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他称容疑者
朝の静謐な空気。
ドアの向こうから流れ込んでくる、ひんやりと冷えたそれが顔に当たり、強制的に僕の頭を覚醒させようとする。
「おはよう。君」
「……今、何時だと思ってんですか?」
「うん? 午前6時くらいではないかな」
明朗快活。事も無げに言うが、この人は学生にとって朝の1時間の睡眠がどれだけ貴重でどれだけ大切な物なのかわかっているのだろうか?
わかってないんだろうな。
わかってたらこんな時間に僕が起きている筈がない。
そんなわけで、僕は早朝にも関わらず、鳴り響いたチャイムの音に叩き起こされていた。
チャイムを鳴らした相手? 言わなくもわかるだろう。
僕の知り合いの中に、こんなはた迷惑な事をする人間はいない。いや、いなかった。
昨日不本意ながらも知り合ってしまったんだ。
死神を名乗る妄想女に。
しかし、昨日の今日でまた自宅に押し掛けてくるとは思わなかった。迷惑千万他ならない。
「で?」
「うん?」
「こんな朝っぱらから何の用なんですか?」
自然と冷たいものになる僕の声にもめげた様子は無く(頼むからめげてくれ)昨日から変わる事のない美貌を全開にして、自称死神は笑う。
「いや、昨日のお詫びにと思ってな」
「お詫び?」
「そう、お詫び。君がしているその絆創膏に対しての」
僕の額を指差し、そう言うと彼女は軽く首を傾げた。
ああ、鼻血及び額殴打のことか。そうか、妙に気にしていたものな。まあ、でもまだ痕はあるけど、そこまで気にされるようなものでもない。
「大丈夫です。お詫びなんていりません。だから帰って下さい。そして寝かせて下さい」
それが僕の率直な心境だ。
「そうは問屋が卸さない。被害者に許されたからといって自分が加害者だという事を忘れるなどと、盗人猛々しいというものだよ。何よりもコレの気が収まらない。義を重んじられるのが人間の美徳というものだよ」
……あんた、人間じゃないんだろ?
もうマジで帰ってくんないかなこの人。
(無理なんだろうなぁ)
そう、この時僕は既に諦めの境地に達していた。別に悟った訳ではない。そうする事しか選択肢を持てないからだ。この根性なしめ。
「さて、そうと決まったら準備をしてくれ」
「準備?」
「そう、準備だ。君が外出できなければ謝罪のしようもない」
つまり外にで何かしらの謝罪とやらをしてくれる訳か。
それこそ"盗人猛々しい"と言うのではないだろうか。強盗に金返すから銀行の口座を作れと言われたようなものだ。
なぜ僕は貴重な睡眠時間を削ってまで、わざわざ謝罪を受けなければいけないのか。「謝罪強盗」という微妙なフレーズが思い浮かんだ。
何が言いたいかというと、面倒だということ。その一言に尽きる。
それでも僕には彼女のその言い分を覆すだけの説得力ある主張を展開出来そうにはない。
結局僕は、
「取りあえず制服に着替えますので、外で待っていて下さい」
そう口にするしかなかった。
家の中に招き入れるほど寛大な気持ちにはなれなかったが、大人しく外で待つことを選んでくれた自称死神。
ふと、このまま鍵を締めてしまえばいいと、妙案が思い浮かんだ。
だけど、それを実行しなかったという事は、何に因るせいなのだろうか?
……考えたくもない。
********
うず高く詰まれたゴミ袋をカラスが破き、中味を散乱させる。
それを踏まないように避け、無視しながらどこかへ向かう人々。
学校なのか、会社なのか、あるいはどこか別の場所なのか。答えを僕は知らないし、興味もない。
いつもならその風景の一部として僕も学校へ急ぐのだけど、今は横目にその情景を眺めながらゆるゆるとどこかへ向かって歩いている。
なんだか、変な気分だ。この非日常的な感覚は、いつもは出歩いていない時間に外を歩いているから感じるのか。
大して目に飛び込む情報など変わってやしないのに。
そう考えると、どうやら日常と非日常の差異は案外小さいようだ。
厳密に言えば、今現在進行形で僕の日常を非日常に変えている奴がいるんだが。
「で、どこに向かってるんです?」
「内緒」
イラッときた。
単純に人を小馬鹿にしたその話し方が気に食わなかったのもある。
そして何よりも、そういう態度をとられて反論するどころか胸を高鳴らせた自分が許せない。
連れ立って歩き始めてから気付いたのだが、昨日の豪奢なドレスとは違い、シックな黒のツーピースを身に纏った自称死神は、驚くほどその服装が似合っていた。相変わらず白いヘッドホンは頭に覆い被さっているが、そんなことは気にならない。それよりも少し短めのスカートと黒のストッキングが扇情的だ。男ならその姿とその美貌で「内緒」と人差し指を唇にあてられたら、ときめいても仕方ないだろう。
現にすれ違う人の半分は彼女を認識すると我を忘れたように立ち止まり視線を送る。彼女の外見はそれくらい凶悪なのだ。
はい、言い訳終了。
しかし「ときめき」は死語ではないだろうか?
そんな訳で(どんな訳だ)僕は自身の男の部分が勝手に頭の中で騒ぎ立ったことにかなり苛立っていた。やっぱりこんなエロガキは死んだ方がいい。その方が世界の為だ。
まあ、ここまで付いて来てしまったのだから、今更引き返すなどと意味のないことを言うつもりはない。ないが、ただでさえ低かったテンションがストップ安までガタ落ちしている。
だからという訳ではないが、僕は少し意趣返しを仕掛けてみることにした。つまりは八つ当たりだ。
「そういえば、あなた……死神さんって何歳なんですか?」
女性に年齢を聞くのは野暮というもの。でも、これは面白い質問だと思う。
さて、では"死神"は年齢を問われて何と答えるのだろうか?
