあの仕事大好き無機質女オペレーター。彼女の苛立ち全開の声はどうやら目覚まし以上の効力を持つようで、 いつの間にか完全に意識を喪失していたらしいユエルを一瞬で飛び起きさせる程の力を遺憾なく発揮した。
早朝に鳴り響く目覚し時計のアラームを扱う時と同じく、ユエルは音声送信用のスイッチを叩き潰す勢いで押す。

「……あ、ああ、聞こえてるよ」

視界が鮮明になり思考もはっきりしてくる。手も動いた、表情だって歪む。戻ってきた、自分はこの世界に無事に戻ってきたのだ。
だがしかし、網膜に焼け付くこの光景だけは何も変わってはくれない。何処を見渡しても焼け焦げた残骸が無造作に並べられ、 あちこちで炎が揺らめき、硝煙が絶えず出口を求めて舞い上がる。立っているのはいつも自分だけしかいない。
まさに地獄だ。こんな光景を幾度と無く見てきたが、もう何とも思わない自分が酷く虚しく思える。
殺すのでは無く、壊す。人殺しをそうやって誤魔化して正当化してきたのと同じく、常に自らを苦しめる自問の時を、 任務報告という動作で誤魔化して逃げる自分。そんな影が不意にあの臆病者と重なったのか、ユエルの胸が僅かに疼き鼓動を早めた。


「任務は無事完了した。これよ――」


だが安息の時間は唐突に終焉を迎えた。ユエルが言い切る瞬間、急に心臓の鼓動が波打つようにうなり始めたのだ。
声にならない嗚咽が漏れ、とてもではないが耐えれるレベルではない身体の異常が全身を蝕んでいくのが分かる。
何だ、と考える暇も無く、猛烈な吐き気とそれに連動するかのように、体内の食道から大量の汚物がせり上がる感覚が一気にユエルを襲い始め、 彼は思わず蹲って嗚咽の声を漏らした。心臓の鼓動はさらに激しさを増し、目覚めてきた感覚は新たに強烈な頭痛も生み出していく。

「……っ」

電撃が頭上を貫通する痛み、全身の筋肉も痙攣し始め、鼻腔からも生暖かい液体が肌をつたってくる。
身体が燃えるように熱く息が詰まって呼吸すら危うい。だが、全てを我慢する事などできない。
一つを抑える為に集中すれば、それだけ別の何かが容赦無く進行しユエルの身体を蝕んでいく。
結局どれもこれも中途半端にしか抑えられず、彼の苦しみは増していくしかなかった。

「どうした? レイヴン。どこか負傷したのか」

違う、と返せる余裕は既に無い。これは代償、不運にも得てしまった力により思考を吹き飛ばしたが故の大きな代償だ。
異常な性能を持つ未知の機体を無理矢理使っていた所為で、本来感じるべきだった身体にかかる甚大な負荷を無視したツケを払わされている。
今までもこんな事はあったが、今回は異常だ。……自業自得か、と早々に諦めの境地に達したユエルは、 脂汗が滲む自らの表情に自嘲の笑みを混合させながら、とりあえず今できる最善の策を考える事にした。

「回、収班を……頼、む。ダメだ、吐き、そ――」

絞り出すような声でなんとか要点を伝えるが返ってきた返信は何故か、溜め息。
その後「……了解」とこれまた何故か怒りすら感じられる返信を最後に通信は途絶えた。


……何が悪かったのか? よく考えれば分かりそうだがこの状況ではほぼ確実に無理だろう。何はともあれ用件は伝えた。
後はひたすらこの痛みに耐えるだけ。新たな任務をその身に受け、ユエルはゴクリと咥内に溜まった唾を飲み込む。
胃液独特のすっぱい味が感じられた。どうやら限界はすぐそこまで迫っているようだった。







「何故、ユエルを“あれ”に乗せた?」

今日の作業をあらかた片付け終えたのか、数人の整備士に指示を飛ばしていたラスティの背後で落ち着き払ったミーシャの声が聞こえた。
事実を知った直後にこちらに飛んでくる事を覚悟はしていたが、やはりミーシャの性格故か、 一つの雑念に惑わされずに自身の果たすべき事をきちんとわきまえている所は実に彼らしいとラスティは思う。

