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10.


『最後の最後で、そんなこと言わないでよ。“ユウ”』

その言葉を最後に鮮明だった視界が突然闇に染まる。だが、瞳に映されていたものが突然消失したことにも、青年は至って冷静だった。
自分はただ夢から覚めただけ、そう己に言い聞かせ、彼は急な場面転換に動揺する自分の心をいとも簡単に落ち着かせていた。


目を見開いた先に彼が求める光は殆ど存在していなかった。朦朧とする意識が徐々に覚醒していくと共に、
自分が今どこで何をしているのかが少しずつ認識されていき、彼は狭い檻の中で束縛されていたことを思い出す。彼はACのコクピットの中にいた。


彼を待っていたのは、瞼の裏に広がっている暗闇と同質の黒。しかし、そこには目を閉じた時とは明らかに違うものがある。
青年の身体や表情がほのかに照らされていた。それは各計器から漏れる鮮やかな翡翠の輝き。全システム異常なし――ACが漏らす人工的なメッセージだ。


ACの電源を完全に落としているからこその最低限の灯火だった。周囲に漂う漆黒と比べれば本当に弱々しく、また自然の産物とはとても言いがたい人工的な色。
だが、闇に彩られる空間に、一輪だけ凛として咲くその光は、どこか神聖で崇高に見える。まるで、闇に染まり行く彼をその光がかろうじて繋ぎ止めているかのように。
いつの間にか深い眠りに落ちてしまったのだろう。ほんの何時間前と何ら変わっていない様子を確認した青年は、瞼を閉じてその淡い光を遮断した。


あれは全部夢だったのか? 青年――ユエルの思考にあった想いは、純粋にたったそれだけ。まるで彼がいるこの場所の方が虚構である、
と主張するかのような自意識の傾きぶりに、彼は少々戸惑いを覚える。しかし、独特な機械臭、および彼が着ているパイロットスーツの窮屈さは決して虚構ではない。
それらを証拠にして、自身の内に蔓延する誤りを一瞬で正した彼は、改めて別の理由で神経を尖らせた。先程まで見ていた夢がどうしても気になってしまったからだ。


……温かい夢だった。簡潔に説明するのであればこの表現が最適だろう。しかし、夢というものは時間が経てば経つほど頭の隅から薄れ去っていくものである。
捕った魚の鮮度が時間と共に落ちていくのと同じように、夢の記憶も、それと同じようにすぐに失われていってしまう。やはり相当の時間が経過していたらしく、
彼が拾い上げた記憶の断片は、具体的説明など到底できないほどに欠落だらけだった。けれども、そんな欠陥だらけの絵柄にも関わらず、彼はそれを温かいと感じた。
得体が知れず、判別などできそうにもない何かが、彼の中にそう理解させていた。


今のユエルにないもの。それが彼が見た夢の中にはあった。ユエルの前には彼よりも年配に見える男がいて、その隣にはユエルと同年代らしき女がいる。
そして繰り返される他愛無い会話。男がユエルに話題を提供し、素っ頓狂な答えを彼が返すと、横で聞いていた女が盛大に笑う。
その声を受けて徐々に顔を紅潮させていくユエルに、さらなる追い討ちを掛けるように男もまた腹を抱えて笑う。そんな光景が彼が見ていた夢の全貌――。


またいつもと同じ夢。性懲りもなく繰り返されるそれにうんざりして、ユエルは深い溜め息を一つ吐いた。
あと何回、自分はこの夢を見続ければ満足できるのだ? もう二度と訪れることのない過去に浸るこの瞬間をあと何回……?
こんなことは無駄でしかないと理解している筈なのに。それでも彼はこの過去を、この夢を切り捨てることができずにいた。


それだけが彼の凄惨すぎる過去の合間に与えられた、唯一の安らぎだったのだ。冷徹な戦闘人形と化していた当時のユエルを更生し、
彼に人間らしさというものを植えつけた瞬間。数年間の短い期間だったが、それでも彼にとっては永遠に思えた一時だった。
自分が自分であると認識できるようになったのも、彼らがいてくれたおかげ。そんな彼らを忘却の彼方へ捨て去り、
全てをなかったことにするなど、彼にはとてもできなかった。それだけが自分が自分であることを定義できる証なのだと知っていたから。


そんな過去に拘る自分を毛嫌いする自分がいれば、その過去を決して離さずにしまいこもうとする自分もいる。
救いようのないほどの優柔不断ぶりが自分の最大の欠点であることも既に自覚している。思い出を思い出として認識できず、その思い出の中にただ閉じ篭もる自分。
止めようと思ってもどうしても止められない。理由は簡単だ。彼はそれを捨てた未来を恐れている。現実を直視するのがどうしようもなく怖いのだ。


終わりの見えない堂々巡りを延々と繰り返す毎日。しかし、今日もまた答えに辿り着かなかったという歯がゆさを感じる反面、
一生答えが出なくて良いと思う自分も存在する。都合の良い二律背反を自らの手で創り上げ、そこに逃げ場を求めるのがユエルという男。
軟弱で度胸のない卑怯者、誰かがそう彼を罵っても、彼は恐らく反論一つ漏らさずその言葉を肯定するだろう。


これでは自分が憎む“臆病者”と何も変わらないではないか。と、思わず飛躍しすぎた感情が、全身から漏れ始めてきたことに気づいたユエルは、
慌ててその思考回路を遮断しようと努め、瞑り続けていた瞳を再び開いて、その先にある光に思考の逃げ場を求めた。


