「俺の人生、あと三日で終わるから」
受話器の先で、私は彼にそう言われた。
夕食を食べ終え、ふと彼の声が聞きたくなった私は、彼に電話をかけていた。
他愛ない話で時間を潰し、そろそろ眠りにつこうかと思った矢先のことだった。
「どういうこと?」
私は尋ねた。でも、彼は何も答えてくれなかった。
そのまま彼は私との電話を切ってしまう。
彼の真意を確かめようと思い、急いでかけ直してみる。
それでも繋がらない。結局、彼がその日電話に出ることはなかった。
日が開けても、彼の言葉は私の頭の中に残り続けていた。
いつもと同じ朝なのに、何故かその日は周りの景色が違って見えていた。
私はもう一度彼に電話をかけてみる。
やっぱり応答はなかった。私は焦り始めていた。
彼の身に何か起こったのかもしれない。
いや違う。これから彼の身に何かが起こるのだろう。心当たりはあった。
彼はレイヴンだった。彼は私とは異なる世界に住んでいる人。
初めて出会ったころは、私も彼に恐れを感じていた。
ACに乗り、仕事のためなら人間さえも平気で殺す。レイヴンとはそういう人種。
ずっとそう思っていた。けれど彼は私に「それは違う」と教えてくれた。
彼も苦しんでいた。自分が殺した人間の断末魔が頭から離れてくれないのだ、と彼は憔悴した顔で言っていた。
彼も弱い側の人間だった。非情になりきれず、仕事が終わるたびに彼は悩んでいた。私はそれをずっと隣で見ていた。
彼は優しい青年だった。少し臆病だけれど、言うことにはきちんと芯が通っていた。
ゲームが好きでよく私も付き合わされた。彼は料理も得意で、私の代わりに手料理を振舞ってくれたこともある。
私が想像していたレイヴン像とはかけ離れた人だった。
レイヴンなんて向いていない。そう言ったこともあった。それでも彼はレイヴンをやめようとはしなかった。
「俺は人殺しなんだよ。恨まれて当然の人間なんだ。だから、戦場で誰かに殺されないと割に合わないだろ?」
そう言ったとき、彼の手は震えていた。でも、私は彼のそんな強がりが嫌いではなかった。
彼の傍にいたい。そう思い始めたのはいつからだろう。
好きだ、と言葉にしたことはない。たとえ結ばれたとしても、彼はレイヴン。いつ死んでもおかしくない仕事だ。
最後に傷つくのは私。彼と一緒に幸せになりたい。そう思っても、叶うことはおそらくない。だから言い出せなかった。
胸がざわつくのがわかった。とても嫌な予感。電話はまだ繋がらない。
いてもたってもいられなくなった私は、彼の仕事場へと電話をかけた。
電話に出た男の人は、私の質問に丁寧に答えてくれた。
彼は昨日仕事で出発したらしく、帰ってくるのは二、三日後だろう、とその人は教えてくれた。
それを聞いた私は、彼の言っていたことがわかった気がした。
彼は、その仕事が自分にとっての最後の仕事になるとわかっていたのだ。
彼は逃げなかった。それが自分の責任だと思って、彼はそして向かっていったのだろう。
それを聞いたときから、私は暇さえあれば彼に電話をかけ続けた。
自分の仕事にも身が入らなかった。それでも、周囲に気づかれないよう気丈に振舞った。
彼からの電話を受け取ってからの三日間、私は電話を手放さなかった。
結果的にすべて繋がらなかったけれど、それでも私はやめなかった。
このまま終わりたくはなかった。このまま何も言えないことが、彼と二度と会えなくなることが、私には耐えられなかった。
たとえこれが彼の配慮だったとしても、私はどうしても彼の声が聞きたかったのだ。
そして自分の気持ちを伝えたい。たとえそれで自分が傷ついたとしても構わなかった。
でも、彼が電話に出ることは遂になかった。彼が言う三日間、それが終わってしまった。
眠れぬ日々が続き、食事もほとんど取っていない。けれど、それももう終わり。
日付が変わったことを確かめながら、私は一人で部屋に座り込んでいた。
もう彼には会えない。私は覚悟した。
彼と過ごした思い出が、そのときになって鮮明に浮かんできた。
胸が熱くなる。涙が零れる。我慢ができない。嗚咽が私しかいない部屋に響いた。
彼に会いたかった。会って自分の思いを伝えたかった。
でも彼はもう二度と私の前には現れない。私は無力。私は何もできない。彼はもういないのだ。
と、そこで突然電話が鳴る。流れ落ちてくる涙を拭いながら、
私はその電話を取り、そして自分の目を疑った。電話の主は、彼だった。
「……もしもし」
嗚咽を必死に堪えて私は言った。
「ごめん、俺だよ」
涙が再び溢れてきた。間違いなく彼の声。私の耳には確かに彼の声が伝わっている。
「今、君の部屋の前にいるんだ」
いてもたってもいられなくなり、私は受話器を放り投げて玄関へと走った。
扉を開けた先には人が立っていた。高い身長、細身の身体、趣味がいいとは言えない服装。
そこに立っていたのは、紛れもない彼の姿。私が一番求めていた彼の姿だった。
「やあ」
そう言う彼などお構いなしに、私は彼の頬を引っぱたいていた。
気づけば勝手に手が出ていたようだ。
目尻に大粒の涙を溜め、歯をかみ締めながら、私は彼を見た。
「ごめん」
叩かれて赤くなった頬を触りながら、彼は苦笑いを浮かべていた。
よく見れば、彼のその額には汗がこびりついていた。髪も乱れ、肩で息をしていた。走ってきたのだろうか。
「……どうして」
言いたいことがたくさんあるはずなのに、言葉が出ない。
「仕事がさ、忙しかったんだ。本当にごめん」
すぐには信じられなかった。
私がどれだけ心配していたのか、彼はわかっているのだろうか。
「ねえ、教えて。三日で終わるってどういうことなの?」」
彼の目を見つめながら、私は聞く。
「そのままの意味だよ。俺の人生は昨日で終わった」
彼はそう言うと、自分のポケットから小さな箱を取り出した。
そして、掌におさまるほどのその小箱を私のほうにかざし、彼はそれを開ける。
中には小さな宝石がついた指輪が入っていた。
「今日からは、俺たちの人生が始まるんだよ」