ARMORED CORE Stay Alive TOP

08.


金属が金属を叩く耳障りな音が一つ、また一つ。刹那の合間に鳴り響くその連続した金属音に、会場に居た誰もが戦慄する。
個々の耳朶を打つ強烈な音響は、興奮に包まれた会場の空気を一斉に吹き飛ばしていた。僅かに悲鳴すら混じり始めた歓声は、 もはや以前のそれとは別のものに変わっており、聴衆と見なされる者はほぼ全員自らの目に映るありえない光景を只傍観するしかない。


魂すら抜けてしまったかのように言葉を失っている観客達の頭上には、決して知覚出来ない巨大な疑問符が漂っている事だろう。
勿論それは全員では無い。だが彼らはそれぞれ形の違う似通った理想像を描いていた事は紛れもない事実だった。


彼らが思い描くもの。即ち、この戦いの結末に他ならない。誰もが茫然自失とする理由は単純明快。
思い描いていた像が実は只の脆い砂の城でしかないという事に気づかされたからだ。一人や二人程度なら何ら問題は無い。
にも関わらず、会場内がある意味不気味と言ってもいい程の空気に包まれているのは、やはりその人数が桁外れだというのが一番の理由だった。


夢想していた未来と網膜に映しだされた現実を見比べながら戸惑う彼ら、しかしその視線だけは揺らぐ事無く、ある一点を凝視していた。
ありえない、という驚嘆の念を含んで一斉に放たれた熱視線の先に存在していたのは、対照的な容貌を持つ白と黒の巨躯。


繰り広げられるは、敗北という烙印を押されかけた純白に、勝利を約束されていた筈の漆黒が弄ばれるという何とも常識外れな光景。
だがその舞台の様相は先程とは明らかに変わっている。だが舞台が死闘へと変貌した事など知る由も無い観客達は、
慌てふためく姿勢を維持したまま、それでも好奇心だけは決して無くさないといった表情で視線を動かそうとする様子は見られない。
自然と彼らの瞬きの回数が徐々に減っていくのが手に取るように分かる。


純白が漆黒の胴を打ち据えた。漆黒の頭部は既に無いに等しいほどの損害を被っている。観客達にとってこれほど面白い見せ物は無いだろう。
何故なら、そこまでに至る過程はAC本来の武器である銃器やレーザーブレードの類で導かれたものでは無かったのだから。


本来、アリーナにおけるACとACとの戦いは互いに握る銃やブレード等で行われるものである。
それは人間が行う見栄えの無い路上での喧嘩とは違い、機械と機械が織りなす美しく爽快でそして華麗な舞踏。
精密に練られ造り上げられたアリーナというステージでこそ、無機質で単純な機械で構成されたACは華麗な舞台俳優として生まれ変わる。


それこそが観客達が最も欲しがる刺激であった。だがその欲求はもう二度と解消される事はない。
痛々しい身体を堂々と晒すAC――ノヴァはそんな暗黙の了解を当然の如く裏切ったのだ。


今見ているこの光景は一体何だ? これは、これでは、単なる人と人が殴りあう喧嘩ではないか。
誰もが口をそろえてとは言わないが、皆、心の淵で感じているだろう当然の思い。


そんなものは糞食らえと言わんばかりに、ノヴァは折れ曲がった銃器で肉を打つような鈍い音をさらにそのステージで盛大に奏でる。
だが泥臭く見栄えなど微塵も存在していないその行為こそが、その純白を駆る者が放つ純粋な意思だと気づける者は誰一人としていなかった。





一瞬、戸惑った。止めのつもりで振り下ろした短距離ブレードを防がれたまでは捉えていたが、そこからが分からない。
漆黒のAC――エリュシオンの頭部センサーが映し出す光景が、激しい鈍い金属音を境に横に波打つ灰色のノイズが混じるそれに変貌していたからだ。
頭部が潰された、と思考の片隅で瞬時に理解した男――アゼルは迷い無く保険用としてコアに搭載されているサブカメラのスイッチを叩こうとしたが、
間髪入れずに叩き込まれた二度目の衝撃に身体の自由を奪い去られてしまった為に事態の対処が遅れ、その結果数発の衝撃をさらに受ける羽目になってしまう。


殴った? それも銃器で? 敵の意外な行動に混乱し、馬鹿げていると思考が叫ぶ。
だがそれでもアゼルは鉄の如く微動だにしない冷静さを決して失わぬよう努め、
膨大な量を誇る経験という武器から得た平常心を最大限活かして、アゼルは今度こそ目的の装置を作動させた。