時間にしてほんの数十秒にも満たなかった思索の時間。当然、そんな短い時間の合間で、彼の顔を照らす光が変化する訳もない。
と、思い込んでいたユエルだったが、目の前に現れた光景は何かが違っていた。咄嗟には分からないほどの微小なものだったが、やはり何かが以前と違う。
全身が警鐘を鳴らしている。それほどの異常事態なのだ、とユエルは即断し、十分な確信を孕んだ瞳を周囲に展開して元凶を辿った。


彼の視界に入ったのは等間隔に点滅を繰り返す赤色の信号だった。黒と緑しか存在しない筈のコクピットに不意に現れた赤、それが違和感の理由。
それが灯っている場所に幾つかの心当たりを持つユエルは、無心でその場所に手を伸ばし、肌に触れた突起物を少しだけ押し込んだ。


「もしもーし! 無視するなぁ!」


ボタンに僅かに圧力を加えた後に、全く予想していなかった大音響がコクピット内を大きく揺らす。鼓膜が耐えられる許容範囲ギリギリの音量に驚いたのか、
無意識にユエルの身体がビクリと上下する。不意に頭の芯に染み渡った耳鳴りも彼に苦痛を与えた。
防護ヘルメットを被っていなかったことがそもそもの間違いだ、と己をたしなめたユエルは、とりあえずの反応をスピーカーに返すことにする。

「……ちゃんと聞こえてるよ」
「そりゃ良かった。で、何でこんな大事な時に通信機の電源切ってるわけ?」
「いやそれは……。何となく」

あんたのやかましい声を聞きたくなかったから、とはさすがに言えなかった。ユエルとてそれくらいの常識は弁えている。半日近く掛かる長旅の間、
声の主の数時間ぶっ通しで回り続ける口にうんざりした結果、そんな地獄からの脱出口をACのコクピット内に求めた、ということも当然秘密だった。


澄みきったソプラノが、スピーカー越しから漏れる声からはっきりと確認ができ、その声の主が女性であることを示してくれている。
天真爛漫、一声聞いただけでそんな熟語が先立つような女性。彼女と今日初めて顔を合わせた時にも、ユエルは今と同じ印象を持った。

「あ、もしかして緊張してるとか!」
「してない!」
「だよねぇ。さすがにそれは無いか」

だからなのか、そんな大して心配していない声色を聞くうち、ユエルはいつの間にか、彼女も彼と同じレイヴンであるという事実を忘却させられていた。
これから共に戦場に降り立つという身なのに、彼女のこの余裕っぷりは一体何なのか。とても戦地に赴く寸前の心情とは思えない程の機嫌の良さ。
それとも本当は恐怖に慄く自分自身を隠し通すのが巧いだけなのか。どちらにしても並の神経ではない。そういう意味で考えれば、彼女は間違いなくレイヴンだった。


だが、何も知らない他人が見ればユエルも十分彼女と変わらない。半月前までは病室のベッドで寝ていたにも関わらず、
今の彼は何事もなくこうしてノヴァのコクピットにいるのだから。彼女の言葉に困惑する表情の傍には、しっかりと余裕が張り付いている。

「でも一応は心配してるんだよ? 前の試合でボッコボコにされて、自信なくしてるんじゃないかなぁって思って」
「……そりゃどうも。親切なお気遣い大変感謝致します」

そんな余裕も問答無用で剥ぎ取っていくのが彼女だった。苛立ち混じりで吐き捨てた台詞と共に、ユエルは再び通信機の電源を閉ざして、
彼女が放つ言葉の嵐を阻む。甲高い音が即座に掻き消され、数瞬前の静寂が先程と同じように彼を再び包み込んだ。


復帰一発目であるこの依頼を選んだ理由は大まかに分けて二つある。一つは単純に楽そうだったから。
防衛や護衛系のように余計な気を揉む必要がないのは何よりの救いだし、依頼の頻度も非常に高い。
二つ目はもっと単純だ。内容の割には中々の高報酬だったから、ただそれだけである。儲けるならば楽な方が良いという誰かの自論が彼にも作用したらしい。
その結果ユエルは失態を犯した。目先の利益に目が眩んだ為、彼は同業者がいるという付属語を見落とすという致命的なミスをしてしまったのだ。


そして訪れた結末がこれ。とてもレイヴンとは見えない無邪気な声で「よろしくぅ」と話しかけられた時、ユエルは己が招いた失態を真剣に呪っていた。
悪いのはそれだけではなかった。あろうことか、彼女は彼が戦った“あの試合”を観戦していたと言うのだ。


彼女曰く、大ファンであるラスティに会えるかもしれないという一途な思いを込めて、親友と向かってみたは良いものの、
見せられたのはあまりに面白げのない白と黒の攻防。一方的過ぎる展開に興ざめし、彼女は“その時”が訪れる以前に席を立ったのだと言う。
自分の親友が何かを貰ってきてくれたことをしきりに自慢していたが、その頃のユエルは事実を聞いて唖然としており、彼女の言葉を聞く余裕など微塵もなかった。


その事実が今の状況を創り上げている。彼女が何も見なかったということ。それは即ち彼女が持つユエルの印象は、
上位ランカー相手になにもできずに敗退した田舎者レイヴン程度でしかない、ということを表していた。
彼女がこうして意気込んでいるのも、そのような裏の理由があるからなのだろう。全くもって冗談ではない。


