ARMORED CORE Stay Alive TOP

07.


E地区中央部に建造されたドーム上のアリーナ会場はこの日の仕事を終えた紅蓮の炎が空を山吹色に染める時刻にも関わらず、
その半球上の喧騒は破裂寸前までそのボルテージを上げていた。


戦場はたった一つだけしかない。さらに発展すれば森林地帯、砂漠地帯などの多彩な戦場が展開出来るのだが、
ここ数年でE地区と定義されてまだ日が浅いこの都市では、そんな手の込んだ趣向を凝らす事は到底出来ない。
莫大な金を浪費し、同じく莫大な維持費を駆使しなければ、とても成し得ない事業だ。単純な思考で行えば、訪れる結果は地獄でしかない。
無理をしすぎればいずれ疲れ果て朽ちてしまう事は必定。この成功を収めた男の思考内には、この忠告が完璧に頭の中に入っていた。


会場に存在するのはACでも縦横無尽に駈け回れる程の広大さを兼ね備えた闘技場。
障害物すらないその巨大な円を描いたステージが意味するそれは、
展開される試合全てが一切の小細工を必要としない単純な力と力をぶつけ合いだという事を表す。
そしてこれから行われる試合もその括りから逃れることは出来なかった。


何千、いや、何万単位の人、人、人。多種多様の特徴を携え、個性をそれぞれ兼ね備えている彼ら。
しかし今この瞬間だけは彼らの視線、そして彼らの思考は、曖昧ではあるがほぼ一致していた。
彼らが見る先に存在するのは、白と黒。同じく中量二脚であるが、それを除いたスタイル、様相がまるっきり正反対の一対のACだった。





静かだった、それも異常なほどの静寂。コンソールを叩く音だけが、身体を無理矢理押し込んだような狭苦しい閉所に静かに響く。
もう緊張などは無くなった。不安も無い、というよりそんな余裕など無い、と言った方が良いのか。
緊張していたから負けた。そんな些細な失態で勝ちを譲る訳事など絶対に許されない。
相手の機体があの<エリュシオン>であれば尚更だ。といってもすぐに瞬殺されそうな気配は依然として消えてはくれないのだが。


コンソールのキーの配置全てを身体が覚えてくれている為、その作業は酷く単純で終わった。故に成し終える期間も至極短く、
真の無音の境地に達するのにそれ程の時間は掛からない。青年は準備が完了した事を確かめると、
少しの間力を抜いて全体重をシートに預け、各計器に命が吹き込まれる光景を無心で傍観し始めた。


暗黒の棺桶が色とりどりの花を添え、棺にしては不釣合いな豪華なそれへと変貌していく光景は壮観なもの。
それをぼんやりと眺めていたユエルはこの一時が崩される時が訪れるまで、後頭部の裏で両手を組み、
光が灯った狭苦しいコクピットの中で、今まさに戦わんとしている黒く巨大なACの巨躯を見据える事を次の動作とした。


漆黒の装甲、加えて各部の装甲からは随所にちらばる鮮血の如き紅がユエルの網膜に強く突き刺さる。
……まさしく死神。それも大鎌で豪快に命を刈り取るのではなく、両手の銃器で的確に装甲を削り落としていく死神だ。


言葉にすればたった二文字の陳腐な表現だ。だが「決して逃れられない」という畏怖が伴ってはそれも陳腐に聞こえないのが実情で、
右腕に持つ十二分の装弾数を備えるマシンガンに、至近距離では他の追随を許さないショットガンといった武装によって、
強烈な攻撃力を秘めた近距離特化機体と一瞥だけで定義できるその姿が、どうしてもユエルには裁きの鎌を持つ死神の象徴のように見えてしまう。


だが逆に考えれば、遠距離用の武装が全く無いという欠陥が浮かび上がる。それならそれで楽に対応できそうな気がしたが、
誰しもが考え付くこんな当然の思考は、相手のランク四位という現実によって即座に否定された。
一方的な遠距離射撃など許してくれるとは思えない。この漆黒には姿や武装だけでは無い何か、
そう、自らの弱点を露呈しても余りある何かが存在している。確信だ。そう考えれば考えるほど、
ユエルが口元に形作っていた無意識的な苦笑がさらに大きくなっていった。


そしてこの行動こそがアリーナと実戦との決定的な違い。本来なら自然と浮かぶ策の類も、今のような緩みきった神経では浮かんでは来ない。
戦場では無いアリーナという死の概念が限りなく存在しない場では当然だったが、さらに笑みが加わるのは相当な重症だった。
任務中に強すぎる敵を前にして、勝てないと嘆きながら笑う馬鹿が何処に居る? 


