ARMORED CORE Stay Alive TOP

05.


鳴り止まない作業音。あくせくと働く整備士。常に機械油にまみれ、休む暇も無く動き続ける男達。喧騒としか表現の仕様がない作業場。
ガレージと言えば浮かぶイメージはそんなものだろう。そうあって欲しい、そうでなければとても困る。


「……何で誰もいないの?」


なのに、なのにだ。まだ重い体を引きずり、全身の気だるさが抜け切らない病み上がり状態のユエルが、
本来半日で済むものをあろうことか病院送りにされ、丸々一日という倍の時間を費やしてようやく辿り着いた我が家とも言える居場所が、
人一人見つけるのもおぼつかないほどの静寂に包まれていると言うのは一体どういう事なのか。


まだ整備中だという事がはっきりと分かるAC、空気の流れすら音として捉えられそうになる程の静寂さ。
本来は絶対にありえない光景を真に受けて眉を顰めながら、ユエルは何も出来ず只その場に立ち尽くすしかなかった。


出来る事と言えばとりあえず人を探す事しかない、彼は弧を描くように視線を動かしてとにかく人影をその目に入れようとする。
背後には『もう二度と乗りたくないAC』第一位にめでたく選ばれたアダナキエルが搬入されるのを静かに待っていた。
早く元に戻せ、と言わんばかりにトレーラーの中で呑気に眠っているそれに若干の毒を送っておきながら、ユエルは首を動かし始める。


その視線が完全な半円を描き終わる頃、ようやく、ガレージ入り口から最も対極に近い位置に豆粒大の大群が何かに群がるのが見えた。
かなりの数が居る。恐らく全ての整備士が集まっているのではないか、と思うくらいに。
ユエルがほっと安堵すると同時に、何人かが同じくこちらの存在に気付いたのか、その中の数人がその場を離れて彼の元へ向かってくる。
しかしその数はかなり少ない。およそAC一機を搬入口から定位置に戻すには確実に人手が足りないだろう。

「何かあったのか?」

近づいてきた整備士の一人に声を掛ける。だがユエルと同年代かそれ以下であろう風貌である若い整備士の表情には、
本来あるはずの若々しい張りと言ったものが無く、貧乏くじでも引かされた様子でユエルを半分睨むような目つきで見つめていた。
嫌々と言わんばかりの口調でそんな中の一人が渋々応える。

「知らないんですか? 今日、上位ランカーが越してくるって話。で、そのACが搬入されて皆で見てたんですよ。今から誰が整備担当になるかのくじ引きやる筈だったんすけど、あなたが帰ってきて先輩らに『新米は普通の仕事してろ』って言われてそれで――」
「つまみ出された、か」

首が上下する。俺の所為なのか? とふと罪の意識なりが浮かび上がりもしたが、真っ先にそんな訳無い、とすぐに全否定した。
だが、遠回しに彼らがそう言っているように聞こえる為、ユエルの内心は複雑だ。
まぁ確かに彼らの表情を見てしまえば多少なり罪悪感を感じてしまうのもまた事実で、悪いといった思いもやはり湧き上がる。

「それから――」

と、ユエルの思考を遮り、新米の整備士はさらにばつが悪そうに口を開いた。

「主任からの伝言なんですけど『こっちは手が離せないから何人か使って自分でその辺の空いてる所にAC戻してくれ』って事なんです」

薄々気づいていた事だが、それでも文句の一つは言いたくなるような伝言だ。
なるほど、足りない人員は自分で補えと言う事なのか。自分の腕を期待しているのか、それとも相手にされていないだけなのか。
どちらだとしても彼にしてみれば迷惑この上ない。さらに正直に出来ないと言えないユエルがさらに大問題だ。
実は、ラスティによって無理矢理鍛えられた整備の仕事が、不覚にも新米程度に引けをとらない程に出来るという無意味な自負があるんです、
なんて事は人には口が裂けても言えない、言いたくない。