「答えろ、ラスティ」

思索の合間にミーシャの問いが重ねられた。先程より若干声に凄みが増しているのが背中越しでも良く解る。
一度爆発すれば止めるのは容易な事ではないミーシャの堪忍袋を誰よりも知っているだけに、 単なる言い訳は無駄にしかならないという判断がすぐさま彼の中で示された。逃げられない現状に苦笑してラスティは静かに呟く。

「……やっぱ怒ってるよな?」
「それは返答次第だ」
「難しい事言うなよ。簡単に説明できる事じゃねぇんだから」
「聞くだけ聞いてやる。殴る殴らないはその後で考える」

再び大きく溜め息をついた後ラスティは覚悟を決めたか、ミーシャに向けていた背中を翻し彼の眼でミーシャの顔を見据えた。
頑強な肉体の上にもはや年代物とすら言える使い古した作業着を着こなし、全身からは油臭い匂いが漂っている。何も変わらない。
真新しい染みが頬と袖口に染み付いていた事とそんな彼が握っている紙切れを除けば、何の変哲も無い普段のミーシャがそこに居た。
勿論、今現在の鬼気迫る形相はその枠には入っていない。

「試してみたかった、ってのが一番まともだな」
「試す、だと……!」

元々存在していたミーシャの眉間の皺がさらに倍加する。いつ音速の拳が飛んできてもおかしくない状況に、 本来ならば慌ててその誤解を解こうとするのが普通だが、あいにくラスティはそれどころではなかった。
乱れている、ミーシャの拳がほんの些細な事にしか見えなくなる程、彼の心は今猛烈に乱れていた。


その最大の原因はミーシャが持つ紙切れ。それに書かれている人物が今日以降の彼の計画を大幅に狂わせていたから。
全てが予定通りに進んでいた、長い月日を掛け遂にここまで来たのだ。唯一の想定外の出来事であったユエルとの邂逅もプラスに転じる結果となった。


しかし、今回だけは勝手が違う。あいつが来る、あの男が、再び自分の前に姿を現してしまうのだ。
言葉にできぬ感覚が胸を締める。何だ? と問いても分からない。
仕方なくラスティは、複雑に絡み合う結び目を一本一本解きほぐしながら、その感情を正体を探ろうと決意して実行に移した。


殺意? 違う。そんな感情は今も、あの時ですら存在していない。
期待? これも違う。おかげで予定に大幅な狂いを引き起こした奴に期待する馬鹿などいない。
恐怖? ありえない。あんな奴に恐怖するほど自分はまだ堕ちてはいない。
喜び、悲哀、同情、驚愕、全部違う。


そんな陳腐な言葉で一つに統一できれば苦労はしない。言うなればこの感情は全て、正しく全部だ。
殺しておけば良かったという殺意と後悔。何故ここに現れ、何をする気なのかという驚愕と期待。再会という事実に喜び、そして哀しむ。
それだけあの男の存在は影響が多すぎた。だからこそ、自分はこんなにも狼狽の色を見せている。


「誰もあいつを痛めつけようなんて考えてない。あいつは戻ってくるよ、絶対に」


確信だった。己の洞察力が既に彼の未知の力を見極めている。その確信があったからこそ自分はユエルに“あの機体”を与えたのだ。
だが、あの男の所為でやるべき事は増えた今、彼は再び苦しまなくてはならなくなる、近いうちに必ず。
たとえ彼が拒んだとしてもそれからは逃れられない。だかろこそ見極めなければならないのだ、あいつが本物なのかどうかを。
そしてそれを押し付ける我が身の不実。つくづく悪役の似合う男だな、と彼は自身を罵る事しか出来ない。


不思議と瞳に力が篭もった。そこから発せられる空気は瞬時に場を凍りつかせ、ミーシャにあった怒気すらも中和していく。
その圧力に気圧されたのか、岩のように動かなくなったミーシャの肩に、ラスティはポンと手をやりその緊張を溶かしながら、

「心配するな、いずれ必ず話す。あんたはそのレイヴンの歓迎準備でもしといてくれ」

と、零してその場を後にする。去り際に「……ああ」と微かな応答があったのを確認してラスティは、 僅かに歩を早めて、彼の城である事務所までの道程を辿った。何とも下手糞な紛らわせ方だな、と誰かが嘲笑う。


何とでも言え。自分にはやらねばならない事があるのだ、たった独り、そう決意して彼は歩く。
もう止まれない、例えどんな怒りや疑問をぶつけられてももう自分は止まれないのだ。
成さなければならない、全てが始まるその前に、全てが手遅れになる前に――。



inserted by FC2 system