ARMORED CORE Stay Alive TOP

11.


MTが撒く無数の弾幕が随所で轟き、敵として認識されたACの進撃を食い止めようと画策している。
だが一筋の閃光と化して戦場を駆け抜ける今のノヴァを止められる要因としては、それらはあまりにも不十分すぎた。
撃てば撃つほどにその弾丸の数倍の威力を持った多種多様の弾丸が彼らの全身を穿ち、炎という名の紅蓮の花を無数に生みだしていく。


着実に敵の数は減っている。移動している最中でもレーダーに映る光点は次々と消えていった。
機械的な動きでその光点の動きを捉えたユエルは、恐らくはもう一方の道で彼女が暴れているのだろう、
と無表情のまま目測し、ノヴァの速度をさらに上げていった。彼に比べれば彼女の侵攻速度は桁外れに速かった。


このままでは合流のタイミングにズレが生じてしまうかもしれない。思考の片隅で生まれた焦りが彼を急かせているようだった。
不安とも言い替えても良い胸のざわつきは、どうやら肉体的にも影響を及ぼしたようで、零度以下だった筈のユエルの氷の顔に一筋の雫が垂れた。
単純に気温が高いだけなのか、それとも戦時中故の気の昂ぶりが原因なのか、そのどちらが正しいのかは明らかではないが、
とにかく何らかの事情により冷えきっていたユエルの表情が溶け始めていた。


だが今はそれをおかしいと思うほどでもない。些細な状態変化なんだと己で言い聞かせて、ユエルはノヴァの操縦に再び神経を注いだ。
と言っても、今は身体が勝手に動いてくれているから、彼は事実上傍観しているだけで良かったのだが。


焦りを滲ませる頭とは対照的に身体は不思議と静かだった。考えるだけ無駄だと説く己の身体に、ユエルの思考は何故という疑問をぶつけてみるが、
返答として見せつけられた光景を前にしては、その疑問も消さざるを得なかった。ノヴァの目の前に聳えるは新たなる扉。
その先には、任務達成における最大の障害――ACがいる。レーダーに光る巨大な光点がその存在を強く叫んでいた。


これで確実に集合時間には間に合わない。新たな扉を開ける瞬間、ユエルは確信していた。
けれどもそれは初めから覚悟していたこと。どうにかして平静を保つように心掛けた彼は、まずは先程と同じくこちら側の流儀を相手に教えようとした。
即ち“考える前にぶっ放す”。変わりようのない殺意を示す為に、その命令を授かった三発のミサイルは迷うことなくノヴァの右肩から飛び出していく。


だが相手はさっきのMTとは格が違っていた。ノヴァが放ったミサイルを瞬時に跳躍して避けた機体の動きを見れば、それは自ずと理解できる。
毒々しいまでの紫。そんな醜い色彩を堂々と晒しているACを、その機体が存在する部屋に入り込んだユエルは上目で睨みつけた。

「おっと、不意打ちとは中々やってくれるじゃないか」

最初から動きを読んでいたとしか思えない言動がユエルの鼓膜を貫く。悪態など微塵も漏らすことなく、ユエルは即座に右腕のライフルをかざして、
回避に溺れているACに無数の弾丸を送りつけた。しかし、人では到底不可視なその火線も中空で華麗に動き回る紫の影に突き刺さっていくだけで直撃はしない。


代わりにノヴァの左肩に何かが突き刺さり盛大な爆炎が上がった。左半身のバランスが途端に崩れ、彼が体勢を立て直そうとした際に
甚大な負荷がノヴァの左膝に圧し掛かる。どうにか体勢を立て直したのも束の間、息つく暇なく重い槌の如き一撃が今度は後方から襲い掛かってきた。

「ま、俺も人のことは言えないがな」

自分の優位を信じて疑わない相手の声。だが絶えず激震するコクピット内で振り回されている今のユエルには、
哄笑を含んだその声を否定できるだけの余裕がなかった。間違いなくこの状況は不利、少なくとも互いの初手だけ見れば完敗だった。


毒々しい色彩で装甲を固めた軽量型AC。その外観は、二脚型の脚部及びコアや腕部に至るまで、装甲という装甲を削ぎ落としており、
高速戦闘における有効性に焦点を当てた機体であることを、ユエルは収束に向かいつつある思考の淵で捉えた。


ノヴァを二度も打ち据えた原因もその時判明する。紫のACの右肩に付着している垂直発射式ミサイルだ。
しかし単純なそれではない。円盤を連想させる発射口から放たれるそのミサイルは、軌道を乱雑に変化させユエルの視界外からノヴァを襲っていた。
初撃は左から、二撃目はノヴァを飛び越えて後方から迫った。たとえ種が分かってもその都度回避パターンを強制的に変化させる武装、それが紫の右肩にある。


同時にその紫は僅かに動きを停止させたノヴァに向け、自身の細い両腕を吊り上げて狙いを定めていた。
拙い……! 大脳が一瞬で判断を下し、飛来する敵の銃弾を避ける為に操縦桿を傾けさせる。しかし敵の攻撃はそれよりも早く襲来しノヴァの装甲を悉く焼いた。


人が有する反射行動をも凌駕しそうな脅威の弾速は、敵の右腕に握られた銃から生み出されていた。
短く切り詰められた銃身は軽量化の産物であり、それにより衰えてしまった攻撃力はこの凄まじい連射力によってあがなわれている。
軽量化されたレーザーライフル。敵のACに似通った紫の閃光が容赦なくノヴァを穿ち、破裂するエネルギーの残滓が所々で爆発していく。
たまらずライフルで反撃を試みるノヴァだったが、破裂していくエネルギーの熱波が、逃げ惑うユエルの視界を奪いそれを許さなかった。


エネルギーの切れ目を狙い、敵が着地するまで待ってみるがそれも無意味な行為でしかなかった。
紫の機体から不意に光が零れた刹那、ユエルはその事実に思わず舌を打った。追加コンデンサー――肩に付いたエクステンションが、
新たなエネルギーを敵が補給したことを暗に告げていた。つまり、敵は当分地に降りては来ない。


