やはりこの雰囲気は好きにはなれない。
ディスプレイの反射光が揺らめくCIC――戦闘指揮所の中心で、トーマスは静かに息を吐いた。
眼前では士官たちが定められた席に座りながら、目の前の画面と対峙している。
レーダーを見るものや、連絡を取り合うもの。情報制御から攻撃制御、武器管制まで。
オペレーターの口は絶えず開かれており、キーボードを叩く指は止まる気配がない。
様々な情報を管理、処理する彼らの前には、電子化された周辺の地図が表示されており、
マザーウィルが駐屯している地区を中心に、北にはネフド砂漠、エジプトやリビア砂漠が広がり、そこに面した紅海、アラビア海に至るまでの広大な領域が収められていた。
そのアラビア海に位置する場所に、オレンジ色のマーカーが灯っていた。
点滅するそのマーカーからは一筋の線が延びており、その延長には自分たちが乗っているマザーウィルがあった。
「艦長。前線基地から連絡です」
反射光で顔を青白く染めていたオペレーターが告げる。
「接触したのか?」
眉間に入った皺を維持しながら、トーマスは言った。
「数分前に対象と交戦したとのことです。ですが、被害は軽微。対象は基地を破壊せずそのまま直上を通過したようです」
「針路は変わらず、か」
「今のところ、変わりはありません。接触予定時刻もこのままで問題ありません」
「わかった」
彼が言うと、オペレーターは再びディスプレイの列に視線を戻した。
「艦長」
と、今度は別のオペレーターが振り返り、彼を見た。
「基地から交戦時の映像が送られてきていますが」
「モニターに出してくれ」
「了解」
その声に応じて、オペレーターは端末を操作していく。
電子化された地図が目の前から消え、横長の黒い画面が広がった。
「映像、出します」
オペレーターの合図と共に、黒い画面の中に、均等に分かれた正方形がいくつも現れる。
CICにいる全員の目線が上がり、その画面を注視した。
映像は前線基地に存在する監視カメラのものだろう。
画面から基地全体を一望でき、無数のノーマルが展開しているのが判別できる。
逆足型のノーマルたちは一様に同じ方角を向いており、そこから来る何かを待っているかのようだった。
瞬間、そこに何かが見えた。カメラの解像度でもはっきりとわかるほどの何かが空に現れたのだ。
薄灰色の空にただ一点、基地へと向かってくる飛翔体がいた。
膨大な黒炎を真っ直ぐ吹き上げながらそれは向かってくる。
ノーマルが身構えた。ふと見ると、物体が何かを射出したようだ。噴射炎から察するに、放たれたのは一発だけだろう。
トーマスが思っていたまさにそのときだった。その物体はとてつもない速度でカメラを横切り、そのまま見えなくなった。
一瞬、何が起こったかわからなかった。トーマス自身も、画面の見ていた彼らも、画面の奥にいるノーマル部隊も、同じような心地であろう。
残された画面に映ったのは、ミサイルと思しき物体が、さながら置き土産のように地面に落着し、大地を抉る様子である。
至るところで爆発が起こり、黒煙が上がった。紅蓮の炎が次いで立ちこめ、周囲を赤と黒に染め上げる。
地面に着弾した個数は一発ではない。おそらく、射出されたと同時にミサイル自身が分裂したのだろう。
残された画面には炎と煙しか見えない。たった一発のでこれだ。
あの物体――ネクストの戦闘能力はやはり群を抜いている。映像はそこで終わっていた。
「映像は以上です」
「すまないが、少し巻き戻してくれないか」
「わかりました」
トーマスが言うと、再び画面に同じ映像が流される。
オペレーターが気を利かしてくれているのか、目的の箇所布巾で映像がスローへと切り替わった。
「そこだ。そこで一旦止めてくれ」
トーマスが促す。映像が止まり、空からの訪問者の姿も同じく静止していた。
静謐だったはずの指揮所の中から、囀るような声があちこちから聞こえた。
「間違いないか」
動揺を隠し切れないのは、トーマスも同じであった。
そこに映っていたのは、間違いなくあの機体なのだ。
ホワイト・グリント。企業支配に反抗した自由主義者の理想郷、ラインアークの切り札。