コアに内在されている緊急用のサブカメラは、当然ながら各計器を満載した頭部から映し出される鮮明な映像とは違って解像度が酷く悪かったが、
無いよりは遥かにマシである。生体反応センサーやら長すぎる索敵範囲も今この瞬間では必要ではない為、この先の戦闘には何ら支障は無かった。


これ以上求めるものなど無い。半ば折れかかった銃器に縋りつく瀕死のACの姿を視界に納めるだけで十分すぎた。
後は右のマシンガンでも左のブレードでもいいから、その削り落とされた装甲にさらにほんの少し傷を付けるだけ。それだけでこの面倒な試合は終わる。
加えて、互いに分かりやすいように表示されている数字化された耐久力の数値は自分が四桁相手は三桁。自分の圧倒的優位も揺るがない。
相手の行動などに動揺する必要など無い、してもいけない。そんなものは自らが垣間見た数々の脅威を前にすれば塵にも等しいのだから。


倒す。明確な意思を決意してアゼルは、エリュシオンの頭部を破壊してもまだ飽き足らないのか、
今度は胴を狙った一撃がエリュシオンに向け再び襲い掛かってくる。初めから数えて確か四撃目だ。
視界を回復させたエリュシオンはその計三回にもわたる過去の失態を取り返すべく、迫り来る相手の腕を自らの左手で押さえ込む事に成功する。

「調子に乗るな……!」

絡み合った両者の腕がギリギリと音を立てながら互いの進行を妨げ、調子に乗りかけた相手を制止させる。
残念だが反撃もここまで。ディスプレイを介しての威圧でそれを表し、同時に死の宣告としたアゼルは、
動きを阻んだ相手の左腕の下に自らの右腕を差し込んでマシンガンの銃口をノヴァのコアに突きつける。
それが最後の一撃。不覚にも生えかかってしまった新芽を刈り取る最後の一撃、の筈だった。


だが突如視界の前に現出した白光と、鼓膜の寸前で爆ぜた複数の轟音が、その未来をまたしても否定する。


何が起こったのかを理解せぬまま、アゼルの脳は限界寸前まで揺さぶられ神経という神経が悉く悲鳴を上げる。
同時に今まで感じた事のない上下左右に叩きつけられるような振動。
安全を確保するべきベルトが、本来の使命を忘れ内臓を搾り出そうかという勢いでアゼルの身体に絡みついていった。

「……っ!」

かみ締めた歯の隙間から声にならない音が漏れる。そのまま意識すら何処か遠くに持ち去られそうになったアゼルは、
寸前で無理矢理その意識を呼び戻し、白煙たなびく前方をぼやけた視線でどうにか見据える。
無意識にエリュシオンの体勢を補正出来たのは僥倖と言う他に表現が見当たらなかった。


違う、さっきとは明らかに違う。これで二度目となる相手の驚異的な行動。これはもう偶然などではない。
この日初めてアゼルは既に視界から唐突に消えていた者を厳然な敵として再認識した。

「ミサイル、か」

過去の断片をつなぎ合わせればその白光の正体はすぐに判別出来る。今は右肩部分しか無い肩にあるミサイルポッドから確かに白煙が立ち込めていた。
超至近距離で放たれた火薬満載の筒が引き起こす爆発の連鎖。その数、連動ミサイル四発を含めた計七発。
装甲という装甲を弾き飛ばす絶大な破壊力は、コンソールに表示される損害の程度が大いに物語ってくれていたが、
真に驚くべきはそのミサイルの量や威力ではない。その選択自体が、至近距離からミサイルを放つという敵の判断力がとにかく異常だったのだ。


至近距離からの攻撃など考えるだけ無駄なのだ。誰もしないことにわざわざ対策も考える必要も無い。
敵の鼻先でミサイルを撃てばどうなるか、常識がある人間ならすぐにそのデメリットに気づくだろう。
炸裂の瞬間に生み出される強烈な爆風の熱波や衝撃が、放った己自身にも降りかかるという前提を無視する者などいないのだ。


だがそれを敵は躊躇無く行った。そんな前提など軽く無視して、敵は息が触れ合うほどの距離でミサイルを放った。
直撃までは及ばないが、爆風自体にもそれなりの破壊力はあった筈。相手の損傷から考えても、それはもはや死の宣告に近い。