だが、だからといって一レイヴンである自分をここまでこき使うのはいかがなものだろか、と彼は正直な感想を頭に宿らせる。
しかも任務中にコクピット内で吐いて、気絶して、病院送りにされて、異常無しと判を押されて、追い出されて、と
とても二十四時間とは思えない密度の高い一日を過ごして心身ともに疲れきってる自分の現状を一切考慮していない指示だ。
そんな指示など踏み潰してやると思うのが普通だが、ご丁寧にその指示をした奴はそれが出来ない様に念入りな細工を施していたようだった。


結局やるしかないのか、と内心で理解したユエルは了承の合図として盛大な溜め息を吐く。
新人整備士らの視線は既に懇願のそれに変わっていて、最初から逃げ場など無かったという事実を改めて確認させられる事になったから。
ユエルという男はそれすら振り払って逃げるような奴ではない、と勝手に誰かに判断されているのだろうか。
姿を見せない舞台監督の顔が何となく浮かび上がると同時に、ユエルの顔は大いに歪む。


一人一人の性格や行動を予測して自分をこのような状況に叩き落せるような展開を見事に作り出す。
あの男なら簡単にやりそうな事だ。悔しいがその読心術のような才能だけは認めざるを得ない。
そんなあいつは今何処で何をしているのか。そして何故こんな手の込んだ事をするのだろうか。
奥が深そうな考えが頭によぎりユエルは歪んでいた表情を元に戻しながら前方の男に聞いた。

「そういやラスティって今何処に居るんだ? それにそのランカーって奴もいないし……」

単純な疑問だった。そもそもACがあるのにレイヴンが居ないというのはあり得ない。
考えられる事と言えば既に来ているか、あるいは遅れて来るのか、あるいは姿を見せられない理由でもあるのか、くらいだ。
丁度、彼の問いを受けた新米の整備士が口を開き、その答えを示そうとする所が目に入ったユエルは静かにそれに耳を傾ける。

「それが本人がまだ来てないみたいなんですよ。ACだけ送られてきてそれで終わりだったんです。副主任なら事務室じゃないんですか? たぶんですけど。あ、そういえば最近の副主任、あそこに篭もりっぱなしで何かしてるみたいなんですよ。扉の前に『入れば殺す』なんて立て札掛けてあったら、とてもじゃないですけど近寄れないから俺らには何してるか分かりませんけど。正直、あの人のする事は俺らじゃ全然理解できないですよ、ほんとに。上位のランカーって皆副主任みたいなんすかね?」

思わずぎょっとなった。おぞましい光景でも想像したのか、ユエルの表情が苦笑いを作り出す。
「だとしたら最悪だな」と笑い飛ばして、顔も見たことがないそのランカーとやらがあのラスティのにやけ面と重ならないよう努めた。


実際そのレイヴンの姿を確認してその考えが正しい事と証明したかったが、
今はさっさと与えられた仕事を終わらせて部屋でゆっくり休むに限る、という結論に至っている彼には無駄な思考でしかない。
僅かに伸びをしながら体をほぐした後、周囲の人間を見渡し自身の仕事の分担をあらかた模索して「……やるか」と呟いた後、
ユエルは外で待ち構えるACの搬入作業に取りかかった。


その先で全く予想だに出来ない別世界が展開されていた事など、今のユエルには気づける筈も無かった。





「確認する。名前と所属していたアリーナを言え」


淡々と突きつけられる事務的な慣例事項。様々な用紙が乱雑に撒かれた汚らしい空間で、
闇のように黒い風貌を見せる男は、僅かな閉塞感に締め付けられながらもその言葉を静かに聞いていた。


ようやく此処までこぎつけた、というのが男のとりあえずの感想だった。その氷のように動かない表情の上には微妙な疲れの色が見えている。
数日に渡る閉所生活にうんざりしていたにも関わらず、次に待っていたのは明らかに数の少ない交通手段。
ACは事前に別便で輸送されたから問題は無いが、人に対してはまさかこれ程不便だとは思ってもみなかった。