闇雲にライフルの銃弾を撃ち放ってみるが、前方を塞がれさらに機動力でも勝る敵にはやはり直撃すらしない。
ライフルだけでは弾幕を張るのには足りないと悟り、左手に握られたスナイパーライフルをも放とうとしても、
瞬間、極端に操縦桿が重くなり精密な狙いをつけられなくなる。腕部に何かが突き刺さっている。派手な紫の発光体の他に何かが放たれている。
その結論を見出すのに、時間はあまり掛からなかったが、その合間も数発の閃光が純白の装甲を衝突時の熱風で溶解させていった。


悪いのはそれだけではない。エネルギーライフルの乱射、ACの腕部を軽々と弾き飛ばすほどの反動力を兼ね備えたハンドガン、
その二つがノヴァから奪っていくのは何も装甲だけではない。先程から響き渡る警告音は、ラジエータの冷却機能が限界をきたしている、ということ。
機械が放つ悲痛な叫び、それが絶えずユエルの耳に浴びせかけられていた。そしてラジエータは遂に、
限界を超えた機体温度を冷却する為に、ノヴァに残存するエネルギーを主人であるユエルの許可なく貪り始めた。


結果、ノヴァの機動力は事実上封殺され、半ば直立不動に近い状態にまで地に縛り付けられてしまう。
無理に機体を動かせばエネルギーが枯渇しノヴァの機動そのものが失われる。それだけは何としても防がなければならない。
と、依然として平常を保っている理性が身体に働きかけ、最低限の回避行動だけを残したノヴァはそこで自らの行動を制限する決断をした。

「悪いが仕事だ。死んでくれ」

一方的に攻撃を浴びせかけている状況から、敵がそんな言葉を送りつけてきた。己の勝利を確信しているかのような喜悦。
勘に触る笑い声がユエルの鼓膜に伝わると同時に、より一層厚みを増した紫の攻撃がノヴァを痛めつける。
だがそんな最悪とも言える展開にもユエルは眉一つ動かそうとはしない。先程からの無表情には未だに一片の曇りもなかった。


そんな必要など微塵もなかったから。もしユエルがこの場で何かしらの表現を表すとすれば、彼は何の迷いもなく嗤ったことだろう。
そして敵にこう投げかける。「お前は一体何を勘違いしているのか」と。まだこちらは何の動きも見せていない。
単純に手の内を知ろうとしている最中に一方的過ぎる勝利宣言。勘違いの甚だしさは誰の目にも明らかというものだ。


ほんの刹那の手合わせで、敵の手の内をほぼ把握できたことは奇跡と言うべきか、それとも相手の機体の馬鹿正直さの所為か。
桁外れの技量や戦術、そして全身から滲み出る威圧感すらも感じさせない敵。どう足掻いてもこの相手に逆のイメージを抱くことはできそうにもない。
勝ち誇っている敵の顔を想像するだけでユエルの失望感は募っていくばかりだった。改めて押したトリガーにもあまり力がこもらない。
炸裂する閃光を引き裂いて発射された七発のミサイルは、そんな失望を背負いつつ上空のACに狙いを定めて舞い上がっていた。


狙いなどどうでもいい。FCSのロックマーカーが赤に染まるだけで十分、目的は敵を破壊する為ではないのだから。
猛追を始めた七発のミサイルを捉え、敵の銃撃及び動きまでもが止まった。教科書通りに予定進路を読み取った紫は、
空中であっても難なく迫るミサイルを回避する。しかし、紫の前方に新たに出現していたものを凝視して紫は次の行動が取れなかった。


紫のACを包んだのはまたしても七発の爆発筒。加えて大地に腰を下ろした白の機体からさらに七発。
容赦ないミサイルの大群が一度にその紫を包み込み、上空のACを目標に推進剤を撒き散らす。
無数の放物線を描く白煙、その数は優に十発を超えている。紫のACは再び直撃を避ける為に機体を上下左右に揺らしていった。

「おいおい、正気かよ!?」

攻撃などできる訳がない。不覚にも全弾直撃などしてしまえば、こんな貧弱な装甲では間違いなく耐えられない。
スピーカーから聞こえる余裕を失った声音にはそんな意思が感じられた。だが声の主の心に確かな動揺が刻まれても、
機動力にすぐれた紫の機体は、いとも簡単に襲い来るミサイルを回避し続けていた。


非常識なミサイルの乱発、それを平気で行った張本人である相手のレイヴンでも、ある程度の腕があればその事実に気づかない筈がない。
暴走に近いその挙動は、あまりの恐怖に発狂したのか、それとも単なる雑魚か。どのみち馬鹿な手段には変わりない、と、
若干の余裕を維持したまま紫を駆るレイヴンは軽々とミサイルを捌いていく。その行動が己の首を絞めていると知らぬままで――。


今まで垂れ下がっていた両腕を振り上げ、ノヴァはその両腕に握る凶器全ての照準を上空のACに合わせる。
瞬間、今まで封じ込めていた殺意や憤激、侮蔑などの負の感情が放たれた銃弾一発一発に吹き込まれて空気を切り裂く。
止むことのない銃火がその感情の貯蓄量を如実に物語っていた。だが感情に任せたその攻撃には何の狙いもつけられていなかった。


狙う場所はたった一つだけ。それ以外は渾身の一撃を覆い隠すまやかしに過ぎない。それにも気づかず、
ただ迫り来る銃弾を飛来するミサイルと併せて回避しようとするだけの敵に、その事実を告げた所でもはや何の意味もない。


そしてその時は来た。敵は遂に待ち望んだ場所へと足を踏み入れた。ミサイルと無数の銃弾が創り上げる結界に幸運にも空いた脱出口。
それが大きく口を開けて紫を誘った。教科書通りに動いたおかげで切り開かれた救済の道だ、縋らない者などいない。


勘違いにまみれたままの紫がその隙間に入り込んだ刹那、ノヴァは待ち望んでいた時が来たことを悟り、
わざわざ罠に嵌ってくれた愚かなACに向け、十二分に照準を絞り上げたスナイパーライフルで鉄槌を下した。


何十と無駄に放たれた銃弾全ての希望を背負った二発の弾丸は、光の如き速さで駆け抜け、その弾速を以て紫の左膝に牙を突き立てる。
膝関節に見事に食い込んだその弾丸は、奥深くまで侵食してそこにある全てを食い破った。そして膝を境に左足と胴体を完全に分断するまでに至る。