「そんな……」

確信を持って視線を動かした先には驚くべき事実が待っていた。減っていない、ゼロを示す筈の耐久力が少しも減っていないのだ。
後方に逃げたとしてもすぐ後ろは壁。逃げられる訳が無い。なのに何故……? 朦朧とする意識が徐々に正常へと戻り始め、
鮮明となった思考がその原因を探る。エリュシオンを覆う白煙が空気と同化し消失する頃、解は自然と見つかった。


ノイズ混じりのディスプレイに映った戦場と観客席とを分断する壁には、ACが叩きつけられたような痕跡は何一つ見当たらない。
あると言えば、精々銃弾が掠ったような小型の凹みがある程度。まさに最悪の解答だった。それが意味する事、それは――。

「くそっ!」

瞬時にエリュシオンはバックブーストでその場からの離脱を開始する。元いた場所が炎に包まれたのはほぼ同時のタイミングだった。
飛来するミサイルを避けるその行動は、敵の挙動と全く同じ。つまりミサイルを放った純白がバックブーストで距離を離した時の再現だ。
唯一違うのは、こちらはさらにそこから飛び上がらなかったという事。エリュシオンにはまだ後方という避難場所が確保されている。
不幸にもそれが用意されていなかった純白のように、爆風に巻き込まれる寸前で地を蹴らなければならない必要性は何処にも無い。


想像を絶するその反応速度に加え、次は混乱に乗じた上空からのミサイルの雨。すんでの所で数発は咄嗟の判断で回避できたが、
アゼルの眼前には残りの弾頭が、彼を吹き飛ばしてやろうと意気込んでいる。垂直落下から急速な方向転換を成功させたミサイルの数は三発。
だがアゼルも軽やかな足取りで右方に身体を傾け、まず一発を回避。そして弧を描きつつ追随するもう二発も急制動を掛けて避けきる。


しかしアゼルは既に敵の完全な術中に嵌っていた。全弾を回避し終えた先で彼を待っていたのは、天から舞い降りた純白の天使――ノヴァ。
初撃でエリュシオンのコアに存在する迎撃用の機銃座を潰し、外部への警戒心を薄めた上で上空から二撃目を加え、
アゼルをここしかないという絶好の位置まで誘い込む。その間、自身は上空で待機を続けエリュシオンがその領域に足を踏み込んだ瞬間、
ノヴァは全ブースターを解除し、エリュシオンの背後目掛けて降り立ったのだ。

「こんな事が……」

けたたましい警告音が閉塞する空間に激しく共鳴する。致命傷を避けられた事はまさに奇跡に等しかった。
視界に僅かに降り注ぐ敵の至る所から吹き出る火花に気づかなければ? 神経が訴える断末魔に応えて機体を左に動かさなかったら?
そう考えるだけでも恐ろしかった。背後からエリュシオンの右腕部を貫いていた紅蓮の閃光をまるで傍観者のように眺めるアゼル。
信じられない、認められない。自然と零れていた言葉にはそんな意味合いが含まれていた。


右腕に突きこまれたのは間違いなくブレードだ。夕日の如き鮮明な朱色は現存するブレードの中では最長という特徴を持つそれ。
しかも斬るのではなく突くという行為が、相手が武装本来の欠点を十二分に理解している事を表している。
さらに両手に銃器を握っていた本来の風貌を裏切った格納機能を用いて、だ。
ありとあらゆる状況を計算しつした機体である事はそれ事実だけでも容易に窺い知る事が出来る。


しかし、それだけでは到底説明できないこの変貌ぶりは一体何なのだ? 
搭乗者の能力や機体の性能も上々。だがそれだけだ。時折見せられた咄嗟の判断力だけでは到底上には上がれない。
このままでは戦場で上位のレイヴンに出会った瞬間に芽を摘まれてそれで終わり。だが今は違った。
この純白のACの中に居る人物は突きつけたその評価を悉く破り捨て、あろうことかアゼルを驚愕させるまでの技量まで見せ付けたのだ。


やはり違う、それも先程までの相手とは根本的に何かが違う。予想がつかない奔放な動き、武装の活用法、
それら全てが自分のそれを遥かに上回っている。まるで一瞬の隙に搭乗者が何者かと入れ替わったように――。
馬鹿げている、全ての常識を無視し、頭の中でしか展開できない理想的すぎる行動を一点のズレもなく再現する男は最初からそこに居た。
変貌を遂げた彼は、まるで七年前の“あの男”を連想させる。こんな挙動を出来る人物と言えばアゼルの知る限り、あの男しかいない。