さらに辿り着いたはいいものの、今度はこのガレージの主任らしき人物に引き止められ、その背を追う内に表口ではなく裏口へと招かれる始末。
もう焦るという段階は既に超えていた為、男はそれに対しては何の文句も無く受け入れるしか無かった。待ち望んだ邂逅が果たされたのはそれから数分後。
単なる扉を重々しい扉へと昇華させている『入れば殺す』という汚い字を通って、ようやくこれまでの長すぎる過程は終わりを迎えてくれた。


そして今、扉を潜った先に居た男は風貌こそ違えど確かに自身の記憶に根強く刻まれていた男だった。
ラスティ・ファランクス――かつて彼と同じく皆の脳裏に刻まれている白銀の機体を操る最強のレイヴン。
しかし男の目にはふんぞり返りながら何かの用紙に目をやるラスティがそれ以上の存在に見えている。
静かに揺れる心を抑えつけ、男は事務的な決まり事を同じ事務的な言葉で返そうとした。


「“アイディール”所属は――」
「本名をだ。誰がレイヴンネームを名乗れと言った?」


しかし、男の目を初めて見据えたラスティは僅かに声を荒げて彼の言葉を遮る。男は何も応えなかった。
只、彼もラスティから視線を離す事は一度も無く、彼らが作り出す無言の静寂が狭く息苦しい事務室をさらに重い空気に変えていく。
時間に換算すればほんの数十秒の筈なのに、彼らにしてみればそれより遥かに永い時を過ごしたように感じている事だろう。
その静寂を破ったのは男のもはや事務的とは言えない明確な意思が感じられた一言だった。


「……アゼル・バンガード。『アーセナル』所属」


男――アゼルが沈黙を破って本名を明かす。耐え切れなかったから。同じ氷の気配を感じるも自分と彼とではその絶対温度の桁が違う。
全身を睥睨する凍てつくような視線に気圧されて自身の目にまで掛かる黒髪の毛先一本一本がチリチリと疼き、
手や背筋からは異常な量の冷汗が滲んでくる。恐怖が混じった唾液を静かに飲み込み、アゼルは再びその瞳を真正面に受けた。


変わらない、あの時と何も変わってはいない。その瞬間、過去の記憶の男と自身の視界で安い古椅子に腰掛けている男が完全に一致する。
遂に見つけたのだ。自身が今なお恐怖し、尊敬し、そして憎み続けているこの男を……

「確認した。……久しぶりだな」

互いの不幸とも言うべき邂逅をあらん限り表情を緩めて祝福するラスティには余裕すら感じられる。
アゼルはその意味の重さを感じ取りながら彼の次の言葉を待った。

「知らない間にいつの間にか四位か……随分腕を上げたみたいだな」

答える必要が無い雑談だ。アゼルは無言を貫く。

「あれから何年たった?」
「……六年十一ヶ月と十二日だ」

今度こそ彼は正確に過ぎた年月の重さを噛み締めるように言う。忘れた事はないあの日から刻まれ始めた時。
が、ようやくの第一声にも関わらす向こうの反応は彼が思っていたより冷ややかだった。

「まぁだいたい七年か。七年、時間が経つのはえらく早いもんだ」

今まで忘れていたかのような口調がアゼルには気に入らなかった。ラスティは身に纏う作業着の懐をまさぐって何かを取り出そうとしている。
自分が永遠とも感じていた年月を彼は一瞬だと言い放ったのだ。こうも感覚が違うのか、とアゼルが反論の一つでも展開しようとした時、
不意に凛と輝くラスティの瞳から「だが……」と相手を射殺す程の視線と言葉が容赦なく彼に襲い掛かってきた。

「お前にとっては、違うようだ」

まるで鋭い針で貫かれたような一撃がアゼルに圧し掛かる。この男は見極めているのだ。
自らの髪の色と同じ黒で全身を染め上げ、無愛想という鉄の仮面を被っているのにも関わらず、
お構いなしと言わんばかりにラスティはその鎧を易々と打ち破り、とても無表情とは言えない本当のアゼルを見極めようとしている。
その目から見れば、たとえ人々が無愛想、冷酷と自分を評していても彼の目にすれば全く意味を持たないのだろう。