「なっ!」

二発の銃弾に片足を引き裂かれても、不幸なことにその紫には激痛にのた打ち回る暇さえ与えられなかった。
急激な重量変化に伴い平衡能力を失った機体に、その瞬間まで残存していたミサイルの大群が一斉に牙を向いたのだった。
中空に爆風の花が幾つも咲き誇る。元々機動力を優先したAC、身軽すぎる軽装でその衝撃を受けきれるとは思えなかった。


上空で迸った炎が澱んだ黒煙に変わる頃、紫は真下に敷かれた地面に予想通り叩きつけられていた。最初に胴が大地と激突していたのを見ると、
とても無事に降下したとは言い難かった。あえて言うならそれは墜落した、と言った方が表現としては適切だろう。


うつ伏せの状態で倒れこむ紫は一向に動きだそうとはしなかった。無防備な背中をさらけ出す姿はそれから一向に変わる気配を示さなかった。
当然だろう、ビル十数階にも匹敵する高さから機体は落ちた。人であるなら間違いなく命はない。幾らACに搭乗しているとは言っても、
その衝撃は経験した者しか理解しえぬ次元に達している筈。運が良くて気絶、悪ければそのままさよならだ。


だが翡翠が灯る光学カメラで動かぬ敵の背中を睥睨しているノヴァは、それでもこの戦闘を止めようとはしなかった。
己の足を僅かに上げたかと思えば、それは即座に降ろされる。ACの超重量を支える足が紫の背中に圧し掛かり機体の動きを完全に封じた。


敵が放ったエネルギーライフルの影響なのか、純白の装甲は所々に焼けただれ、黒い焦げ跡を各部に撒き散らしている。
だがノヴァの状態はまだまだ健康そのもの。僅かにコアが損傷し、オーバードブーストの出力が低下しているくらいで、戦闘続行に何ら問題はなかった。
勿論、現在ノヴァが踏みつけている敵も健康状態はさほど悪くはない筈だ。敵の機体が受けた損傷はスナイパーライフル二発に、ミサイルが数発、
実はたったそれだけ。足を一本失ってはいるが、理論的に言えば敵はノヴァより疲弊していない。だがノヴァはその理論を根底から覆した。


全ては最初から決まっていた。狂ったようなミサイルの乱射も、連続する閃光を立て続けに浴びたことも、
全てはこの状況を作り出す為の陽動に過ぎなかった。相手のレーザーライフルから零れる紫電は、連射力及び命中力を重点にされている為、
絶対的な威力が代償として失われている。左手に握られていたハンドガンを併せても紫のACの総合的な火力は低いとしか言わざるを得なかった。


だからこそその紫はその攻撃力不足を補う為に、自身の肩部に例の武器を搭載していた。即ち弾頭が頭上から降り注ぐ型をとる垂直発射式ミサイル。
それが紫のACとノヴァが初めて対面した時にノヴァが浴びた洗礼の正体だったのだが、どういう訳か、その武装はそれ以降全く発射されることはなかった。
上空からのみに限定されず、様々な方向から飛来するように軌道を改良されたそれが一体何故――。


答えは簡単だった。紫のACはそれを撃たなかったのではなく、撃てなかったのだ。考えればすぐに分かること。
上下左右全てを壁で囲まれた密集領域で、遥か高く飛翔するミサイルが、天井という有限がある場所で十分な効果を示す訳がない。
最初の一撃の時、敵は地面に足を付けていた。つまりは天井との距離がそれなりにあったのだ、だからミサイルを撃てた。


にも関わらず敵はその事実を黙殺し、常日頃からのスタイルなのであろう空中戦を決して変えようとはしなかった。
己の得意分野に固執するあまり、自らに課せられた代償の存在を見失った。それが敵の最大の失敗。ここが屋外ならば、さぞ脅威になったことだろう。
だが無常にもここは屋内である。そんな半ば暗黙の了解とされている事実にすら気づかない相手、ユエルが戦っていたのはその程度の敵だった。 


右足の踵でうつ伏せで突っ伏している紫の動きを押さえ込む。そのまま踏み潰すかのように力を込められたそれを支点としながら、
ノヴァは右手のライフルを数発、無防備な敵の背中に向けて撃ち放つ。背中から突き出た一対のブースターにそれらは難なく突き刺さり、
派手な火花と共に、先程まではブースターであった筈の金属の残滓が、着弾時の反動で大きく弾け跳んでいた。


推進力を奪われた紫にもう勝機はない。そう結論が出たのか、そこからのノヴァの一連の行動は恐ろしいほどに俊敏だった。
残弾数の残り少ないスナイパーライフルを破棄し、銃が鈍い音を立てて地面に落ちる頃、新たな武器がノヴァの左手に納まった。
そしてノヴァが左肘を天井へ向けて突き出す姿になるまではものの数秒と掛かっていない。


狙いはただ一点。ジェネレーターなどの駆動部の誘爆を避け、かつ敵を一撃で行動不能に陥らせる場所、つまりはコクピットだ。
ACではなく、それを操る人間だけを的確に殺す方法。何度も何度も繰り返してきた方法。うつ伏せの状態でも、相手がいる区画は手に取るように分かった。
だからノヴァはその選択を採用した。既に慣れきっているその行動。何の為にこんなことをしなければならないのか、
という思いを動かぬ表情の奥底で漂わせながら、ユエルは覚悟を決めつつその左腕を目標地点に合わせ、一気に突き出した。

「た、助け――」

が、消え入りそうな弱々しい声が鼓膜に響くのを感じたユエルはそこでノヴァの動きを止める。放出した紅い長剣の刃先は敵の装甲を僅かに喰らっていた。
そして無防備にその呟きを耳に入れたが故に、ユエルはそこで思わぬ出来事に襲われてしまった。


微かな呟き、それが異常のスイッチだった。力なき敵の声がユエルの心に深々と突き刺さり
張り詰めていた神経がその一声で一気にほどけ、様々な雑念が彼の思考内に入り込んでくる。
洪水のように押し寄せるそれに耐え切れなくなったのか、ユエルの意識は逃げるようにしてコクピット内に戻ってしまった。