「まさか……」

あの時、銀色の死神――アダナキエルを駆り自分達の前に姿を見せたあの男。自分の目の前で仲間を無残に殺したあの男。
何度も自らの前に姿を見せ、その度に辛辣な言葉を投げかけ続けてきたあの男。そして最後の最後で自分を救ってくれたあの男。
七年前という過去の呪縛に囚われている自分だからこそ、その圧倒的な存在の記憶は一つ残らず覚えている。
男の名前はサジタリアス。世界最強の名を欲しいままにしてきたラスティ・ファランクスという男が生涯刻む事を運命付けられたもう一つの名前――。

「嘘だろ」

ありえない事だ。しかし仮にそれが真実だとすれば? 名前を欺いて搭乗する事などあいつにしてみれば容易いだろう。
最初は力を加減し頃合いを見計らって掌を返すという行動すら、本気でやりかねない性格でもある。
他に考えられないのだ。“第四者”という存在こそ、信じろという方が逆に難しい。


だが今の自分の精神状態では、例えどちらだとしても勝てないだろう。無意識にお遊びと思い込んでいる今の状態では確実に不可能だ。
だからこそ甘いこの世界から脱却しなければならない。そして己の心を本来のあるべき場所へ置くのだ。
覚悟を決めろ、そう意識するだけで自然と世界が変わった気がした。自然と目を閉じ、彼はそれを受け入れる準備を整える。


力強くそれが見開かれ、一秒にも満たなかった極限の思考の世界から帰還したアゼルには、ノヴァが行う次の行動が簡単に読めていた。
瞬間、アゼルによって叩き込まれた指令に従い、エリュシオンは突き刺された右腕の安否も完全に無視した状態で後方目掛け目一杯右脚部を伸ばす。
高速で伸ばされたそれは、高速で進むが故に蹴りという破壊力満載の打撃へと昇華し、行動を起こしかけていたノヴァのコアを勢いよく蹴り飛ばした。


人で言う踵の部分がノヴァのコアに食い込み装甲を歪ませる。その巨躯が大きく吹き飛ぶ拍子に右腕の命を刈り取っていた紅も抜けた。
相手の耐久力も僅かに減ったが、それはまだゼロに満たなかった。だがどうでも良い、アゼルにはそんな事実はもう必要が無いのだ。


即座に蹴りに用いた右足を大地につけると、今度はその右足を軸として左に急旋回を掛ける。
人間のような柔軟な動きに耐え切れないのか、エリュシオンの脚部がミシミシと嫌な悲鳴を上げる。だがもちろん完全無視。
この際千切れても構わない、とアゼルは弱音を吐く機械にきつい鞭を打って、僅かな手加減も無く残った左腕を展開する。
狙うは背後に潜む純白のACの首。そのたった一機のACを狩る為に金色の閃光が左腕を刃へと変貌させ、命を狩る大鎌となって空気を薙ぐ。


だがその一閃は相手には掠らない。黄金の刃が到達した先に敵は既に存在していないかったのだ。
在ったのはノヴァが離脱していたという事実だけ、即ちエメラルドグリーンに輝くオーバードブーストの光の残滓だけ。
その光の帯が右に流れていった事から純白の機体が左に移動した事が分かる。


十分だった。避けられたとは言っても、エリュシオンの右腕を突き刺したままオーバードブーストを展開させ、
その圧倒的速度をもって自身の機体を真っ二つに両断しようとする敵の思惑は阻止できたのだ。


そして相手が行うであろう次の行動も読める。敵は間違い無く後ろから再びこちらを襲ってくる。それも通常を遥かに超えた銃弾の如き速さで。
振り払った左腕をそのままにエリュシオンは回転を止めようとはしない。確信がある、今止めればこの漆黒の身は確実にあの紅きブレードで貫かれる。
だからこそアゼルはもう一度エリュシオンの身体を反転させ、自身の最大の切り札である短刀で完全な円を描ききろうとした。

「はぁぁぁっ!」

もっと、もっと速く……! 激昂しても旋回速度が速くなる筈は無い。しかし出さずには入られなかった。
これが最後の攻防だと理解していたから。相手は耐久力、そして自分は戦略の範囲で既に底が見えている。互いにもう後が無いのだ。
負けられない。様々な想いを集約し生み出したこの六文字の為に、アゼルは未だ身体の淵で封じられている自身の最大限の力を搾り出していた。


漆黒の巨体が完全に振り返った瞬間、目の前に翡翠色の輝きが搭乗者であるアゼルの視界を貫いた。
やはり居た。紅く長い刀身を煌めかせ、敵はこちらの鼻先まで迫っていたのだ。