「今年で19だな。学年を鑑みるに君とは2つ違いかな?」
「あ、え? ……歳あるんですか?」
「うん? あるに決まっているだろう。おかしな事を言うな君は」
正論が返ってきた。
彼女が本当のことを言っているかは分からないが、もっと齢何百歳だとか、訳のわからない世迷い事が飛び出すのだと思っていた。何だかこれじゃあ変な期待をした僕が馬鹿みたいではないか。
……馬鹿なんだったな。僕は。
しかし、本当によくわからない人だ。妄想も現実も一元的に扱っているようでいながら、その言動は淀みなく、それがかえって不自然。
出会って2日で他人を理解できるなどという幻想は抱いちゃいないが、それでも、ここまで妙な印象を周りに与える人間は初めて見た。
それが世間一般でいう"異常"なのだということは僕ごときにでもわかるけど。
「着いたぞ、君」
長距離望遠のように明後日の方向に合わしていた目の焦点を近距離に戻す。
僕達はファミレスの前に立っていた。24時間営業の大型チェーン店だ。
なんだか、もう予想が付いた。
店員に先導され、人が少ない店内の奥に案内された僕たちは、4人がけの席に向かい合って座る。メニューが手渡されると案の定、「好きなものを頼んで良いぞ」と言われた。
これが謝罪とやららしい。
まあ、妥当と言えば妥当な気はするが、なんだか釈然としないのは何故なのか。そもそもこれだったら夜でも良いだろうに。こんな朝に引っ張り出される意味がわからない。
「じゃあ僕はハウスサンドで」
現金なもので、僕はメニューを開くや開口一番そう告げていた。ステーキでも頼んでやろうかとも考えたが、朝から肉は少しきつい。
「ハウスサンドとデラックスパフェを」
注文を取りに来た店員にそう告げる彼女を見つつ、メニューを開く。デザートのページでデラックスパフェを探すと、そこには1000円も甘味の固まりのような写真が載せられていた。
甘いもの好きなのだろうか?
たわいない世間話として、そう聞こうかとも思ったが、窓の外を見つめる彼女には話しかけづらい雰囲気があった。
なにを見ているのだろうか? 視線の先には通りに設置されている電子時計しかないように思える。
数分後、テーブルの上には、きれいに焼き目が付いたハウスサンドと馬鹿みたいに大きいパフェが乗っていた。
1000円のパフェというのは伊達ではなく、入っているアイスだけでも相当な量がある。更にはクリームやらチョコやらフレークやらがこれでもかと詰め込まれていて、見てるだけで胸焼けしそうだ。
そしてそれを何事もないようにスプーンで崩し始めた自称死神は、確かに甘い物が好きなようだった。
「いただきます」
何時までも他人の食事風景を眺めていても仕方がない。
目の前の皿から漂う小麦が焼けた香ばしい匂いに、食欲が急に沸いてきた。ナイフとフォークも添えられていたが、作法も知らなければ上品に食べる場面でもない。迷わず手で掴み、ハウスサンドに一口かぶりつく。
厚めのベーコンから溢れる肉汁に様々な野菜の風味、フレンチ風の濃厚なソース。なかなかに美味しい。
少なくともコンビニに重きを置いた食生活では味わえない味だ。外食を普段しないから、より美味しく感じるのかもしれない。
ちょっぴり贅沢な朝食は、同席者がいるのにも関わらず、会話も無く進んだ。お互い自分の料理に集中していたのもあるし、大体何を話せばいいのかわからない。
昨日知り合ったばかりの他人に、話題を振れるほど僕は話術に長けてはいないし、これはこれでいい気もする。無理をしたところで苦痛なだけだ。
なので、気が付いたら2人とも食べ終わっていた。
僕が食べ終わるのと同時に彼女がパフェを制覇したのには流石に目を見張ったけど。
「ごちそうさまでした」
「いやいや、構わないさ」
食後の余韻というものを味わう暇もなく、店を後にするために立ち上がる。そろそろ時間を気にしなければ、僕が遅刻してしまうからだ。
しかし、男女で食事をして男が会計を全く払わないというのも、何だか格好が付かないと思う。思うが、そもそも今格好を付ける必要もないだろうし。僕は彼女が何やら高そうな財布から万札を取り出すのを終始眺めていた。
それに、お詫びらしいし。
「はい」
会計を済ませた彼女はおもむろにレシートを差し出してきた。
反射的に受け取る僕。レシートには総額1680円の僕達の食事内容が記載されている。
「えっと、これは?」
捨てておけという事だろうか? 僕は特にレシートを必要とはしない人間だし、持っていたところで意味がない。
だけど、僕の予想とは違い、レシートを差し出した本人はとんでもないと笑った。
「うん? それがお詫びだろう? 財布にでも入れておくといいよ」
「これが?」
「そう、それが」
僕の手に収まったこの紙切れにどれだけの価値があるというのだろうか? 原価にしちゃあ1円にも満たないだろうし、仮にオークションにでも出したら誰も見向きもしないだろう。
ファミレスで朝食をとる事ではなく、そのゴミ自体が彼女のお詫びだというのだろうか?
やっぱりよくわからない人だ。
「……ありがとうございます?」
取りあえずはお礼を言い、レシートを財布に入れる。
この行為にいかほどの価値があるのか、その時の僕には全然理解ができない。
そう。その"意味"を嫌というほど味わう事になろうとは露にも思いはしなかった。
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