だがどういう訳か、ユエルはそれを無視できなかった。純粋に迷惑な筈なのに、彼は必ず彼女の言葉に何らかの返答を返してしまう。
おかしい、自分の中の何かが激しく狂っている……。覇気にまみれた声に調子を崩され、いつもの様に意識を集約することもできない現実が彼にそう告げる。
自分ではどうすることもできない歯痒さを感じつつ、ユエルは彼女が自分の何に影響を与えているのかを、そこで初めて考えることにした。


互いに上辺だけのレイヴンネームを背負い、上辺だけの薄い繋がりで背中を預けあう。僚機で出会うレイヴンの関係なんて所詮その程度、
それ以上でもそれ以下でもない。けれどもこの出会いだけは違った。初めて彼女と対面した時、彼は何故か彼女の顔から目を背けられなかった。
そして彼女もまた彼の顔に釘付けにされていたようだった。それだけを見ても彼ら二人の関係は、とても上辺だけと言えるようなものではない。


まるで、二人とも忘れていたなにかを思い出そうとしているかのようだった。つい最近まで一緒にいたような親近感。
「初めまして」ではなく「久しぶり」、思わずそんな先走った言葉を吐きそうになった自分を押し留めながら、ユエルはなんとかその場を凌いでいた。


思い出せば思い出すほど、おかしな状況が沸いて出てくる。彼は全体重をシートに預けた。そうすれば身体中に染み渡っているこの感情が、
少しでも薄らいでくれるのではないか? と思ったから。確信などなかったが、彼は迷いなくその選択を受諾していた。
こんな感情は一刻も早く忘れ去らなければいけない。その為ならどんなことでもしてやる。義務と決意を一緒くたにしながら、
彼は強ばる身体の力を一つ一つ抜いて、いつもの集中に入ろうとする。しかし、その先に待ち受けていた未来は残酷だった。


またしても先程と同じ場所で赤の灯火が光り始めている。けれども、ユエルはそれを憎いとは思わなかった、思えないのだ。
このような結果になったのは全て彼に責任がある。たとえ自分の都合が破綻しても彼女に当たるのは完全にお門違い。
彼が安易な衝動に任せて通信を一方的に止めなければ、この点滅信号は灯らなかったのだから。


どうしようもできない現実を見せつけられ、苦言一つ漏らせない今の状況に辟易しながら、ユエルは渋々通信機に手を掛ける。
勿論、その行為の後に急いで耳を塞ぐことは忘れない。それくらいしなければ恐らく自分の鼓膜はもう保たない。

「だから! なんで! スイッチを! 切るんじゃいっ!」

間髪入れずに先程とは比べ物にならない怒声がコクピットという閉所を暴れ回る。
耳を塞いでいても容赦なく鼓膜を激震させる声に嘆息しながらも、彼はどうにかその轟音に耐えることに成功していた。

「いろいろと話さなきゃいけないこととか一杯あるんだからね、そこんとこ分かってる?」
「……一応」
「一応ってなによ、一応って……? んじゃ聞くけど、私たちはこれから何しに行くわけ?」

響き渡る声の圧力に押さえ込まれ、まともな返答すら返せないこの状況を彼女は分かっているのだろうか?
相手の気持ちなど一切鑑みず、一方的過ぎる言動を繰り返す彼女。ユエルが漏らす溜め息の回数は、減るどころか逆に増えている。


まさか連携の取れない一匹狼とでも思われてしまっているのだろうか、と自問してみるも、俺はそんな奴ではない、という声がそれを即座に否定してくれた。
それを今思い知らせてやる、と半ばむきになり始めたユエルは、頭の片隅に置いてある記憶を引っ張り出し、それを彼女の前に突き出してやった。

「俺たちは現在Eー25区画予定地に建造されている地下工業用施設に移動中。そこは昨日から武装集団が占拠していて、俺達の仕事はそいつらの排除及び施設の奪還。施設内には武装団側が雇ったレイヴンが配置されている為に制圧時には最善を尽くすべし。あと地形的な理由により完全な降下は不可能、よって目標地点に辿り着いたと同時に俺たちはこの輸送機から飛び降りる。……こんなもんで良いか?」
「い、良いんじゃない。つーか完璧……」

意図的に吐き出した事務的な声で、ユエルは遂に覇気の篭もっていた彼女の声を弾き飛ばす。
どうせ聞いてなさそうだから代わりに説明してやろう、といった相手側の意図など彼はとうの昔にお見通し。
相手が見ているユエルのイメージというものがますます疑わしくなってくるが、この瞬間はまさしくそれを覆せる好機だった。
だが、追い討ちの言葉を紡ごうとした矢先、何処か意気消沈しているかのような彼女の溜め息が通信機を介して伝わり、彼は胸がざわめくのを感じた。

「納得いかないんだったら徹底的に説明するけど?」
「あ、その……結構です」

相手の予定を狂わせた。それだけで勝ちは決まったようなものだった。勝ち誇るわけでもなく、ただその結果に安堵し、
ようやく普段の自分に戻れる、と、感謝したユエルは幾分かの違和感を滲ませつつも、もう何も考えることなく言葉を重ねた。しかし、