光の如き超加速でこちらとの距離を離し、自機の背後を捉えられる位置についた刹那にそれを解除。
慣性によって減速していく機体を瞬時に傾かせながらオーバードブーストを再稼動させる。
後は方向展開が完了しこちらの背を完全に捕らえると同時に溜めていたエネルギーが再び爆発するという仕組みだ。
身体に圧し掛かる負担なども無視したとても人間業ではない挙動。しかし成功する確率が僅かでも存在する事を知っていれば対処できない事はない。


いや、もうそんな分析も本当はどうだっていい。そんな段階はとうに過ぎ去っている。
今必要なのはたった一つの純粋な疑問の答え。どちらが先にその刃を相手の急所に食い込ませるか、それだけだ。


純白に彩られたノヴァは唯一残った左腕を腰に構え紅蓮の長剣を思いっきり伸ばす。狙いはエリュシオンが左腕を薙ぐ際にがら空きとなる左脇。
同時にエリュシオンの限りない遠心力を味方につけた金色の短剣もノヴァのコア目掛けて振り払われ、漆黒と純白の互いの左腕が一瞬交錯する。
紅が漆黒の装甲を食い破り、金がコアの延長線上にある純白の左腕に激しく食い込む時は全く同じだった。


ユエルとアゼル。それぞれの意思が吐き出された互いの一撃がその場に流れていた全ての時間を止める。
再び止められた時間が動き出した頃には、既に死闘の幕は降りていた。


左腕を完全に失い、コアにも深い裂傷を刻んでいた純白のAC。そして左脇の部分から盛大な火花を撒き散らして沈黙する漆黒のAC。
観客達がそれぞれの時間を取り戻してから、この日最大級の歓声が沸きあがるまでの間、力無く立ち尽くすこの両機が動く事は無かった。








窮屈なヘルメットを脱ぎ捨てた瞬間、新鮮味溢れる空気が全身に染み込んで来る。
閉塞感が漲るコクピットから解放された際に必ず与えられる栄養剤。しかし今回ばかりはそれもたいした効力を与えてはくれなかった。


滲んだ汗を吸い込んだ前髪の一房が肌にべとりと張り付き、男の気分を害す。普段なら即座に払いのけるのだが、
ぴんと張り詰めた緊張の糸が一気に弾け、感じる事を忘れていた神経の磨耗が重く圧し掛かってきていた今の状態では、
そんな力を割ける余裕は全くと言っていいほど無い。倒れ込むようにして設置された足場に身を預けたのが良い証拠だった。


目の前にあった手すりに背中を預けてもたれかかり、男は静かに息を吐いた。
視線は真下を向けているがその目には何も投射されてはいない。もう一度息を吐く。


ようやく視神経も先程の戦場から帰還してくれたのか、次の瞬間には無事に男の目に現実の光景を映していた。
それに続いて疲弊した身体が徐々に自己修復を遂げ、全身を駆け巡る神経もあの瞬間を過去と認識したのか、
初めて男は内心で終わったと呟く事が出来た。終わった、全部終わったのだ。時間してたったの数分の出来事だったが、
だがそれでも自分には一秒一秒がそれこそ永遠のように感じられた一時だった。


「お疲れさん」


これが現実か。己の理想像と食い違った真実に苦笑していた男に向かって放たれた一言は、そんな彼を現実へと帰還させる。
疲労困憊の色が隠せないその男とは対照的に、軽やかな足取りで歩いてくる男の姿には疲労感など一切見られない。
靴の底が鳴らす金属音を軽快に響かせ、愛用の煙草を口に咥えて歩くその仕草を、男は顔をしかめながらも渋々受け入れる事にした。

「まずは勝利おめでとうって所だな。とりあえずは」

言葉の奥底に様々な不純物が混ざった賛辞を受けても嬉しくも何ともなかった。癪に障る微笑を撒き散らす男――ラスティを前にして、
使い果たした体力の自然回復に努めている男――アゼルは視線だけを彼に軽く合わせ、無言を返事として返しておいた。

「それにしても……酷いな、これは。頭に右腕にコアに……あ、足もやばそう。こりゃ大仕事になりそうだ」

こちらから合わせた視線を振りほどいてラスティは力無くハンガーに掛かるエリュシオンを見つめる。
一瞥で無理な旋回が引き起こした脚部の関節異常を、乗りもしないで直感するその観察眼には感嘆するしかなかったが、
その全身から漲る余裕の気配をアゼルはどうしても我慢する事が出来なかった。