「随分変わったな。昔に会った時とは大違いだ」

作業着から煙草の箱を取り出しその中の一本に手を掛けながら彼が言った。再び窒息しそうな感覚が全身を包みこむ。
既にラスティの瞳に射殺すような圧力は無く、今浮き出ている瞳は洞察のそれに変化していた。
やはりアゼルの一挙一動から全てを読み取ろうとしているのか、注がれる視線には隙が無い。
既に駆け引きは始まっていた、そう現実を再確認したアゼルは、

「七年だ。それだけあれば人は変わる」

と、一切の澱み無く応える。既に火が灯された煙草の煙を吐き出していたラスティは無言でそれを聞いていたが、

「変わらねぇよ。人間、子供の時に出来た性格ってのは微調整はできるが完全には一生掛かっても変えられない。幾ら外見や言動を変えたぐらいでそいつに元々備わってるやつはそう簡単に消せるものじゃないんだ」

口内に溜めていた煙と同時に痛烈な言葉も併せて彼はアゼルの前に吐き捨てた。
立ち込める煙がタイミングよくアゼルの表情を隠してくれていたが、
いきなり本質を見透かされたのに驚き、一瞬自らの目が大きく見開いていたのをラスティが見逃してくれる筈は無い。
あくまで予想に過ぎないが、気づかれてしまったと思った方が良さそうだった。緒戦にも関わらず既に敗北の匂いが強くなる。

「そういう意味で言えばお前は変わったよ。実力や名声って点では特にな」

そんな失態を即座に覆い隠し再び鋼鉄の無表情を被り直したアゼルに向け、ラスティは追い討ちとばかりに半ば皮肉めいた言葉を続ける。

「……何が言いたい?」
「実力も名声も地位も金も、もう文句ない程貰ってるお前が俺に何の用だって聞いてんだよ」

喉は返答をすぐには送り出してくれなかった。再び沈黙が流れる。濛々と立ち込める澱みをすくい取りながら、
アゼルは必死で言葉を模索し、そして不純物一つ無い純粋なそれを掴み取ると懇願の表情とともにその言葉を発した。

「あんたの力を貸し――」
「断る」

即答。さらに、「俺はもう二度とACには乗らん」と、付け加えラスティは新たに煙を吸い込んだ。


大体の予想はアゼルにもついている。当然100%の確率で断られる事も既に予想済み。が、彼が追い縋ると思っていたのか、
今度はラスティの表情が狐にでも摘まれたような顔に変化していた。指に挟んでいた煙草から長くなった吸殻の一部が、
テーブルにポトリと落ち、ラスティは慌ててその煤を手で払いとる。

「……違うって顔だな」

吸い込んでいた煙を吐き出すと同時に、まだ十分に長い煙草を灰皿の中へ押し潰して彼は不信感を表しながら呟く。

「誰もあんたにACに乗れなんて言ってない。俺達が欲しいのは――」

一瞬、言葉が止まった。ラスティは何も語らず続きが発せられるのを待っている。

「情報だ」
「情報……なるほど、そう来たか」

一つ吐息を漏らし、ラスティは顔を僅かに伏せた。畳み掛けるのは今しかない、アゼルは不意に訪れた形勢逆転の機会を逃す事無く、
大きく息を吸い込んでから、内に溜め込んだものを全て吐き出すように言う。


「そこらの情報屋でも手に入らない、あんたしか知る事の出来ない情報。これまで多くの人間に依頼してきたが、誰も辿り着く事ができなかった。だから不本意だがもう俺達にはあんたしか頼る当てがない。それが、俺が此処に来た目的だ」