「話ってのはそれだけか?」
「え? あ、いや、それだけって訳じゃないんだけど……」

彼女の返答はユエルの予想としたものとは少し違っていた。彼の耳を震わす彼女の声は慌てている、しかもそれは計画の破綻によるものとは明らかに違う。
むしろ予定が狂った為に、どうにか体裁を取り繕うとして焦っているような、そんな印象を彼は感じた。

「えっと。……戦闘中の呼び方とかどうする?」
「レイヴンネーム」
「う……」

だからこそユエルは理解できない。ほんの刹那の合間に何があったというのか? 彼女は間違いなく彼との会話を引き延ばそうとするようになった。
以前とは違い、容赦なく吐き出される彼女の言葉は明らかに計画性がなくなっている。その度に、彼はその安易な言葉を粉砕するのだが、
それでも彼女の言葉は止まらなかった。何の為に? 何故? まさか、彼女は自分と話したがっている? 
自問の末にそんな考えを見出したユエルだったが、何の根拠もない薄っぺらな結論など、とても信じられるものではなかった。

「そうだ! お互いのフォローとかは?」
「必要ないよ、間に合ってるから」
「あ、そう……。じゃ、じゃあ――」
『レイヴン、そろそろ目標地点に着く。降下準備を始めてくれ』

そんな不可思議な一時に終わりを告げたのは、割り込むようにして入ってきた輸送機の操縦士からの端的な声だった。
「了解」とユエルも似たような感情を込めながら応じる。彼女も数秒前までの動揺を完璧に押し殺し、同じ口調で同じ言葉を返していた。


同時にユエルの指が目の前のコンソール上をなぞっていく。あらかじめ予定された動きを指が忠実に再現し、
AC、つまりはノヴァのメインシステムが、それに併せて静かに立ち上がっていった。その度に黒と緑しかなかった世界に数多くの色が咲き、
ユエルがいるコクピット内を鮮明な世界に染め上げる。次々に現れてくる数字や文字の羅列。それら一つ一つを正確に読み取り終え、
彼は再度、ノヴァの主要回路が正常に起動していることを確認した。既に彼の視界はノヴァの頭部カメラが捉える映像に包まれている。


見えるのは輸送機後方に設置されている格納庫の映像だった。天井に張り付いている照明のおかげで、暗闇を拝むことにはならなかったが、
それでもハッチが開いていない今はやはり暗い。しかも彼の前方にはもう一機のACがある。そのACの背部が彼の視界をさらに覆いつくしていた。


彼の前方に佇んでいる白と薄桃で塗装されたAC<ゲーティア>には、無論彼女が搭乗している。
ノヴァの脚部と根本的な構造が異なる逆関節型ACで、搭載している武装、及び脚部自体のフォルムから重量機であることが窺い知れた。
両肩にはそれぞれタイプの違うミサイルポッドに、細身のマシンガン。そして機動力を捨て、攻撃に特化する為のイクシードオービット搭載型コア。
それぞれの重武装が、このゲーティアの何処か女性的な印象を臭わせる風貌を良い意味で裏切っていた。


眼前に佇むACのそんな分厚い背中を眺めながら、ユエルは先程と同じ疑問に今も悩まされていた。彼女は一体何なのだろうか? と。
言葉や態度だけではない、彼女の行動全てがユエルの頭に絡みつく。真に迷惑なだけというのであれば問題にもしない。無視を決め込んでそれで終わりだ。
だが、今の彼にはそれができない、できなくなった。それはいつから? 全ての調子が狂ったのは、やはり彼女と初めて顔を合わせた時だ。
邂逅が生み出したものは一つの仮定、しかしそれは、思わず笑ってしまうような馬鹿げた仮定だった。


ある。ユエルには思い当たる節が確かにあるのだ。けれども彼は今の今までそれを可能性として持ち出さなかった。自らを癒す為だけに創造されたあの夢。
そこにいた女性と目の前の彼女がどういう訳か彼の中で一致していた。だがそんな胡散臭い仮定をどうして持ち出せるというのか? 
確かに似ている、口調からその風貌まで彼女はかつての“あいつ”に酷似している。それは認めなければならない。だがありえない、ありえる筈がないのだ。

『降下地点に到着。今からハッチを開ける』

思考がさらなる深みへ嵌ろうとした刹那、その一声がユエルを現実へと引き戻す。瞬間、何かが外れる音が外部センサーを通してノヴァのコクピットに届き、
それに連なって前方のハッチが徐々に開き始めた。外界から漏れる光の帯が格納庫内に差し込まれ、暗く陰湿だった格納庫内に新鮮な輝きを侵食させていく。


開閉作業が終わるまでの合間、光の帯は時間に応じてその面積を広げていった。普通ならば急激な日の光に網膜が焼かれそうになるが、
目の前に立つACが上手い具合に盾になってくれており、どうにか目が眩むという現象に彼が襲われることはなかった。
被ることのなかった閃光は少しずつその威力をなくし、代わりに隙間から零れる蒼天の空がユエルの瞳に映っていた。

「よし、んじゃ行きますか」

そんな雲一つない快晴に彼女の弾んだ声がこだました。その声色からはもう迷いは感じられない。
状況が状況であることを彼女も理解しているのだろう。残りを考えるのは全てを終えてから、ということなのか。それはユエルも同感だった。
全ての雑念を振るいに掛け、網に残った極大の意思だけを表面に押し出すこと。幾度となく繰り返してきた手段だ、抜かりはない。だが、