「や、やめ、ろ……。頼む……。お、れはま、だ死――」
「……奇遇だな、俺もだよ」

ユエルの異常事態などいざ知らず、余裕を誇っていた男の声が異様に震えていた。生きている、しかも意識まで保っている。
身体が通常機能を取り戻した瞬間に猛烈な頭痛と吐き気がユエルを襲っていた。だが彼は意識が朦朧としているにも関わらず、敵の命乞いに返答を返した。
久しぶりに言葉を漏らし僅かに口元を吊り上げてユエルは微笑む。しかし苦痛に歪んだその微笑みからは慈悲という言葉は連想できなかった。

「だから、死ね」

彼が言い終わるより早く、ノヴァの左腕は紫のACのコアに食い込んでおり、紫の表面装甲ほぼ全てを溶解させていた。
空気すら焦がす真紅のブレードが複雑に絡み合うACの内部構造を次々に焼き切っていく。数層にも及ぶ多重装甲を突破してしまえば後は楽だった。
木材に釘を差し込むような感覚が嘘のように消え去り、次の瞬間にはまるで水の中に手を入れた時のようにブレードはあっさりと敵の内部に入りこんだ。
そしてそれは唐突に動かなくなる。無理に押し込めようとしても、左腕はそれ以上の進行を拒否するのだ。まるでもう終わった、と主に告げているかのように。


相手のレイヴンの最後の言葉は聞かなかった。ブレードがACの内部だけではなくコクピットをも貫通し、
中にいた人物を一瞬で蒸発させたという事実を感じたくなかったから。だから彼はその行動と共に敵との通信を完全に断絶していた。
通信機を切った空間は、そうして断末魔の叫びが届くことなく全てが終わる瞬間まで無音を貫いていた。


絶対的な死を確定された者が、最後まで正常でいられたとは到底思えない。コクピットはまさに阿鼻叫喚の巷となり、
死というたった一文字の現実を否定しようと、恐怖と絶望にまみれた絶叫がそのコクピット内にこだまする……。


もしそんな叫びが聞こえてきたら、自分はどう思ったのか? レーダーから反応が紫のACの反応が消失し、敵が壊れたことを端的に伝えてくる。
突然の現実への回帰に戸惑いを覚える寸前、ユエルはふとそんな自問に襲われていた。だがそれも猛烈な頭の痛みによって掻き消されてしまう。


無残に飛び散った肉塊すら己の血肉と化したかのように、全ての役目を終えて引き抜かれたブレードは、より一層その真紅の輝きを増したかのように見えた。
この剣で自分は一体何人殺してきたんだろう? 善と悪、強者と弱者、仕事と殺人。ありとあらゆる観念から割り切っていた筈の思考が、
今になって身体の不調に喘いでいるユエルの心に響き渡り、彼はその紅い閃光が消え去るまで視線をそこに動かすことを拒否し続けた。


何故? 何故今になってこんな感情がぶり返してくる? ……違う。自分は単に忘れていただけだ。
無心の人形に徹する為に、己の身体に命じた一声。人である為に必要な思考を全て停止させること。
ただそれだけを成す為に、自分はそんな当たり前の感情すら忘れようとしたのだ。


己の力の全てをあの“臆病者”に頼りきり、考えること全てを放棄した。いや、そもそもそんな人間は本当に存在しているのか?
それも己が現実から逃げる為だけに作り出した隠れ蓑に過ぎないのではないのか? 
当然、一方的に湧き出すそれは即座に彼に設定されている許容量を越え、外部に無残に垂れ流されて無残に終わる。
受け入れるだけの器も持たない空虚な自分自身を見つめ、ユエルはその根本たる原因に行き着いた。それはあまりに虚しく悲しい自分の全てだった。


何もなかった。命を賭けるに値するものも、誰かの為に命を張れる覚悟も、人殺しを正当化できる大義も、自分には何一つない。
昔から誰かの指示以外には動くことすらしなかった。それは今だって同じだ。画面内から発せられる文字を読み、受諾し、そして目の前の敵を殺す。
そこに自分の意思などない。いつも誰かに決められたことだけを淡々とこなしていただけ――。


それがさらなる悪循環を生み、底のない沼に己の身体を埋めているにも関わらず、自分は無視を決め込んでいる。
改善すべき問題を直視しようとせず、ただ楽な道しか選ぼうとしかしない愚かしい男、それがユエルという卑怯者だ。


考えることを無意識に避けていた想い。先程まで研ぎ澄まされていた神経だからこそ浮かび上がってくる明確なそれが、
不運にも戦闘の真っ只中で現実回帰を果たしたユエルに、重く圧し掛かってくる。まるで彼に何かを切々に訴えかけてくるようだった。


何かが変わり始めているのかもしれない。自身を取り巻く環境の全てが自分を変え始めているのかもしれない。確信はない。
それでも予感はした。あのアリーナでの一戦、そして自身の心に絡みつくあの女性の顔、そして隔離損なった精神と肉体。
様々な要素が変わりない日常に変革をもたらし始めているとでも言うのか? 己の限界を知り、過去と向き合い、間違いを正せとでも言っているのだろうか?


今考えることではないと言い続け、何度も逃げ続けてきたが今は何故か違う。自分の意識が正確に覚醒している所為なのか、
それとも何か他の要素が働いたのか。それは彼に知り及ぶ所ではなかったが、普段の自分とは明らかに違う感情が高まっていくのが分かる。


急激な体調不良も許容できる範囲だった。度重なった異常事態に比べればどうということはない。
徐々に苦痛に慣れ始めている己の身体に、僅かな驚きとまだ戦えるという期待を感じてユエルはユエルは安堵の溜め息を漏らす。


見下げていた元ACの名残から目を逸らしたユエルは静かにノヴァを旋回させて、その機体全てを完全に視界から消滅させた。
彼を現実へと引き戻し、加えて今までにはなかった迷いを彼に教えてくれた敵。自己満足も甚だしいが、
少なくとも無駄な命ではなかった、という囁きがユエルの罪悪感を拭い去る。それが単なる気休めでしかないことを彼は忘れなかった。