何本もの巨大なブースターを繋げた加速器――VOBを背部に装着し、生み出された爆発的な速度とともに上空を翔けようとしていた。
パールホワイトに染め上げられた装甲は、白い閃光の名に恥じない輝きを見せ、
その先鋭的なフォルムは、従来のネクストとは一線を画している。
コアの左右からは翼を思わせる突起が大きく伸びており、肩部のデザインもそれに合わせたように鋭角である。
その下半身も発生する衝撃波に対処するためなのか、後方へと収納される形で収まっており、これも通常のネクストとは明らかに異なる設計だ。
カラードランクこそ九位に甘んじてはいるが、その実力は数いるリンクスの中でも最高峰に位置するという。
政治的な理由からか、その搭乗者の正体は極秘中の極秘とされ、亡霊と揶揄されることも少なくはないネクスト――。
「もういいぞ。ありがとう」
見たいものは見た。目を閉じて映像を脳裏に刻み込む。
亡霊。そう亡霊だ。トーマスは反芻する。この白い騎士を見ると、何故かかつての彼の姿を思い浮かべてしまう。
アナトリアの傭兵。BFFを単機で壊滅させ、リンクス戦争を終結させた英雄。
死亡が確認されたもう一人の英雄、ジョシュア・オブライエンとは違い、彼のその後は誰にも知られていない。
ただ、ラインアークにかつての彼の盟友であるフィオナ・イェルネフェルトが亡命したという情報を、トーマスらBFF幹部は掴んでいた。
彼とこの白いネクストが等号で繋がること。その可能性は十分にありえるのだ。
彼が再び牙を向いてくる。そう思っただけでトーマスは冷静さを失う。
苦汁を舐めさせられ、誇りも自信もすべてを彼に奪われた。
あの大西洋で、あの燃えるような夕日の下で、彼はあの英雄に恐怖し、そして制御できない怒りを覚えた。
彼に相対したかった。でき得るのなら、海に沈んだ兵士たちの無念を晴らしたかった。
そして彼は今、最強と謳われているアームズフォートを指揮している。
もう、あのときのようにはならない。今度はまともな勝負ができる。
一軍人として、また一個人として、彼に真正面からぶつかることができる。
だができない。その決断によって発生する重みに彼は耐えられないのだ。
彼と対決するということは、すなわちどちらかが消えるまで戦いは終わらないということ。
自分が負ければ、それはこのマザーウィルに搭乗している全ての人間の死を意味する。
今、彼が選択しなければならないのは、艦長として敵を迎撃し、艦を守ること。
それがBFFの利益でもあり、そして艦内で生計を立て暮らしている皆のためでもある。
その重圧から逃げ出して、個人の目的に走る気はトーマスは最初から持ち合わせていなかった。
「艦長。戦闘不参加の民間人はすべて避難を完了しました」
「わかった」
振り返ると、そこには副長を含めた主要幹部が揃っていた。
だが、よく見ると一人足りない。副長が落ち着きなく靴底を鳴らしている。
「すいません。遅れました」
と、奥の扉が開き中からティンバーが慌てた様子で入ってきた。
「遅いぞ。中佐」
「いやはや、申し訳ありません。避難の誘導にてこずりましてね」
副長の鋭い視線が投げられる。
ティンバーは彼に苦い笑みを返して、トーマスと向き合った。
「副長以下、全て揃いました。これより各自の持ち場につきます」
「ああ、よろしく頼む」
これで全員。必要なものは集まった。あとは各々ができる最善を果たすだけ。
踵を返し、トーマスはそこに座る士官たちを見る。そして言った。
「さて諸君、始めようか。そして敵に見せつけよう。我々の誇りを、気高さを。これがBFFの戦い方だということを」
慣れない軍服を身につけた男たちが、中央広場に集結していた。
それぞれが決められた箇所に並び、必要な物資の受け取りを行っている。
「ニール、少しは落ち着いたらどうなんだ」
前に並ぶニールがえらくあたふたしているので、俺はその後頭部を軽く小突いた。
「落ち着けるわけないじゃないですか、こんな状況で」
手加減したつもりだが、予想以上に痛かったらしい。
俺に突かれた部分を押さえながら、わめくような声でニールが言う。
「だって敵ですよ敵! しかもあの! ネクスト!」