わざわざ出向いてきたからにはそれなりの理由がある筈。無様な自分を嗤いに来たのか、それとも皮肉でも吐きに来たか。
皮肉ならさっき聞いた。この状況でおめでとうという言葉を思いつける才能はやはり大したものだと思う。
勝利の女神があんな気まぐれなど起こさなければ、確実に死んでいた自分に対する皮肉としてはこれ以上の最高なものは恐らく無い。


あの瞬間はっきりと見えた。エリュシオンのブレードが左腕に喰らいつく寸前には、既に相手のブレードはエリュシオンのコアを貫いていたのだ。
速さ、そしてブレードの長さ、その他もろもろの全てが相手に劣っていた。劣ると言っても精々刹那の差、だがそれでも致命的だった。
命が徐々に刈り取られるあの感覚。背筋が凍りつき息が詰まるあの感覚。ほんの一瞬だが、死を知覚する瞬間の気分も久々に味わった気がした。


だがそれは現実とはならなかった。紅い閃光がエリュシオンの駆動部を己の血肉とする刹那、突如としてその煌めきが消失したのだ。
同時に相手の機体から迸る翡翠のエネルギーも空気と融合して散り、それに連動するかのように純白の動きも完全に止まった。


チャージング――全身のエネルギーを限界まで使い果たしたACが最終手段として移行する緊急充電状態。
オーバードブーストの乱発で限界を超えた機体が最低限の機動を保つ為に勝手に決定した独断行動が自分の命を繋ぎ止めたのだ。
その後、間髪入れずにエリュシオンのブレードが左腕とコアを盛大に切り裂いて試合は終わった。


数値という結果だけ見れば順当な勝利と言えた。だが違う。半ば奇跡にも等しい出来事が無ければ自分は間違いなく死んでいたのだ。
久しく忘れていた死に対する恐怖感。それが紙一重で現実になっていたという思いがアゼルの身体を震えさせ、
その感覚を植えつけたと思われる男が、やる気を削がれたといった表情を目の前で見せつける度に、彼の心は乱れに乱れていく。
ラスティがそのふざけた表情を保ったまま、アゼルに対して再びその余裕の視線を浴びせかけてきたのはその頃だった。

「それにしても、えらくやばかったじゃないか。お前みたいな奴が珍し――」
「一体どういうつもりだ……!」

ラスティが言い終える前に、アゼルは乱れきった心のままで溜めていた感情を吐き出す。
もたれかかっていた手すりから離れた為に、全体重の重圧がふらついていた下半身に掛かってきたが、
ラスティに対する純粋な憎悪を力に変えて彼はそれに耐える。だがその威圧を浴びた本人から返ってきた反応は、
「……何が?」と、ひどく呆気無いものだった。

「こんな事をして何になる!」

意外な返答に燃え滾る衝動が少しばかり削がれたが、負けじとアゼルは再び吼える。
だがラスティの反応は変わらなかった。よく見れば彼にはむしろ困惑という色さえ表れ始めている気さえした。

「だから何が?」
「何故あの機体にお前が乗ってたんだ、って聞いてるんだよ!」

そんな態度がアゼルの堪忍袋の尾を引き千切ったのか、遂に彼はラスティの傍まで歩み寄り右腕で胸倉を掴み揚げ、
心の中で集約させた言葉を唾と共に投げつける。だが相手を挑発させるつもりで吐いたその台詞も、やはりラスティの真意を掴み取る事が出来なかった。

「……は?」
「とぼけるな! あんな動きができるのはお前くらいしか――」

噛み合わない論争、ラスティの表情に濃く表れる困惑。それらを垣間見たアゼルの身体から居場所を無くした憤怒の感情がまた少しだけ虚空へ去る。
僅かに現出した彼の迷いを瞬時に見抜いたのか、ラスティは自身の襟を掴む腕をすっと払いのけ、
乱れた衣服を整えながらアゼルの凛とした瞳を見据えながら、迷いを孕んだ表情そのままに口を開いた。

「待て待て待て、少し落ち着け。タイムだ、作戦タイム。何が言いたいのかさっぱり分からん。あれに俺が乗ってたって?」
「……そうだ」
「馬鹿かお前は。どこからそんな考えが出て来るんだよ……。対戦相手の名前くらい読めるだろ。学校ちゃんと行ったか?」
「え?」