まだ任務は続いている。考えてみればこれを境に自分は本当に数多くのことをしなくてはならない。彼女のこと、自分のこと。やっぱり死ねないな、
と、己の生存欲求を俄然高ぶらせたユエルは、残りの任務をこなす為にスロットルのペダルを踏み込み、その空間からノヴァと共に離脱していった。





奥行きのある部屋。それがこの任務の最終ステージのようだった。ありとあらゆる敵の思惑を粉砕した結果、敵はこの部屋に後退した。
そしてノヴァが見る先に最後の戦いが繰り広げられていた。豆粒大に見えるゲーティアが無数のMT相手に奮戦している。

「来るのが遅いっ! っていうか遅すぎるって」

一秒にも満たぬ刹那で、数十発の弾丸が壮絶な状況に嫌気が差したような叫びと共に吐き出されていた。
一瞥だけで二桁にも及ぶと分かるMTの大軍が、たった一機のACを破壊せんと目論み、その白と薄桃の機体を取り囲んでいる。
遅れたという結果を素直に受け止め、真っ正直な罪悪感を覚えながらユエルは口を開いた。

「……フォローした方が良いか?」
「必要ないよ、間に合ってるから」

皮肉を皮肉で返す所を見ると、やはりそれほど拙い状況ではないことが分かった。所々焼け焦げたノヴァの装甲も彼女の目に入ったのだろう。
それから先、彼女は一言もユエルが遅れたことを問い詰めることはしなかった。最もそんな余裕などなかっただけなのかもしれないが。


四方から放たれる無数の火線を、純白の装甲の中に淡い桃色を携えたAC、ゲーティアは装着されているエネルギーシールドで防ぐ。
淡い青色のエネルギーの膜が、左手を中心としてゲーティアを包容し、機体に飛来する弾丸の多くを着弾寸前で弾き返していた。
同時にゲーティアは下半身を僅かに沈み込ませて力を蓄えると、その力は逆関節型の利点である桁外れの跳躍力へと昇華され、
機体を天高く舞い上がらせる。動きを察知したMT達が、咄嗟にその方向へ銃口を合わせるが僅かに間に合わない。


上空から降り注ぐマシンガンの雨が一機のMTを鉄塊に変えた。連射力及び集弾性を重視した最新型のマシンガンは、
その後も空中から何十発もの銃弾を敵に浴びせかけ、その都度多くのMTが炎を散らせながら地に伏していく。


好き勝手に暴れまわる白桃。だがその機体が地に舞い戻る瞬間を敵は待ち望んでいたに違いなかった。
空中浮遊を長時間続けたが為にゲーティアのエネルギーは枯渇している。あらかじめそれを予期していた敵は、その着地地点に狙いを定め続けていた。
勿論彼女本人もそれに気づいている。その証拠に、着地したゲーティアには対策用として新たな武装が展開されていた。


一点に集約されたマシンガン、バズーカ、ロケットランチャーなどのありとあらゆる兵器を、左手に纏う水色の皮膜で弾き飛ばすと同時に、
ゲーティアは己のコアに内蔵された特殊端末を展開していた。人でいう肩から背中上部に至る僧帽筋付近に接続されていたそれは、
自律攻撃端末――イクシードオービット、通称EOと略称される――だった。ACの頭上数mを浮遊――ワイヤーで繋がれているが――し、
推進力及び攻撃機能自体はその小さな躯体に委ね、人の指令を介さない完全な自動攻撃を可能にしている。
桁外れの速度を生み出すOB――オーバードブースト――とは異なり、攻撃能力を重視したその機能は現在数多くのレイヴンの間で普及していた。


ゲーティアが展開したそれはエネルギーを必要としない実弾タイプ。弾数に限りがあるという難点こそあれど、
シールドという機構に貯蓄エネルギーの大半を費やす機体には逆に適していると言えるのかもしれなかった。
蓄えられた電気エネルギーが、無敵に近い盾を生み出しゲーティアを守り抜く合間、その外からすっと伸びたゲーティアの右手が、
弾丸という物理的な運動エネルギーを剥き出しにして目の前の敵を薙ぎ倒していく。加えてイクシードオービットからも、
ゲーティアを援護するように弾丸が幾度となく吐き出され、白桃の段違いな瞬間火力にさらなる色が付け加えられた。


強い。タイプは違えど、これまで見てきた強者と比べても何ら遜色はない。激しい戦闘の最中、後方で物寂しく佇むノヴァの中で、
ユエルはゲーティアを駆る女性の腕前をそう判断していた。自分の状態が万全ではないだけに、どうなるものかと心配していたが、
それも杞憂に終わりそうだった。佇んでいたと言っても彼も何もしていない訳ではない。現にノヴァの周囲には二つの元MTの名残が乱雑に転がっている。


とても先程まで戦っていたACには敵わないと見切りをつけて離脱しようとしたのか、出口を塞ぐノヴァに照準を変えた敵の末路だった。
一機は全身に銃創を帯びて崩れ落ち、もう一機は脚部と胴体が綺麗に分断されている。両機の残滓から零れる爆炎の切れ端を、
淡々と眺めることくらいしか、今のユエルにできることはなかった。それだけこの場においてのゲーティアは圧倒的だった。しかし、

「や、やばっ……」

そんな状況に転機が訪れたのは、彼女の声らしき音声を通信機が捕まえた頃だった。声質には明らかに以前の度胸がなくなっている。
何処か焦りを滲ませるようなそんな声だった。自らが屠った敵から視線を外し、ユエルはその正体を見極めるべく彼女の機体を瞳に映す。


あれほど激しかったゲーティアの攻撃が何故かピタリと止んでいた。MTの数は既に相当な数が減っているもののまだ全滅とまではいかない。
そんな中でのゲーティアの不可解な佇まい。武器を一切発射せず、オービットに全ての攻撃を一任して後退を続ける様子はユエルに奇怪な印象を植え付けた。