騒々しい。周りからそんな視線が飛んでくる。実に嘆かわしい。
そんな俺の意思を尊重してくれたのか、ちょうどいいタイミングで彼の頭上に神速の拳骨が落ちる。
「カイルの言うとおりだ。というか大人しくしないと怒鳴られるぞ」
「ぐぅ」
うめき声をあげて、ニールがうずくまろうとする。だがそれすらも先輩は許さない。
握り締めた拳をほどき、ニールの身体を掴むと、彼は自らの膂力で崩れ落ちそうだった彼を無理矢理立たせる。
「ほら、しゃきっとしろ。しゃきっと」
パチンという音。ぎゃっという悲鳴とともにニールの身体がびくんと跳ねる。
まさか尻に張り手まで見舞うとは。今日のケイン先輩はサービス精神が旺盛のようだ。
尻をさするのに必死なニールを尻目に俺は安堵していた。
周囲の陰湿な視線からようやく解放されたからだ。
と、誰かが俺の肩を叩く。先輩だった。
「ほら、前」
「あ、はい」
少し声が裏返る。慌てて前を見ると、前に並んでいた人間は、すでにその奥にまで移動している。
生粋の軍人から、訓練の時だけはこうして軍服を着る俺のような連中まで。
集められた広間には、それこそ無数の人間がいる。一旦はぐれてしまえばそこまでだ。
俺はすぐさま前の人間の背中を追った。先輩やニールが後ろから続く。
奇妙な感覚だった。何故自分はこんなにも落ち着いていられるのだろう。
ここはもうすぐ戦場になるというのに。人外の化物がまもなくここを壊しにやってくる。
それなのに、この雰囲気はなんだ。皆の表情には緊張こそ張り付いているが、怯えらしきものは感じ取れない。
露骨に動揺するニールが逆に不自然なくらいだ。自分が死ぬかもしれない、という実感が何故かここでは沸いてこない。
他の連中にも同じ考えのやつはいるだろう。だが、俺の目線からではそいつらを見つけられない。
「不安か?」
後ろから声をかけられ、俺は振り返った。
「ええ、まあ……」
つぶやくように言った。部隊の制服が板についている先輩の姿が、俺の視界に入る。
「そういや、お前も初めてだったか」
「ええ、初めてです。ネクストというのは」
先輩は意外だ、という顔をした。
黙っていれば軍人にしか見えない。そんな迫力が迸っていた。
「先輩は経験あるんですよね」
「一回だけな。お前が来る少し前だったか」
「あのときもこんな感じだったんですか」
「ああ」
「そのときは?」
「まあ、成功した」
即答せず一拍置いた彼に、俺は眉を潜める。
「まあって……、何ですか、その微妙な反応は」
「いや、あれが成功と言えるものなのか、と思ってな」
「どういうことですか?」
「五分も保たなかったんだ」
意味が分からず、俺は固い表情を崩さなかった。
「何が、です?」
「敵が」
「ネクストですか」
ああ、と彼はうなずいてみせる。
「いざ迎撃開始って感じで、ドンパチするかと思ったら、次の瞬間には『終わったんで帰っていいですよ』って言われた」
「は?」
わけがわからない。
「そのままの意味だ」
「いや、その意味がよくわからないんですが」
「主砲の一発がVOBを破壊したんだと。それで航続不能になったネクストはみじめに退散したってわけ」
ネクストですら、たやすくあしらったということなのか。マザーウィルにはそれが可能だと。
その経験こそが、この広間の異様な余裕っぷりを生み出している。と考えれば、少しはこの異様な雰囲気が理解できた。
「絶対防空圏ってのがあってな」
「はぁ」
安易な想像しか浮かばず、相槌だけを打つ。
「今までその境界を越えた敵はいない。もちろんネクストを含めてな」
「だから、今回も大丈夫だと?」
「少なくとも周りの連中はそう思っているみたいだがな」
「先輩はどうなんです?」
饒舌に語る先輩に向けて、俺は少しばかり毒を吐いてみた。
皆の思考が危険だと思ったのだ。同時に俺は恐怖とは別種の寒気を感じた。
慢心、油断。周囲に漲るのはこういった感覚なのではないか。
前例がないから、という理由だけで、今回も問題ないだろう。という結論に達しているのではないか。
そう思うとぞっとした。
「さあな」
俺の問いに、先輩は曖昧な答えを寄越してきた。
その目は決して笑ってはいなかった。