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救助


ありえない。小さな窓を奪い合っている二人の傍らで、クオもまた驚愕の色を隠せなかった。 何なのだ、これは。目に映る光景が虚像に見える。偶然にしてはあまりにできすぎ。たとえ運命のいたずらだとしても、ここまで露骨だと逆に怪しい。

「あの、駄目でしょうか?」

何より自分たちは止まってしまった。これでは、いかに猜疑心に満ち溢れていたとしてももう遅い。 混乱する頭の中を整理しつつ、一つの結論を導いたクオは、二人がひしめきあっていた窓へと己の身体を突っ込ませる。

両腕に目一杯の力を込め、アッシュを座席に、ロウをフロントガラス側にそれぞれ追いやっていく。

「とりあえず、言いたいことはわかったよ」

二人からは汚らしい唾とともに盛大な抗議の声が上がったが、彼はそれを聞こえない振りをしてやり過ごす。

「ほ、ほんとですか!」

彼女の完全な姿を初めて視界に入れたクオも思わず言葉を詰まらせた。 確かに。誰もが口を揃えると言ってもあながち間違いではないだろう。が、今は見惚れている場合ではない。己を軽く戒めた彼は、

「詳しいこと聞きたいからさ。ちょっと車の中に入ってきてよ。入り口は真ん中にあるから」
「え、えっと。……入り口、ですか?」

そこでクオは自分たちが特殊な車に跨っていることを思い出した。心の隅で慣れてしまっていたのだろう。慌てて言い直す。

「ああ。ここからでも入れるんだけど、こいつらのせいで狭すぎるからさ。とりあえず真ん中で待っててくれないか。すぐに開ける」
「……はい、わかりました」

不信感をあらわにしながらも、彼女は渋々と車両の中央に向かっていった。 それを見たクオは押さえつけていた二人を解放し、窓から顔を離して何事もなかったように自分の席である助手席へと戻る。

「で、誰が迎えにいくわけ?」 「俺だ俺!」

ロウが即答する。クオの返事も聞かないまま彼は後部扉から姿を消す。

普通の乗用車ならば運転席の後ろに扉はない。しかし、この車は普通ではない。 言わばこれは化け物染みた要塞だ。だからこそ、設計の際にそれを見越した改良を加えなければ話にならなかった。

設計の際に考案された改良案は主に三つ。まず一つが運転席とコンテナとを直結させ、 全長が十数メートルにも及ぶこの車両の移動時間を短縮させること。 その結果として生み出されたのが、先程からロウが出入りしている連結通路であった。

ロウが向かったのは二つ目の改良案でもある居住区である。 クオが彼女に話した、いわゆる真ん中に位置し、そこに彼らが日常的に用いる入り口がある。

「どうしたんだ、アッシュ?」

と、そこでアッシュの呆けた顔がふと目に入った。

「いや、何だかな」

運転席にもたれかかり、目の焦点も微妙に定まっていない。明らかに普段の彼ではない。

「なんか唐突すぎてさ。信じられないんだ。絶対夢だろこれ」

いくら常に刺激を追い求める悪癖持ちと言っても、さすがにこの状況はやはり唐突すぎるのだろう。 ロウとともに暴走するのかと思っていたアッシュの、そんな意外な一面が垣間見え、クオはわずかに彼に対して興味を寄せる。 そして何を思ったのか、彼の前に置いてあった吸いかけの煙草を手に取ると、その吸殻をアッシュの手の甲にポトリと落とした。

「あ、熱っ」

悲鳴を上げながら吸殻を払い落とす速度は純粋に神がかっていた。呆けていた人間と言えども、やはり人の反射行動というのは凄まじい。 手の甲を必死にさすりながら涙目を浮かべるアッシュの傍らで、クオはそんな場違いなことを思い浮かべながら、一人苦笑していた。

「夢?」
「……絶対違うな」

今が現実だということを認識するには十分すぎるほどの痛みだったらしい。いつもの覇気が彼の瞳に戻ったことを確かめたクオは、

「んじゃ、わかったところで俺たちも行こう。久しぶりの仕事かもしれないしさ」

助手席から離れ、クオは後部扉に手をかける。 アッシュからの返答はなかったが、背中に確かな気配を感じただけで十分だった。

「さあ、遠慮なく話してくれ。俺が何でもしてあげるからさ」

運転席から出た瞬間、異様な空気がクオの肌を刺した。居住区画の真ん中に設置された机に、さきほどの女性がいる。 彼女の目の前に置かれた飲み物や、ロウの満面の笑みが視界に刺さり、激しい不快感によりクオの顔が歪む。 気持ち悪すぎるぞ、馬鹿兄貴。思わず叫んでしまいそうだったが、さすがにまずいと判断し、彼は無言で近くにある椅子に腰を下ろした。