「……! や、やべぇだろ、それ!」

ノヴァ、そして各MTに備え付けられたブースター、その両方が同時期に爆発する。“弾切れ”その三文字が全てを切実に語っていた。
そしてそれは既にこの空間にいた者全員に悟られている。しかも距離的に考えてユエルより敵の方が確実に彼女に近い。
彼女との距離が自分の力では埋まらないことを悟り、苦悶の表情を現したユエルだったが、ただひたすら足元に力を込めることしか彼にできることはなかった。


だが一機の重装MTがゲーティアに肉薄するまで迫っていた。オービット単体の攻撃力などその装甲をもってすれば雀の涙に等しい。
刻まれる微かな損傷も無視して、その機体はゲーティアにバズーカの照準を定めていた。銃口はあろうことかゲーティアの眼前にまで近づけられている。


機動力に難を抱えているゲーティアでは振り切ることなど不可能。機体が後退する速度とほぼ同速度で迫る敵との間隔は一向に開く気配を見せない。
直撃する。数秒後に訪れるであろう未来に何故か背筋が凍りつく感覚を味わったユエルは、自らの肉体の疲労も黙殺して、
最後の手段であるオーバードブーストのスイッチに手を掛けかけていた。赤の他人の筈なのに何故? 
そんな疑問が当然沸いてきたが彼は無視した、無視せざるを得なかった。そんなことよりももっと大事なことがあったから。


バズーカから勢い良く巨大な榴弾が吐き出され、ゲーティアのコアを砕くべく銃身から顔を出す。ところが次の瞬間、思わぬ現象が起こった。
砲弾が空気に触れた瞬間、中の炸薬をその場で炸裂させたのだ。早すぎる爆発を間近で浴びたバズーカの銃身は己の放った炸薬で弾け飛び、
余った衝撃はMTの身体をも大きく吹き飛ばす。そして弾かれたMTの身体には次々とゲーティアのイクシードオービットが突き刺さり、
撃破とまではいかないものの、彼女が離脱するまでの時間はそれで十分に稼ぐことができた。


だが、窮地を脱しなおも後退を続けるゲーティアには先程とは明らかな違いが現れていた。シールドを展開しないのだ、いや、できなくなったと言うべきなのか。
白と桃色のACはあの時、敵が銃口を晒した瞬間に自機の左腕をそこに突き出し、そして敵の目の前でシールドを展開した。
当然、発射された敵の榴弾は発生した青の膜に絡め取られて爆発するしかなく、結果、敵の身体は盛大に吹き飛んでいた。


自身を守る術が装甲しかないMTに、その衝撃を受け止めきれる筈もない。ゲーティアに乗る彼女はそこまで予期していたのだろう。
左腕一本でその桁外れの圧力を耐え、その代償として左腕に何らかの損傷が残ることも恐らく想定の範囲内と見てよかった。


しかしもう彼女に手はない。左腕一本の犠牲がMT一機では利益は赤字も同然だった。まだ敵はいる、そしてゲーティアは彼らから身を守る術をなくした。
大挙して怒涛の追撃を仕掛ける残存勢力はまさに荒れ狂う大波。裸同然となったゲーティアでは簡単に飲み込まれてしまう。
ようやくゲーティアの傍にまで到達したユエルが、そんな感想を抱いてしまうほどに今のゲーティアは頼りなく見えた。

「そのまま後退しろ。あとは俺がやる」

ゲーティアと入れ替わるように、その機体と敵との間にノヴァが割って入る。ライフルもミサイルも残弾数は少ない。
しかも彼は今あろうことか“目覚め”てしまっている。劣悪な環境をどう打開すれば良いのかをまるで思い浮かばないユエルは、
それでもやるしかないと無理矢理身体を鼓舞してトリガーを握り締めようとした。しかし彼女の絶叫が不意に轟き、彼は動きを止める。

「それは駄目! あなたも下がって」

けれどもコクピットに飛び込んだ返答は、彼にとって驚くべきものであった。

「な、何で?」
「いいから! それから銃撃つのも禁止ね!」
「……マジかよ」
「マジ!」

謎めいた言動を問い質す暇はなかった。微量に感じた本能に従って、その指示に応じたユエルは渋々ノヴァを後退させる。
その間も敵は攻撃の手を休めることはない。止め処なく押し寄せる膨大な火線を受け止めながら後退を続ける二体のAC。
残ったライフルと残弾少ないイクシードオービットで最低限の弾幕を張ってはいるものの、勢いを増した敵に対して効果があるとは思えなかった。

「一体どういうつもりなんだ? このままじゃ二人ともやばいぞ!」
「分かってる。とりあえず敵を引きつけてよ、限界ギリギリまで」

信じろ。彼女のまだ諦めていない声がそう告げているようだった。ユエルは逆らえなかった。何故か逆らおうとする気も起こらなかった。
彼女は間違いなく信じるに値する。何の根拠もなかったが、それでも彼は信じた。そして遂に出入り口の扉が彼らの寸前にまで迫る。


直後、ゲーティアの動きが止まり、後退を続けていたノヴァとの距離が開いた。その動きを見たユエルは「お、おい!」と、彼女に詰め寄ろうとして、
ノヴァの進路を再び変えようとした。しかし「今から言うことは警告じゃなくて命令だよ」と酷く冷淡な声で応じた彼女の声がその行動全てを中断させた。

「これから先、あたしの前に絶対に出ないこと。もし出たら、死ぬよ」

主力武装を失ったゲーティアはその時不思議と力強く見えた。何故? 何故こんなにも堂々としていられる?
ユエルが不意に視線を逸らした瞬間、その答えは判明する。今の今まで完全に忘れていたものがあった。それは――。

「吹っ飛べ」

声を出す暇すらなかった。彼女がそう呟いた瞬間、ユエルの視界全てが白い閃光に包まれてしまったのだ。何がどうなったのか全く理解できず、
ユエルはただ目を瞑って正体不明の閃光にただ耐えた。同時に何処かで聞いたような轟音が轟き、ユエルは目を瞑ったままでその正体を掴んだ。
何かが爆発したのだ、それも計り知れないほどの数が。正体不明の閃光と次々に爆発する何か。それらが導くものは何だ、と自問して彼は一つの答えに辿り着く。