嘘をつくな、と激昂しようとしていたが、突きつけられたその一言でアゼルの瞳から急速に力が抜けた。
代わりに灯った感情はまるでラスティに感染させれたようなのような困惑。
それはアゼルの思考に別の何かが胎動した瞬間でもあった。新たに生まれ出でたそれは激しく燃える炎に大量の水をかけたように、
放つ矛先を無くしたアゼルの怒気を急速に収縮させ、彼の身体に先程とは比較にならない疲労感だけを燃えかすとして残す。

「一応言っとくが、俺はずっと試合を観戦してた。千人単位で証人もいる」
「そんな馬鹿な話が……。それじゃ、あれに乗ってたのはお前じゃ無い?」
「さっきからそうだって言ってるんだけどなぁ。何なら入学届でも書くぞ?」

その何かの正体は二つあった。一つは記憶に現存するまばゆい輝きを見せる数分前の映像に埋もれていた相手の一言。
散らかった塵を掻き分けるようにすくい取って覗き込んで見ると、
それはラスティにはとても似つかないような青年らしき人物が零した「くそっ! ありえねぇだろ、こいつは!」という悪態だった。
事実かどうかをアゼルが自分自身に問うと、確かに自分はその声を記憶に焼き付けていると答えた。それこそ一字一句間違う事無く。


決定的な見落としに気づいた瞬間にアゼルは全ての感情を霧散させていた。要は自分の単なる勘違い。
相手が戦闘中に見せた突然の変貌が脳回路の混乱を引き起こし、それが断片的な記憶を一時的に奪い取っていただけ。

「あ……」
「納得したか? あ、だからお前、あいつにも容赦無かったんだな」

最悪だった。あまりにも馬鹿馬鹿しくて言葉も出ない。思わず間の抜けた声が自身の喉から零れ落ち、
急に気恥ずしくなった表情をうつむいて覆い隠すアゼルを見ながら、妙に納得した面持ちで、

「なるほど、なるほど」

とラスティが妙に清々しい表情を見せる。その顔を見ればこれこそが彼の本題だったと理解できる。
何故自分は本気、いや、それ以上の力を出していたのか? 答えは相手がラスティという男が目の前にいると思ったから。
だがそれは間違いだと分かった。彼は初めからACなどには乗っていなかったのだ。
となると自然に乗っていたのは、ラスティではない全く別の誰かという事になる。


その事実がアゼルをさらに病ませる二つ目の原因。ありえないと確信していた“第四者”の存在だ。
ラスティでも“奴ら”でも『亡霊』とも称される現王者の“あのレイヴン”でもない別の誰かが、
彼らと同等の力を持っているという事実。同時にラスティがこんな不自然な試合を用意した意図も読める。
彼は試したのだ。その存在にどれほどの力があるのかを。そしてその相手としてあろうことか自分を使った。だが何の為に?

「ま、勘違いでも何でも勝ったんだからお前も文句無いだろ?」

アゼルの意図も判別しようとしないまま、再び余裕溢れる微笑が彼の口に描かれる。
己の思惑が果たされた所為か、そこから発せられる声色も同じく軽やかだった。

「それは……」

ぼそりと何かを言いかけるが、こうなってしまったラスティには何の効果も無いとアゼルは飛び出す寸前だった言葉を飲み込んで消し去る。
もう自分からは何も言えないという意思を彼に示しつつ、彼はその眩しい視線に耐え切れずに下に視点を落とした。
下では何やら他の機体の整備をしていた者達が何かを話しながら、血相を変えて一点に集まっていた。
何かあったのか、と不審に思い恐る恐るその方向を覗き込もうとした刹那、

「こっちも今日一日で相当儲けさせてもらった。これで互いに気持ち良く本題を始められる、そうは思わないか?」

不意に呟かれた言葉がその行動を中断させた。言葉の節々にさっきとは違う真剣味が詰まった声。
その感覚が空気に混じり、アゼルの鼓膜を震わせた事で彼はラスティの意図を理解し、あまり突き合わせたくない視線を交差させる。

「それに――」
「おい、お前ら! 医務室から人呼んできてくれ。それと担架でも何でもいいから持って来い! 今すぐにだ!」

ラスティが沈黙を破るように言葉を紡ごうとした瞬間、二人だけの一時をを阻害するように周囲を震撼させる絶叫が響き渡った。

「……何だ?」

低く発せられた怒号がラスティの何かに強く作用したのか、彼の周囲にある空気が確実に変化していた。
一点の曇りも無い瞳、全身から滲み出る自信、己の行為に一切後悔などしないと決意した表情。それら全てが彼の顔から一瞬で消え、
アゼルの目にどこにでもいるような男の顔を映す。そこにはとてもではないが凝視する事なんか出来ない男は存在していなかった。