「一刻を争う事態なんです。私の住んでた街が昨日いきなり攻撃にあって……」
「攻撃? テロか何かか?」

この地域の民族衣装か何かなのか、薄い布状の生地でできたローブ状の衣装を纏った彼女は、 机に置かれた水を一口含んでから続けた。コップを握る手が小刻みに震えているのが見えた。

「……MTで襲撃されたんです。いきなり」

言葉を搾りつくすような口調。その様子を見たクオは、抱えていたノートパソコンをおもむろに開いていた。

「もしかして一人で逃げてきたのか?」
「はい。何とか助けを求めようと思って」

アッシュの問いにも彼女は首を迷いなく縦に振る。真っ直ぐな視線受けた彼は、

「無茶しすぎだな」

と呟いていた。クオはそれを耳にしながらキーボードを叩いていく。

「で、俺たちにそのテロリストを追い払ってくれと。そういうことだな?」

ロウの質問に彼女がうなずく。

「無理なお話なのはわかっています。でもお願いします。もうこんなチャンスあるかどうか……」
「金は?」

クオはそこで彼女の言葉を遮った。いつしか彼はパソコンの画面から視線を外しており、訝しげに彼女の顔を眺めていた。 彼が唐突に発したその一言で、場の空気が一気に凍りつく。アッシュからは「おい、クオ」と、 場の空気を読めと言わんばかりの戒めの視線が送られてきた。

ロウに至ってはもっとたちが悪い。 思わず目を逸らしたくなるような激しい視線が肌に突き刺さる。それは間違いなく敵意そのものだった。

「勘違いしないでよ。俺たちはレイヴン、つまりは傭兵だよ? 傭兵は金でしか動かない。ただ働きなんて死んでもお断りだよ」

動じることなく、彼はさらに辛辣な言葉を重ね続ける。

「おい、そんなこと言ってる場合かよ。いい加減に金を頭から離せよ、この石頭が!」

ロウから激しい叱責が飛ぶ。だが、自分たちは傭兵。慈善事業でもましてや殺人者ですらない。そこまで堕落した自覚もない。たとえ守銭奴と罵られようが、これだけは譲れない。ロウが顔を露骨に歪めながら、彼の方向に歩み寄っていく。一発くらい殴られるかと想像していたが、

「お金は、あります」

彼女の悲痛な叫びが、重苦しくなりつつあった空気に馴染み、中和していく。

「今はレイヴンの人に払うような額は持ち合わせていません。だけど」

歩みを止めたロウは、気まずい雰囲気を感じ取ったのか、元の場所へと戻っていった。

「もし助けて頂ければ、街のトップと掛け合って報酬くらいは出せるはずです。それでも、駄目ですか?」

騙そうとしているなら大した演技力だ。唇をきゅっと噛んでこちらを見つめる彼女を見てクオは思う。 迫真の演技か、それとも嘘偽りのない真実なのか。

「足りないって言ったら?」

単なる遊び心で彼は聞いた。

「……なんでもします」

アッシュやロウの目が一様に丸くなっていたが、クオは気にすることなく、

「いいよ別に。そんなことする必要なんかないよ」

若干の笑みを含みながら手を横に振って発言を否定する。

「場所を教えてくれないか? 急いでいるんだろ」
「え、でも……」

急に意見を翻したクオに戸惑っているのか、彼女の口が止まった。 アッシュだけではなく、一度は暴発しかけたロウでさえも、今では彼のひねくれた言動に困惑しきっていた。 皆の一通りの反応を見たクオは、そんな彼らに向けて説明をするような口調で話す。

「誰も受けないとは言ってないよ。依頼はちゃんと受ける。それに報酬の額を言わなかったってことは、そのトップから好きなだけ要求できるってことだ。違う?」

悪魔染みた笑みを浮かべるクオに対し、二人から「あ、なるほど」という納得の言葉が漏れた。 言葉の裏をかくのも定石だ。金の亡者と言われている限りは、その面目は保たねばならない。