この為に今まで生きてきた。言葉にすれば大げさだが、ある意味それは正しいのかもしれない。
理想を追い求め戦っていたあの時、誰もが叶うと信じてきた夢が裏切りという現実によって全て崩されてしまった。
死すべき者達が生き残り、死ぬべきでは無かった者達が死んでいった過去。
連綿と続く屍の上に唯一残ったのは、残された者達に圧し掛かる絶望と無駄に命を散らした者達が叫ぶ慟哭。
許せなかった。あの日から自分の全てが変わった。そして七年という壮大な年月を重ねて今の自分が形成された。


必要なものは手段を選ばず得てきた。不必要なものは容赦無く捨てていった。
だが感情まではどうしても捨てきれなかった。集ってくれた新しい仲間を無心で死地に送り出す事は到底出来なかった。
自分勝手な理由に他人を巻き込むわけにはいかなかったから。だが彼らはそれを承知でアゼルという男の前に集まった。
それが最大級の我慢。もうこれ以上関係の無い者を巻き込むわけにはいかない。
そう決意していたアゼルはある行動を実行に移す。それが鋼鉄の鎧で本心を覆いつくすという行為だった。


全身を黒く染め上げた風貌、同じく黒ずくめのAC、そして徹底的に無感情な自分は仮の姿に過ぎない。
そうしていれば誰も近づかないから。皆自分を恐れ関わりを持とうとはしない。それこそが真の目的。
誰も近づかないのだからその分余計な犠牲も無い。誰一人として巻き添えを喰う事も無く自分は事を成す事ができる。


くだらないかもしれない、馬鹿みたいに単純であまりにも子供じみている話なのかもしれない。
現に仲間内では慣れてない事はするな、という忠告も受けている。だがそれでも他人には効果絶大なのは間違い無い。
無愛想で、冷酷で、残忍で、無慈悲な死神。これだけ通り名がつけば自分を偽るのはとても簡単な事だった。

「なるほど、情報か。それも断ると言ったら?」
「骨の一、二本は覚悟してもらう」

それに気づいているのか、ラスティはふっと顔の緊張を崩し、張り詰めた空気を吹き飛ばす勢いで盛大に笑った。
彼にしてみれば恐らくこんな鎧はとうの昔に破壊して自分の真情にも手を伸ばしているのだろう。場違いな哄笑にアゼルの目が強ばり、
「何が可笑しい?」と常軌を逸した笑い声が跳ね回るのに歯止めを掛けようと、彼は低い声で静かに吼えた。

「悪い悪い。少し馬鹿な事考えてた。それで、返答だが――」

未だ漏れる笑みを無理矢理内に押し込みながら、

「俺もお前に頼みがある。それと交換ってのはどうだ?」

と、真剣味を帯びた言葉とふざけたような半笑いの表情が一緒くたになってアゼルの視線に突き刺さる。

「何が望みだ?」

未だ彼の苛立ちは変わらない。ようやく全てを飲み込んだらしいラスティが一つ咳払いをした為、
アゼルにはそれが彼が自らのふざけた感情をリセットしているように見えた。
が、ようやくまともな話が出来るとアゼルが意識したのも安堵したのも束の間、

「頼む、試合をしてくれ」

と、再び彼が呆然となるほどの言葉ラスティは漏らした。

「理由はどうあれ、お前の知名度を利用しない手は無い。せっかくこっちに来たんだから一試合くらいしろ。いや、して下さい」

今日一番の痛手がまさかこんな間の抜けた言葉だとは思わなかった。

「……そんな事でいいのか?」
「そんな事って、どんなの想像してたんだ、お前は? お前みたいな最高の金づるを逃がすほど俺は馬鹿じゃない。いいか、自分の実力ってもんをよぉく考えてみろ。四位だぞ四位、こんな田舎に映像でしか見たことないそんな超有名人が試合するって客が知ったらどうなると思う? 確実に超満員確定だ。さらに飯やら何やらの副産物での収入を考えたらそりゃもう……。ま、そんな事はどうでもいいとして、とにかくお前は試合だけしてくれればいい。さぁ返答は?」
「やるさ。断る理由はない」

対して苛立った様子も見せず吐き捨てたラスティにもうあの冷徹な視線は見当たらない。
その姿は普通の整備士と言っても何ら支障が無い男、と言うより、只のがめつい守銭奴といった所まで堕ちてしまっている気さえした。