ミサイルだ。ゲーティアが両肩にそれぞれ一つ背負っていたもの、今の今まで黙り込んでいたそれが遂に人智を超えた咆哮を轟かせていた。
敵を限界まで引きつけていた理由も今なら納得できる。逃げ場を与えずに敵を殲滅する為、好機を逃さんとする相手の気概を利用して誘い込む。
そして極限まで引きつけた敵の大群の中心に向けてミサイルを放った。それも一発どころではない。数えるだけでも既に三十発は楽に越えている。


ゲーティアの左肩に積まれた九発の小型ミサイルを一度に放出するミサイルポッドに加え、それにエクステンションの連動ミサイルが追加される。
それだけで十三発ものミサイルが飛び出す。さらに右肩には一度に十発まで連続発射できる別のミサイルポッドもあった。無論連動ミサイル付きだ。
合計発射数などもはや予測できるものではなかった。少なくともノヴァでは比較にすらならない。


恐ろしいのは量だけではない。現実の世界に現れる破壊力も想像を絶していた。白い閃光がようやく収まりを見せたかと思えば、
次の瞬間には爆炎が爆炎を呼び、巨大な炎の塊がユエルの瞳に赤く灯った。閉所であることがさらにその炎の勢いを強め、
猛る炎の渦が酸素を求めて荒れ狂う。触れたもの全てを問答無用で焼き尽くすその炎の余波は、ノヴァやゲーティアをも当たり前のように包み込み、
銃装が刻まれた装甲を焦がしていった。敵はその直撃をまともに被ったのだ、被害など想像するまでもない。これで生きていたらそれこそ化け物だ。


燃え滾る炎が黒煙へとさらなる変貌を遂げ、それは空気と同化しようと天井まで立ち込めた所で行き場を失っていた。
コクピットの中にいても外に漂う有害な悪臭が簡単に想像できる。そして煙が何処かへと去ると共に、ユエルは明瞭な視界を取り戻す。
彼も状況の顛末はそれなりに予想できてはいたが、実際瞳に映った現物を見てしまうと、やはり顔をしかめるしかなかった。


原型を留めた機体など存在していなかった。装甲が固い脆いなどという観点ではとても語れない、足、腕、その他もろもろのMTの部品が無数に転がり、
その全てが黒一色に染まって転がっている。消し炭に等しいその中に人間が乗っていたとユエルは想像しなかった。いや、できなかった。

「よっしゃ、終わりっ!」

両肩から幾重にもわたる白煙をなびかせる白桃のAC、ゲーティアからそんな場違いな歓声が上がった。
全て計画通り、と言わんばかりに勝ち誇った彼女の姿は、その機体の背後からでも容易に想像できる。

「あのなぁ、ミサイルあるなら最初から使えよ!」

言いたいことは山ほどあったが、ユエルが放てた一声は残念ながらそれだけだった。

「あ。そ、それはね……。まあ、こっちにもいろいろと事情がある訳で……」
「何だよ、事情って?」
「えっと、ミサイルって弾薬費無茶苦茶高いでしょ? 撃てば撃つだけあたしの報酬減るんだもん。だからギリギリまで使いたくなかったの」
「……それだけ?」
「それだけ」

強ばった全身の力が一気に抜けていく気がした。良く分からない衝動に後押しされ、何としても彼女を死なせないと努めたのに当の本人は至って余裕。
拙い、拙いと何度も思った彼に対して、当の彼女は報酬のことに頭を悩ませていたのだという。ACの操り方、先程のミサイルの狂乱ぶり、
それらから把握できる豪快と呼ぶにふさわしい性格に加え、これで奔放という枠組みが新たに追加された。

「そんなことより、あたしは君の方に聞きたいことが山ほどあるんだけど?」

そんな彼女から意外な言葉が返ってきた。「何だ?」とユエルは応じ、同時に待ち望んでいた瞬間が遂に訪れたことを悟る。

「どうしてあの時『俺は左に行く』なんて言ったの? 分かってたよね、左側の方がキツイってこと。あたしが納得できるように訳を話してくれない? 得意でしょ、そういうの?」

通信機越しにでも分かる、その皮肉めいた口調にははっきりとした苛立ちが含まれていた。問い詰められたユエルは無言を貫く。
反応が返ってこない状況に感づいたのか、さらに憤激の色を強めた声が彼の鼓膜を強く揺らした。

「余裕? それとも自殺志望か何か? でも余裕な訳ないよね、結構ACも傷だらけだし」
「……分からない」
「自分で言ったことなのに分からないの?」
「ああ、そうだ。自分でも何でそんなこと言ったのかまるで分からない。たぶん君の言う通り、死にたかっただけなのかもな……」

半分が嘘でもう半分が真実の台詞。この場を凌ぐ為に無意識に吐かれた言葉だったが、やはり自嘲じみた口調になってしまった。
前者か後者、どちらかが嘘でどちらかが紛れもない真実。両方とも否定できない自分が何故か酷く悔しかった。

「やっぱり全然変わってない……!」
「え?」

まるでそんな答えなど欲しくないと言わんばかりの返答。落胆と絶望、そして悲痛を帯びた彼女の叫びに、
ユエルは自分の身を真剣に心配されている、ということに気づかされた。彼女の疑念は確実に確信へと近づいている。


「やっぱり」ってどういうことだ? 彼がそう問うより彼女の口の方が早かった。重ねられた彼女の言葉。それによってユエルに生まれたのは苛立ち、
それが彼女が全ての論議に決着をつける為に一世一代の賭けを行った、という事実にユエルが気づけなかった最大の要因となった。

「それじゃあの時から全然変わってないよ……! そんなの、そんなの“エルク”が聞いたらきっと悲しむよ?」
「おいおい、今さら何言い出すんだよ。“あいつ”は今は関係、な――」

彼女が仕掛けた賭けに負けたこと、そしてそれが意味すること。ユエルが全てに気づいた時にはもう何もかもが遅かった。
もう止められない、逃げられない、否定もできない。それが今。夢などではない確かな現実が彼の前に現れた瞬間だった。