心当たりの無い喧騒に二人が同時に疑念の言葉を漏らした。不意に先程の整備士達が見せていた只ならぬ様相が網膜に再投射され、
先程アゼルが視線を合わせようとした場所まで移動させようとする。

「ミーシャ」

恐らくはその轟音を放った張本人であろう名前がラスティの口から零れていた。その声を背中で受け、
アゼルは少し前には完全には知覚出来なかった光景を遠目から見る。その先にあったのは、
多数の人だかりが一機のACの足元に群がり、丁度自分達がいる整備用通路と同じものの上に立つ数人の人間が、
必死の形相でそこから一人のレイヴンを引きずり出している姿だった。

「まさか、あいつ……」

ラスティも同じ光景を視界に入れたのだろうか。状況から考えて何らかの問題があったレイヴンとは恐らく自分の相手だった人物に違いない。
後方にいる男にその見解を確かめようと振り返ろうとした一瞬の合間に、凄まじく強い金属音が連続してアゼルの聴神経に響いていた。


まさに驚愕の速さだった、彼が振り返った場所にいた筈のラスティは既にそこにはいなかったのだ。
アゼルが呆気に取られ視界を目まぐるしく動かして探しまわった結果、彼は階段の中段を駆け下りていた。
しかしそこまでに掛かった時間はほんの数秒ほどしかない。まさにACのブースターでも利用したかのような圧倒的速度だ。
向こうで起こった騒動が彼にとっては相当の衝撃だった、という事だろうか?

「悪い、いろいろと時間掛かりそうだ。少し間を空けてから事務所まで来てくれ、いいな?」
「えっ? お、おい!」

一方的に連絡事項だけを淡々と叫びながら素早く階段を下るラスティの表情には、余裕という感情は微塵も表れてはいなかった。
いきなり受けたその指示に戸惑うアゼルの顔も一度として見る事無く、彼は速度を緩める事が無いまま地面に到達する。
そこからもやはり速い。アゼルが問いただそうとした頃には、もう彼の姿は豆粒大の大きさにまで縮小していた。
何がラスティをそのような行動に駆り立てるのか、それを理解できない彼には走り去るその背中を呆然として見つめる事しか出来ない。


信じられなかった。先程まで崩れもしないと思われた漲る自信の塊が一言、たった一言で崩れ去ってしまった。
己の持つ冷酷という仮面と同質の仮面が剥がれ落ちた瞬間をアゼルはその目で捉えていた。


剥がれ落ちた仮面の先にあったのは恐怖。ラスティの表情の奥底には何かに怯える彼の顔が存在していたのだ。
あの表情はとても演出などではない。想像していなかった現実が彼をも襲ったのか、それとも彼自身が恐れていた事が現実となってしまったのか、
それははっきりと断言出来ないが、それでも、ラスティの中にある完全無欠と思われた絶対的な象徴を引き摺り下ろした事には変わりない。


人などでは到底予測できない未来という名のシナリオ、それが現実だとでも言うのだろうか。
自分も、あのラスティでさえも読み取れない運命の輪に皆が踊らされようとしている。
しかしそれはまだ動いてすらいない。だがその歯車を廻す為の新たな油は今この瞬間にも注がれているのだ。
誰も逃れられない舞台の幕を上げる為の歯車。彼も現実という壮大な舞台を前にすれば、所詮はそれに忠実に従うただの駒でしかないのだろう。


そういう事なのか? 誰に投げかけた訳でも無い疑問をアゼルは前方の空気に向かって投げつける。
当然答えなど返っては来ない。その答えは誰が与えてくれるものでもない、与えてもいけない。
その疑問を肯定するか、否定するかは自分自身がその正解を導き出していくしかないのだ。


まっすぐ見据える先にいた漆黒を眺めてそう結論付けたアゼルは、その時初めて自分がまだパイロットスーツを着たままだという事に気づいた。
そんな記憶も失ってしまう自分の直情ぶりに軽く苦笑して、彼はそれを脱ぎ捨てる為にようやく階段の一つに足をそっと掛ける。


今起こっている騒動が何の後腐れを残す事無く終焉に向かう事を微かに願いつつ、
彼はたった一人で誰もいない空間の中、黙々と足を動かしていった。



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