「……なあ」

ユエルは今回に限って押し寄せる感情を捨てきれなかった。噛み砕く筈だった想いが、知らず知らずの内に口腔から滑り落ちてしまった。
「ん?」と彼女が反応してしまった以上、それを回収するなどもはや不可能。既に発してしまった自身の言葉に、激しい悔恨を感じながらも、
もう全てが遅いと悟ったユエルは、さらに零れ落ちる自分の言葉を他人のように眺め、その一部始終を傍観するという苦汁の決断を下すしかなかった。

「何で俺に構ってくるんだ? ……俺たちはただの他人だろ?」
「え?」

予想外の引き止めに彼女も面食らったようで、ゲーティアの動きがピタリと止まった。それも当然だろう、戦場にこれから赴こうとしている相手に、
話しかけるなどという行為が、どれだけ相手の決意や覚悟に水を差すのか、それを分からないユエルではない、言った本人も十分に承知している。
それを重々理解した上で、彼は罪悪感を滲ませた自分の目で正面を見据え、既に飛び降りる寸前だったゲーティアを見た。


真意を問うことはこの時しかできない。この機会を逃せば全てが終わるまで問い質せなくなる。その時、彼や彼女が生きている保障はどこにもない。
だからこそ答えが欲しかった。身体に溜まった不純物を一撃の下に吹き飛ばしてくれるような何かが、今この瞬間に必要だった。
罪悪感を含んだ視線はいつの間にか強烈な意思を放つものになっていた。矛先を向けられた女性は何を思ったのか。
数秒程、白と桃の機体は動きを止めたまま何かを考えているようだった。そして長い数秒間を終えた後、今までに聞いたことのない落ち着いた声が彼の耳に優しく響く。

「それは……。あたしもよく分かんない。ただ」
「ただ?」

ユエルが疑問を重ねた時を同じくして、ゲーティアの脚部が大きく沈み込んでいった。

「似てたんだよ、君が。あたしの昔の仲間にね」

そして反動をつけた機体が中空を舞い、一瞬でユエルの視界から消失した。思わず、待て、と叫びそうになったが、
それよりも遥かに早く、ゲーティアは輸送機の床を大きく蹴って跳躍していた。後方のユエルに重く深いしこりを残したことも知らないままで――。


全てを見透かされたような恐怖を感じた。まさかそんな筈はない。身体が無造作に震え、己の身体を循環していた何かが、
一気に固まって沈殿してしまったような重い衝撃、それが電流となって全身を荒れ狂った。どう対処していいか全く分からないまま、
口腔から次々と溢れ出る唾を飲み下し、ユエルは混乱する頭を沈静化させようと努めるが、それも無駄な努力でしかなかった。


生きていた? いや、ありえない。“あいつ”はもうこの世にはいない。彼女は死んだ。俺の所為で彼女は死んだのだ……。
脳が撹拌されていくような感覚が、さらに心を掻き乱していく。輝き始めた一つの仮定を、否定と言う二文字で断固拒否する自分、
そしてそれを微かな希望として認めようとする自分。両者の言い分に板挟みにされ、どうしようもなくなってしまったユエルは、
最後の手段として、自らで固く封じていた記憶に手を伸ばした。封を切られたそれは、自然と収められている映像を彼の目に映していく。


ここにいれば安全だから――。それが彼女と交わした最後の会話。目前に迫る敵の大群を前にして自分は死を確信していた。
けれども悔いはなかった。少しの間であるが、それでも自分は幸せに生きたのだから。初めからないに等しい者だった自分を、あの二人は変えてくれたのだ。
彼らのおかげで自分は救われた、ほんの少しではあるが変わることができた。本来なら絶対に得られないと思っていた安らぎを得られたのだ。


戦いの中で、ACの中で華やかに散るのも悪くはない。守らなければならない者を守って死ねれば本望だった。
だが、戦いに身を置く中で彼の目に映ったのは、そんな妄想じみた生易しい光景などではなく、ただひたすらに悲惨で壮絶な地獄だった。


ユエルを地獄の底から救ってくれた男も死んだ。自らの身体を挺してユエルを庇い閃光の中に消えていく姿は、華やかでも何でもなかった。
たった一瞬、そんな限りなく短い時間が彼に用意された別れの時間。息が詰まり、口が渇き、心が張り裂ける。まともな思考すら働かない現実に、
ふつふつと燃え滾る想いだけが彼を動かしていた。これが身内を失った者の憎しみか……。彼は生まれて初めて復讐という行動の意味を知った。


気づいた時、彼はそこにいた全ての敵を殺していた。だがその結果として残ったのは、自分の身体に大穴が空いてしまったかのような空虚感だけ。
それでも彼は一縷の希望を抱いて、動かなくなったACを捨て、むせ返るような悪臭を漂わせている大地に足を下ろし歩き続けた。
せめて彼女だけでも。何の罪もない彼女だけは助かっていて欲しい。不純物一つない心で彼は歩を進める間、ただそれだけを願っていた。


だが彼が思っていた場所に建物は存在していなかった。あるのはそこら中に存在する屑と、ほぼ等しい瓦礫の山だけ。
塵芥で埋め尽くされたその場所には、誰一人存在していない。むしろ、人がいたという痕跡すらそこには残ってはいなかった。