「だから、そのためにはまず場所だよ場所」

クオがパソコンに表示されている地図を見せると、彼女は指をあちこちに動かしながら場所を探っていく。

久しぶりの仕事。それだけを考えるだけで胸が躍る。すでに二人は臨戦態勢に入っていた。 仕事と聞いた瞬間、スイッチが切り替わる。やはり二人もレイヴンだった。

そして「ここです」という声とともに彼女の指が止まる。 それを見てしばらくの間何かを考えていたクオは、数秒ほど沈黙を続けたあとで口を開いた。

「えっと、ここからだと北西に二、三十キロって感じだね。ACじゃ大体五分強ってところか。俺たちが進んでた方向とは真逆になるけど、どうする?」
「相談の必要性なし!」

張り上げられたアッシュの声に、クオはうなずいた。

「了解。それじゃ今回は兄貴とアッシュでいいのかな? っていうか二人とも放っておいても勝手に行きそうだけど」
「お、よくわかってるじゃないか」

暇という言葉を連呼していたアッシュはもちろんのこと、女性の懇願という点で勝手に興奮しているロウ。 両者とも今の状態では血の気の多さではクオを遥かに凌駕している。だからこそ自分の出る幕はないと判断を下すのも容易だった。

「……まあいいさ。んじゃとりあえずさっさとACに乗ってくれ。ってアッシュは?」

さっきまで椅子に腰掛けながらも興奮を抑えられない様子だった彼の姿が見当たらない。一体いつのまに移動したのか。

「もう行ったぞ」
「あの馬鹿……。まだ言ってないことあるってのに」               
「俺が言っといてやるよ、何だ?」
「無駄撃ち厳禁って言っといてよ。というか、これは兄貴にも言えるんだからな。あと乗ったらいつものよろしく」

強い口調で釘を刺す。苦笑いを浮かべながらも彼は、

「はいはい」

と、渋々ながらも了承していた。

「あ、あの……」
「ん?」

彼が後部格納庫へと消えていくのを見送ったのと同時に、焦りを帯びた声色が聞こえた。

「お二人だけ、なのですか? あの、あなたは?」
「俺? 俺は留守番だよ」

さも当たり前のように言うクオの態度にやはり納得いかないのか、彼女の困惑した表情は崩れない。

「安心しなよ。あの二人はそんなに弱くない。この程度なら二人でも十分なくらいだ」
「で、でも……」
「それに、この中で君一人だけが待ってるってのも危険だろ」

いろんな意味で。そんな意思をこっそり潜ませながらクオは言う。自分が戦場に赴かない理由はそれこそ山ほどある。 その一つ一つを説明するような悠長な真似はとてもできない。ここではクオが残ることが最善なのだ。

「この際だから言っておくよ。俺はクオ。で、あのダークレッドの髪のやつがアッシュ、最初に君と目を合わせた男だよ。で、さっきまでここにいたうざいやつがロウ。認めたくないけど一応あれが俺の兄貴。不幸にもね」

不意に伸ばされた手に、最初は意味がわからなさそうな顔を浮かべていた彼女も、

「……サラです。サラ・コースト」
「よろしくサラ」

しばらく経つとその意図を理解し、彼らは互いの手を握り合う。 簡素な自己紹介を済ませたそのとき、車体が大きく揺れた。何かが開く音が続けて鳴り響いた。

「お、準備できたみたいだな。気をつけて。今からちょっと揺れるよ」

ドンという強い衝撃とともに化け物染みた車体がわずかに傾いた。 流し台の傍にある乱雑に詰まれた皿がカタカタと音を立て、吊り下がっている電球も振り子のように揺れる。 不意打ちのような衝撃に金髪の女性――サラは目の前の机をぎゅっと掴みながら有事に備えた。突然の襲撃とでも思っているのだろうか。

居住区画を越えた先の格納庫には、三機のACが搭載されている。 居住区と並ぶ三番目の改良案。莫大な資金を犠牲にしながらも、コンテナの一部に独自に開閉機構を埋め込むことで、ACが出撃できるようなスペースを確保したのだ。

さすがにその強烈な振動だけは緩和することができなかったため、その余波は当然ながら居住区にも響いてくる。 だが、もう少し静かに出撃できないものなのか。二人の相変わらずの無神経さを肌身に感じ、クオは溜め息を吐いた。

「俺はこれからやることがあるんだけど、君も来る?」

パソコンの電源を落とし、クオは残された彼女に向かって問う。 少し考える素振りを見せたあとでサラは「はい」とうなずいた。

「あの、何をするんですか?」
「いろいろ調べ物だよ。あとはあいつらとの交信とか」
「交信、ですか?」
「索敵とか交信とかまあいろいろだね。一応そういうのは俺の担当ってことになってるんだ」