「よし決定。んじゃとりあえず、相手や日程は決まったら連絡するとして、とりあえずお前の連絡先を教えろ。……まさか此処に住み込む気なんてないよなぁ? ランカーさん」

濃密な皮肉を込められている、と分かるが再び鉄のように硬くなったアゼルの表情は微動だにしなかった。
もう既に手遅れな気がしたが、それでも彼は残骸になって久しい仮面を再び被り直していた。

「それでは何かと困るだろう、お互いに。仲間が近くに簡易ガレージを用意している。フリーの連中が利用している物の一つだが、俺達はそこを中心にして動くつもりだ。既に準備も整ってる。後、何人かここの整備士何人かを借りたいんだが、どうなんだ?」
「それは問題無い、料金さえ払ってくれれば後はミーシャにでも頼めばマシな人選は保障できる」
「……分かった。とりあえず、俺の言う事はこれだけだ。後の事はよろしく頼む」

淡々と言い残しながら連絡先を記したメモをラスティに手渡しアゼルは踵を返した。が、手に掛けるドアのノブを半分ほど捻った頃、
「待て」と後方の声が続きの行為を妨害する。鼓膜に響いたその声はもう笑っていなかった。

「最後に聞かせろ」

ラスティの問いにももうアゼルは振り向こうとはしなかった。それでも神経全てが背後を感知できるよう努めている。


「これは“あいつ”の為か?」


全身の血が一度に滾った。思わず、ノブを握り潰してしまう程の力が彼の手に篭もる。
勝手に湧き出す殺気のような蒸気を発しながらアゼルは興奮が収まらないという表情を真後ろに隠し、

「……さぁな」

と、消え入りそうな声で静かに呟いた後、ラスティとの繋がりを一枚の壁で遮りながら、
彼は通ってきた裏道を抜けその姿を完全に消した。








扉が勢い良く閉じられ、それがアゼルの行方を完全にくらませた。再び静寂が訪れた空間でラスティは、
一人新たな煙草に火を掛け苦笑する。その笑い声を聞く者はもう誰もいない。
彼にしてみればこの問いだけはアゼルに何の偽りも無しに答えてほしい事だった。彼の仮面に隠された眼ではない、
一点の曇りもない彼本来の眼を通して真実を知りたかったのだ。彼を縛る呪縛の正体を、そして彼自身の明確な意思を。


故にラスティは笑う、何も変わっていなかったから。その事実が彼を笑わせる。
あの時あの場所で会ったあの男と、脆い鎧を纏った今の死神には一片の相違点も見つからなかったのだから。
あの男はアゼル・バンガード。眩しいほど純粋で、それ故に非情になりきれない哀れな男。
幾ら風貌を変えた所で、所詮その定義からは逃れられないという事だ。


彼は何を思ったのか、内面を容赦無く抉り取る自らの問いを背に受けて何を思っていたのか。
少なくともアゼルが吐き捨てた言葉の中に意思は無かった。それが意味する事はつまり、今自分が最低限の答えを考察しても無駄だという事だ。


今は考えるより先にやらなければならないことがある。それも山のように増えてしまった。
予測していなかった要素の突然の乱入により、これからはその対処と予定の修正の連続となる。
考えただけで頭が痛くなったが、放棄しようという気は起こらなかった。
静寂に包まれた部屋に一人残ったラスティは、とりあえず目の前に溜まる事象を一つ一つ処理していくことに決め端末のスイッチを入れた。


彼がようやく全ての仕事に決着をつけたのは、ユエルが頼まれた作業の全てを終え自室において死んだように眠り、
心地よい夢のど真ん中で漂っている時を同じくしてだった。


後にユエルが彼によって叩き起こされ、依頼した戦闘データの転送やらACの修理作業やらに付き合わされたのは言うまでも無いが、
更なる悲劇とも言うべき事実をユエルが突きつけられるのはそれからもう少し時間が経ってからの事になる。



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