事実を知った時、ユエルは自分の中の何かが壊れる音を聞いた。彼女が最後に見せた悲しい表情が頭で弾け、涙が洪水となって溢れ出す。
力なくその場に崩れ落ちた彼の目にそれは溜まっていき、収まりきらなくなった水分が頬を伝わって大地に落ちる。
零れ落ちていく涙の一粒一粒には、彼がそれまでに得てきた様々なものが含まれてるようだった。涙の粒が一つ、また一つと床に染みを作る度に、
彼の中から何かが失われていった。甘い幻想に心を砕かれ、全てを失った青年はまたしても人の道から外れていく。それがこの記憶の結末だった。


そしてたった今、自分は一つの仮定の前に立っている。容姿も性格も限りなく似ている彼女を前にして、自分は確かな希望を抱いている。
だが、それはもう叶わない。真実を知る彼女は、既にここにはいないのだから。降下した後にさらに問い詰める訳にもいかなかった。
降りた先は戦場だ、そんな場所で感慨に浸る馬鹿などこの世には存在しない。となればやはり、残された機会は全てが終わった時だけということになる。


それはユエルに、死ぬ訳にはいかないのは勿論のこと、死なせてもいけないという命題を課すということ。
けれども、できるのか、と自分に問うよりも早く、やるしかない、という意思が放たれ、その問題は自動的に解決に至っていた。

『一機の降下を確認した。次は君の番だ』
「……了解」

全ての論理に決着をつけたユエルは静かにノヴァの足を動かし広大な蒼穹を見る。純粋な空気を肺に取り込み、
身体の中にもう迷いがないかを確かめたが、依然として彼の迷いは膨大な量に及んでいた。可能な限りにそれを掻き集め、
肺に溜まった不要物もろともにそれを虚空へと吐き出す。そして彼はもう二度とその結果を確かようとはしなかった。

「これより、降下する」

全身をバネにしてノヴァが床を蹴る。たちまち純白の機体は青空の中に光る染みとなり、空という壮大な一枚絵に一つの特徴を残した。
しかし呑気に景色を眺める余裕はなかった。即座に猛烈な重力が一気にノヴァの全身に絡みつき、鈍重な機体を地面まで叩きつけようとする。
教科書通りにブースターを利用して、そんなおぞましい結末にならぬように努めるユエル。その瞳には既にいつも通りの確かな覚悟が宿っていた。
邪魔なものはたとえ何であろうと消去する。いつもと変わりないそれを胸に抱いて、彼はノヴァが地上に達するまでの間、ただそれだけに全神経を注ぎ込むことにした。





「入り口ってここだよね?」
「ああ、間違いない」

生い茂る木々の中に一つだけ緑を大きく伐採した跡があった。小高く連なる山々の麓に残る生々しい傷跡のようなそれは、高高度からでも容易に発見できた。
無数にあった筈の木々の根を無造作に引き抜いた時にできた跡が至る所にある。何かを建設する訳でもなく、また舗装する訳でもない。
ただ掘り起こしただけの禿げた丘陵。そんな抉られたままの無残な大地に一箇所だけ、ユエルそしてもう一人の彼女が欲していたものがあった。


本来の土の色とは明らかに違う金属特有の光沢、それが黄褐色の土壌の中に埋め込まれている。ACまるまる一体を余裕で収納できる大きさのそれは、
今回の任務の目標である地下施設に複数設置された緊急脱出用ダクトの一つで、緊急時に対する人員の退避用に建造されていたものだった。


その物体を中心に周囲を警戒し始めた両者は、もう互いを詮索しようとはしなかった。油断すれば飛び出してしまうような感情を心の端の端に追いやって、
彼らは素っ気ない関係を上手く演じている。必要最低限の会話で情報をやりとりする姿は、確かに表面的で薄いものにしか見えなかった。

「地上では敵の攻撃は一切なし。単に偶然か、それともわざとか……」
「どっちでもいいさ。それにもう悟られてるって考えた方がこっちとしては戦いやすい」
「そうだけどさー」

油断して敗走するよりかは、あらかじめ最悪を想定していた方が良い、と誰かが言っていた。ユエルは不意に思い出したその言葉を反復し、
己の中で今後の予定を練り上げていく。目の前には事前に用意されている施設の見取り図、及び配置された敵の種類が記載されたデータが、
コクピット内のディスプレイに表示されていた。その一つ一つを頭に叩き込みつつ、ユエルは普段通りの行為に入る。


ただひたすらに見る。彼が行う行為の正体だった。ありとあらゆる情報を頭に詰め込み、未来の行動を事前に決めてから行動に移す。
非常事態など関係ない、それすらも情報の一端として既に組み込まれているのだから。これから戦うべき相手の特性、欠陥などを理解できる範囲で、
徹底的に把握し、戦闘中に行う思考を限界寸前にまで削除する。過去、考えることすら否定された世界を生き抜いた彼が得た戦闘術。
極限まで研磨された分析力と、一瞥で相手を見透かす洞察力、それこそがユエルの持ちえる最大の武器だった。


しかし、それはこのような戦場でしか効果を発揮しない。ユエル自身の感覚が、この瞬間だけは異常に研ぎ澄まされることに原因があり、
危険性の少ないアリーナなどではその力は殆ど効果を示さない。だからこそ、先日の戦いでの力の発芽はまさに例外中の例外だと言えた。

「それよりも、このポイントで二手に分かれるっていうのはどうだ?」

その力がユエルにある一つの問題点を指摘していた。彼は即座にコンソールを叩き、見取り図における問題箇所をマークする。
そしてその情報を彼女がいるゲーティアの端末に転送し、彼女からの反応を待った。