そして彼らは居住区の壁を越える。その壁一枚を隔てただけで、雰囲気が物々しいものへと変わる。癒しの空間などとは程遠い灰色の壁が一面に広がり、その先には、他とは材質が明らかに違う巨大な扉があった。だが、物怖じする素振りも見せず、 クオは当たり前のようにその扉の認証コードを入力していく。正式にクオであることを認識した扉は、不気味な音を立てながらも上下に開き、彼とサラを手厚く迎えた。

「これは……」

彼女が驚くのは当然の反応だろう。扉を潜った先には、何か催しものでも開けそうなほどの広大な面積。 そして天に届きそうなほどの高い天井を有した大きな空間が広がっていた。

そこに佇む一つの巨人。黒をベースにダークグリーンを強調色として用いている逆関節型AC<ローゼンクランツ>が、 広大な敷地の中で、まるで仲間はずれにでもされたようにポツンと取り残されていた。

「生で見るのは初めて?」

クオが聞くと、彼女は縦に首をぶんぶん振った。

「へえ、そうなんだ。てっきり慣れてるかと思ってた」

特にその返答に興味もなかった彼の手には、いつのまに拾ったのか小型の無線機が握られていた。 その四角い機械に「あー、あー。あー、聞こえる、兄貴?」と何やら吹き込んだあと、それを耳に当てる。

「……落ち着いているんですね」
「ん?」

その振る舞いが気になったのか、サラから思わぬ発言が飛んできた。クオはわずかに顔をしかめる。

「私にはなんだか、あなたがすごく年上のように見えます。上手く言えませんけど、どこか大人びているというか……」

端から見ればそうなのかもしれない。だが、まだ人生の四分の一程度でしかない十八という年齢で、 さすがに大人びたという表現はどうなのかと彼は内心で思う。三つほど年が上なアッシュと比べれば、 人間的にも勝っているという自負はあるが、七つも年が離れている兄と比べれば、自分はまだ這いずり回るくらいしかできない子どもと同じだ。

「いや、そうでもないよ。あの二人、特にあんな馬鹿兄貴の相手なんかしてたら、望んでもないのにこんな性格になっちゃったんだよ。それだけ」
「それでも、あの人たちをしっかりまとめていたじゃないですか」
「俺がまとめた? 違う違う。あれは君のせいだよ」

手を横に振りながら彼は苦笑する。しかし、サラは彼のその笑みの意図が理解できないといった表情を浮かべ、

「私の、ですか?」

と、首をかしげながら言う。

「そう、君。最初に会ったときのインパクトとかでさ。兄貴が女の子でやかましくなるのは毎度のことだから別にいいんだけど、あのアッシュまでガチガチに意識させたんだから君は相当だよ。自信持って良い」
「そんな……」

顔を赤らめた本人も、どうやらまんざらでもない様子であった。自覚がまったくないというわけではなさそうだ。

「それに俺もさ。あいつらの気持ちがわからなくもないんだ」

誰もが認めるというわけではないが、やはり相当数の人間が彼女に何らかの好意を持ってしまうのだろう。 それが断言できてしまうほどに、彼女の魅力は様々な要素を孕みながら彼女の全身から迸っているのだ。

「でも、俺は君を好きにはなれない」
「え?」

含みのある彼の言い回しに、サラの動きがピタリと止む。空気が唐突に張り詰める。だが、

「あの二人はどうなのかは知らないけどさ」

双眸から溢れ出る眼光。獰猛な獣を思わせる敵意を剥き出しにした彼は、もはや以前のクオではない。まったくの別人と言っても良かった。

「……秘密が多すぎる女はタイプじゃないんだよ、俺は」

敵意のみを充満させた言葉を、クオは彼女に向かって堂々と吐き捨てる。 しばらく棒立ちになってその痛烈な言葉を受けたサラだったが、次に彼女が取った行動は、まさにクオの想像通りとなった。

微笑んでいた。発言の意図を問うわけでもなく、声を上げて否定するわけでもなく、ただ笑っていた。 感情も何もない。ただの笑い声。それは今までの彼女とは明らかに違っていた。事実、彼女はクオの威圧に対して萎縮すらしていなかった。

無機質な冷笑が広大なガレージ内に響き渡る。それを耳にしていたクオは、この姿こそがサラ・コーストの真なる姿なのだと確信した。 彼女の首には未だに、痛々しそうな包帯が巻かれているが、それを見つめても、もはや彼は何も思わなかった。



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