「やっぱり……」

彼女の言葉と共にユエルの周りを取り巻く全ての時間が止まった。戦闘の余波で昂ぶっていた感覚が瞬時に凍りつき、彼の思考機能は極端に落ちこんでいく。
逆に肉体は止め処ない汗が噴き出し、彼の身を焼き尽くすほどの熱を帯びた。心臓の拍動が破裂してしまうのではないか、
と思わせるほどに強く波打ち、血液という血液を猛スピードで全身に送りこんでいる。たかがその程度のことなのだが、それでもこの熱さは異常だった。


鎌を掛けられた。そう考えただけでユエルの心は跳ね上がっていた。逆算していけば、それがどういうことなのかはすぐに理解できる。
彼女は知っていた、この世界でたった二人しか知らないあの男の名前を知っていたのだ。一人はユエル本人。そして後の一人は目の前の女性、即ち――。

「やっぱり“ユウ”だったんだね」
「ち、違う……。こんなのは嘘だ、嘘に決まってる」

彼女の声から完全に警戒心が消えていた。穏やかで優しい彼女本来の声、そして“ユウ”という言葉が、確定した事項の裏付けとして添えられる。
ユエルの頭に認めたくない現実が大挙して押し寄せ、低下の一途を辿っていた彼の思考にさらなる追い討ちを掛けた。


思い出したくなどなかった。それでも彼女に会ってしまえば嫌でも思い出してしまう、ユエルはそれが怖かった。
薄っすらと浮かぶ両親という存在、記憶の片隅に浮かぶ彼らから与えられた唯一絶対の存在証明、それがユウという名前、即ち彼の“本名”をだ。
そしてその男こそかつての自分。地獄を生き抜くことを放棄し、人という概念を捨てさり、ただの人形に成り下がった哀れな自分自身――。

「嘘じゃないよ。あなたは“ユウ・トレイサー”。そうでしょ?」

ユウ・トレイサー。その男こそ、ユエルが今なお殺意を抱き、恨み、憎しむ者の名前であり“臆病者”と称される者の正体でもあった。
全てを失ったあの時、彼は全てを捨てた。経歴も名前も己の存在すらも捨てた。そうして彼は彼の身体にいた男を自らの手で殺した。
そして彼は新たにユエル・ガナードという男をその身に誕生させる。全てが新しく絶望と悲哀にまみれた過去も一切持たない空っぽの男を。


だが完璧にできる者などこの世にはいる筈もない。全てはただの思い込みに過ぎないのだから。
幾ら彼自身でそう定めても身体に根付く魂は二度と変わることはない。だからこそ、ユエルの中には今もユウという男がいる。
認める訳にはいかなかった、しかしあの男は今でも自分の身体の中で生きている。身体は死んでもあの男の魂はまだ死んではいないのだ。

「違う……。その男はもう死んだんだ。そして君も、あの時死んだ筈だ……」
「死んでないよ。ちゃんとこうして生きてるよ、生きてたよ!」
「やめろ、やめてくれ……! あいつは、“セネカ”はあの時死んだんだよ! 俺が殺したんだ、俺があいつを置き去りにしたから……! だからあいつは死んだんだ!」
「確かに危なかったよ、でもあたしはちゃんと生きてる。助けてもらったんだよ。どうして信じてくれないの!? あたしはセネカ、セネカ・キプロス。あなたなら分かるでしょ? “エルク・ガナード”のことを知ってるのはあたしとあなたしかいないってこと!」

現実がまた一つ過去と繋がった。彼女――セネカ・キプロスと名乗る女性の声はいつの間にか震えていた。ユエルにはその理由が分かっている。
彼女は歓喜に震えている、それが涙という物理的なものとなって現出しているのだ。
忘れられていなかった。ユエルが無意識に彼女の面影を追っていたように、彼女もまたユエルの面影を探し続けていた。
だがユエルはそれを嬉しいとは思わない、思えなかった。彼は逆にその想いを引き千切り、捨て去ることでなんとか自分自身を保とうとした。


彼女が生きていたこと。それは彼が自分自身の過去と、より一層向き合わなければならないということを意味している。
ユエルが拒んだとしても、彼女は必ず彼の触れたくない部分に触れてくる。その度にユエルは彼女の中にいるあの男と向き合い、そして争わなければならない。


彼女をセネカと認めたくない理由、それが今ようやく理解できた。自分は彼女が死んだという事実を受けて、無意識に安心していたのだ。
彼女さえいなければ自分はいつまでもユエルという男のままでいられる。そんなくだらない理由で、自分は彼女との邂逅を否定しようとしている。


それでもこの火傷しそうな身体の熱さは何だ? どうして自分はこうして打ち震えている? どうして目の前が霞んでいるのだ? 
泣いている、頬を伝わる冷たい雫がそれを伝えてきた。分からない、何故自分は泣いている? そしてこの張り裂けそうな胸の痛みは?
複雑な理屈も無視して迫ってくるこの熱さは何だ? どうして自分は微笑んでいる? まさか、自分は――。  

「ユウ?」
「変だよな……。俺、今頭ん中ゴチャゴチャで訳が分からなくなってる。笑えよ、俺っていう人間はこういう時にどんな言葉を掛ければ良いかも思いつかないんだ」

下手な理屈よりも彼自身の純粋な本能が勝った瞬間だった。複雑で空疎な言葉を並び立てる思考が、ただ嬉しいという単純な言葉で、
歓喜にうちひしがれる本能に負けたのだ。生きていた、死んだと思っていた彼女が生きていた。本当はその事実だけで十分だったのだ。
それを今自分自身に思い知らされた。自嘲気味で吐いた台詞の反応が彼女の口から軽い笑いと共に返ってきたのは丁度その頃。

「『また会えて良かった』で良いんじゃない? あたしならそう言う」

あまりにも陳腐で単純な言葉。それでもユエルでは決して思いつけない言葉だった。言いたかったこと、伝え切れなかったこと。
その全てを今この瞬間の想いに込めて彼は口を開き、そして静かに呟いた。もう二度と言葉を交わすことができないと思っていた彼女に向けて。

「また会えて良かった、セネカ。……本当に、生きてたんだな、お前――」
「うん」

炎と硝煙の臭いにまみれた戦場で邂逅は果たされた。それが真に意味することを彼らはまだ知らない。
立ち尽くす二体のACは微動だにしなかった。それはまるで再会を喜び合う自らの主人達を優しく見守っているかのように見えた。



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