「えっと、ここか。うーん、施設の奪還ならまだしも、依頼内容が排除目的ってことを考えたら、確かにその方が良さそうかもね」
「決まりだな。じゃあこのポイントに着いたら俺は左に行く。あんたは右。それでいいな?」
「オッケー。って左? そっちはもしかして――」
「なら、もう俺は行くぞ」

了承の意を彼女が漏らした時、既にユエルはハッチの起動コードを打ち込んでいた。容易周到な依頼主から事前に得ていたそれを、
何の変更もされていない防犯装置が当然の如く受け入れる。次の瞬間、それは馴染みの信号の到着を歓迎したのか、扉は疑念一つ持つことなく銀色の口を開けた。
それが広がれば広がるほど、一度入れば二度と抜け出せないような深遠の闇が顔を出し、獲物を求めるかのような大口をまざまざと見せつける。


「ちょ、ちょっと!」という制止は聞かないことにして、ユエルは臆することなくその闇の中に身を落とした。瞬間的に視界が黒に染まり、
自分が何処にいるかの判別ができなくなる。暗視センサーが自動的に作動し、視界不良状態での任務遂行という恐怖を拭い去ってくれたが、
敵が存在するということは何らかの照明が必ず存在する、ということを見抜いていたユエルは、ディスプレイに灯る薄いグリーンの光に何の感慨も持たなかった。


予想通り長いダクトを降下し終えた後、視界を覆っていた光が消え普段通りの光景が映る。ブースターで降下速度を調節しながら
その場所に降り立ったノヴァと共にユエルは、無骨な灰色の柱、冷たい印象を植え付ける小汚い銀色の壁、
所々に置かれた廃棄物とおぼしき濃緑の箱などを頭部カメラを介して確認する。既に視界は本来の色を取り戻していた。


何の変哲もない工業施設。だがもうここは戦場である。その地に自分は足を踏み入れた。ここからはたった一人の戦い、
助けもなく、己の力だけでしか道を切り開くしかない残酷な世界が待つのみ。そう意図的に自らを追い込み、彼は意識を高めていく。


あと何秒かすれば、彼女が降下してくる。だがそれを待つ気は彼にはなかった。意識を一つに集約させた瞬間、彼から全ての表情が消える。
そして間髪入れずに、彼はコクピット内のペダルを踏み潰さんとする勢いで押し込み、ノヴァの機動力を爆発させた。
溜め込んでいたエネルギーが背部から一斉に放出され、純白の機体が一瞬にして高速へと至る。


何枚もの扉を潜りつつ、ユエルはディスプレイとレーダーに目を配りながら前に進み続けた。敵は既に捕捉しており、先程彼が指摘した散開地点、
そこからさらに奥のエリアに無数の光点が光っている。そしてその中には一際大きい輝き――ACの存在もあった。


もしこの中に突っ込むのがノヴァ一機だけならば、状況はかなり悪くなっていたに違いない。どちらに進んでも、敵と交戦するうちに、
もう一方の集団が裏に回りこんで挟撃の形を取ってくる。狭い空間で挟み撃ちにされては状況は最悪だ。そうでなくても地の利は完全に相手側にある。
そういう意味で言えば、依頼するレイヴンを複数に設定した依頼主の思惑は正しい。壇上での予想を、ほぼ全てを的中させている依頼人に、
僅かな尊敬の念を含ませながらも、怜悧な氷と化したユエルの視線は真っ直ぐ正面を見据えたまま動かない。


問題に挙がった散会地点でも、彼は迷うことなく機体を左にスライドさせる。と、とある扉に辿り着いた時点でノヴァが止まった。
レーダー、そして肌を刺すような殺気がその奥に何があるのかを教えてくれた。敵がこの先にいる、この重く分け隔てる壁の向こうに。


数秒ほどの間を置き、ユエルはその扉を開く。そして僅かな隙間が現出した刹那、
既に触れていたトリガーにさらなる圧力を加えた彼は、同時にその命令を受け取った各回路が破壊的な物体の解放することを了承していた。


発射されたのはノヴァの肩に装着されているミサイル。あらかじめ狙いを定めて発射された三発は、開き始めていた扉の隙間ギリギリを縫うようにして、
隣の区画に入り込み、ノヴァの迎撃を任されていた三機のMTの内の一機に突き刺さる。不意を突いた一撃は、
呆気に取られていただろうパイロットの命をMTごと粉砕し、数分前までは静寂であった空間に爆炎と轟音の狂い染みた音を響かせた。


ユエルの扉を介した急襲はまだ終わらない。ミサイルが白煙をたなびかせていた頃、ノヴァは新たな獲物に照準を合わせていた。
扉が半分ほど開く刹那、この場の主役となっているミサイルが敵の視線を釘付けにしているのを良いことに、
ユエルは誰にも気づかれることなく、十分に狙いを付けた両腕の銃器を別の一機に向け、その引き金を引き搾っていた。


ミサイルによって一機のMTが爆散するのと、もう一機のMTがコクピット近辺に複数の弾痕を刻んで崩れ落ちるのは、ほぼ同時だった。
ノヴァは扉越しから一歩たりとも動いていない。ただ上半身を動かすだけで二機の敵を屠った。後に残る面倒な敵を相手にするのに、
邪魔な存在だけを綺麗に剥ぎ取ることに成功したユエルは、改めて雑魚ではない確かな敵を画面越しに睨みつける。


今しがた破壊した量産型MTなどではない、それよりもさらに戦闘力を特化させた重装型MTがノヴァの眼前に聳え立っていた。
ACに近い防御力を供え、機動力もMTからすれば並以上。左手に分厚い実弾シールドを持ち、右手には身の丈ほどのバズーカ砲を装備している。


そのバズーカの銃口が向けられた刹那、ノヴァは初めて自らのブーストを解放し、既に鼻先まで迫っていた榴弾をかろうじて避けた。
同時に敵のMTもノヴァに向かって突進を開始する。鉄屑に等しくなった元MTの残骸を何の躊躇もなく弾き飛ばす姿は、その巨体と併せて猛牛を連想させた。


右腕のライフルと左腕のスナイパーライフルがその突進を阻もうと励むが、残念ながら敵を止めるまでには至らなかった。
コアの部分に大きさの違う弾痕を刻んだだけで、敵の速度は衰えを見せず、逆にノヴァの銃撃に見事耐え切ったその強固な装甲は、
あろうことかノヴァの懐にまで到達してしまった。避けろ、という判断を下すよりも敵の攻撃の方が僅かに早かった。
身を覆いつくすようなシールドをかざしたMTの体当たりがノヴァのコアに食い込み、その衝撃はいとも簡単に流線型のコアに大きな歪みを刻んだ。


押し潰されるような振動。それにより器官という器官が振り回されるような感覚にユエルは苛まれる。勢いを減算させる為に咄嗟にバックブースターで後退したが、
それでもこれだけの衝撃だ。しかし、衝撃で仰け反っていたノヴァにさらに予想を越えた追撃が迫る。


間髪入れずに放たれた榴弾が歪んだコアをさらに傷つけた。無防備な一撃が純白のコアに深く突き刺さり、今度こそユエルはコンソールに頭をぶつける。
敵はAC相手でも臆す気配を見せない。やはりプロか、とコンソールに顔を埋めたまま、思考の淵でその結論に達したユエルは、
コクピット内に響く警告音、そしてそれが戦闘続行に支障がない事実を確かめると、ノヴァは体勢を元に戻し距離の離れたMTの姿を翡翠のバイザーに映した。
見るべきものは見た。体当たりとバズーカの一撃はさすがに堪えたが、対処法を見出す為の代償としてはまだまだ安すぎる。


体勢を整えたノヴァが肩からミサイルを撃つ。炸薬を満載させた筒状の物体が、白煙をたなびかせて敵に近づいていったが、
桁外れの破壊衝動を撒き散らすそれを、相手が素直に受け入れてくれる筈もなく、敵MTは模範的な機動で放たれた三発の内の二発をあっさりと回避してしまった。
一発が直撃するものの、それはきちんとシールドで受け流されている。避けきれないと踏んだその一発を防ぎきったパイロットの手腕、
そして研ぎ澄まされた判断力。とても素人ではできないそれらの技量は、やはり賞賛に値するものだった。


だがそれだけ。防ぎきったという安堵を感じる暇など敵には微塵もなかっただろう。次の瞬間には上空からのミサイルの雨が降り注ぎ、
連続した衝撃が、自慢の強固な装甲を何度も打ち据えていったのだから。一発目のミサイルに内蔵された炸薬で頭部が剥ぎ取られ、
二発目で脚部がその衝撃の重荷に耐え切れず小枝のように折れる。体勢が崩れた体躯に残りのミサイルが次々と叩き込まれ、
荒れ狂う炎と衝撃で歪んだ自身の堅固な装甲が内部機構、そして乗っていたパイロットをも押し潰す過程は、まさに一瞬の出来事だった。


苦し紛れにミサイルを撃ったと見せかけ、相手が回避行動に躍起になっている刹那で上空に回りこむ。
後は連動ミサイルを交えた全てのミサイルを叩き込めば、全てが勝手に終わってくれた。直線的な攻撃に徹していた、いや、徹するしかできない機体の欠陥。
それが決め手だった。良いも悪いもない。性能の違いという超えられない壁に相手も屈してしまった、ただそれだけのこと。


断末魔すら叫べなかった者達、機体の残滓から零れる炎が彼らの為に葬送曲を奏でているようだった。
だがその場に降り立った純白のACは彼らを導く天使ではない。むしろその逆、崇高な天使の衣を纏った悪魔と言った方が良いのかもしれない。


現にそのACは、彼らの名残を一瞥すらすることなく走り去っていった。こんな光景をこれから幾つも直視しなければならない身にとって、
今、目に焼きついている光景は単なる結果の一つでしかないのだ。これからこの何倍、何十倍もの炎が咲き乱れる。
それは戦いに関わる者ならば決して避けられない末路。それを否定し、先延ばしにする為には、勝ち続け、そして生き続けるしかない。
だからこそ余計な感慨は不要。少なくともそれが今のユエルにとっての不変の真理だった。


再び高速と化したノヴァを操り、彼はさらなる奥地へと入り込んでいく。レーダーには新たな機影が幾つも表示されていたが、
その中に一際大きく輝く光点が存在していた。そしてコクピット内に一つの警告音が鳴る。
『AC確認』。無感情なAIが告げる言葉にもユエルは微細な反応すら示さなかった。まるでそれすらも結果の一部でしかないかのように……。



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