だが正論という罵声をいくら浴びせかけてもそんな批判と同時に、これは試合だ、と痛烈なカウンターが頭越しに飛び込んできてしまう。
そして始まる、いつもと同じく答えが延々と出ない堂々巡りが。二つの思惑が互いを否定しあい、彼の頭の中をしきりに飛び交っていく。
今考えても答えなど出るはず無いのに……。考える暇も無い。この瞬間はいつも同じタイミングで唐突に終わってしまうのだから。
今回とてそれは例外ではない。


試合開始を待ち侘びていた観客達の声ですらない音の塊が一層の強みを増していく。
さらに追い討ちとして、場を盛り上げる最終手段である司会者がその盛り上がりに油を注いでしまえば、
尋常ならざる大音響がユエルの内なる声を容易に掻き消していくのは当然の結果といえた。
嫌気が差すほどの気の緩みを常に抱えたまま、自分はいつもこの場所で意味無く戦っている。何故? 何の為に? そんな事分かるわけがない。


だが、思考の彼方で彷徨うそんな彼を嘲笑うかのように前方を映し出すディスプレイから表示された『READY』の文字。
それが『GO』と変わるまでの刹那、時間が来た、と悟ったユエルはゆっくりと目を閉じ、
何も変わらない不変の現実に落胆しつつ、頭をクリアにする意味で浅く息を吸い込んで邪魔な感情を捨て去る。
轟いていた音響もピタッと消えていく。猛り狂ってい場内もそうして静まり返り、全ての人間が只その時が訪れるのを待っていた。


一秒か、それとも十秒か。時間の判別すらつかなくなった場に、そして唐突に響いた一つの効果音。試合開始。
それが完全に鼓膜を貫くよりも速く純白のAC――ノヴァを駆るユエルは、溜めた空気を吐き出して大きく目を見開き、
同時に最高潮となった歓声に後押しされるかのようにペダルをそのまま踏み砕くかのような押し込み、彼が駆る純白の体躯を前方に押し出していった。
その時の彼の目に迷いは無かった。たとえそれが只懐に押し込んだだけのものであったとしても……。








爆発的な前方へのベクトルを感じつつユエルは正面をまっすぐに見つめる。
対照的に視界に捉えた漆黒のAC――エリュシオンは一向に動こうとしない。
一方的に距離を詰めたユエルは搭載されている火器管制システム―FCS―が自身に備わる武器が射程内に入った事を確認すると、
そんな漆黒の不審な挙動にも躊躇する事無く、迷わず左腕を振り上げその引き金を二回、正確に引き絞る。


放たれた左腕が握るスナイパーライフルの弾丸はライフルのそれよりも遥かに速く空気を切り裂いて漆黒のACに迫った。
だが確実に装甲を抉り取ると確信したそれは僅かに左方に移動する事で難なく回避され、漆黒がいた場所の真裏の壁を無駄に大きく抉っただけ。


僅か数歩だ。たった数歩で相手は目視など到底不可能な筈の銃弾を避けた。やはり一点の無駄も無い完璧な回避。
まだまだ余裕。上位ランカーの絶大な技量の片鱗を見せつけられたユエルは軽く舌打ちし、
今度は新たに射程に入った右腕のライフルを再装填されたスナイパーライフルを一緒に添えて送り出す。


異変が起こったのはその時だ。突然、けたたましい警告がコクピット内に響き異常を知らせる。
同時に確実に相手をロックオンしていたマーカーが消失し、補正が利かなくなった両腕が力無く垂れ始めた。
それが真下にまで垂れ下がる寸前で弾丸は発射されたが、何の照準も定まっていない銃弾はあらぬ方向へ飛んでいくだけに終わり、
漆黒のACには弾痕など何一つ刻まれる事無く一連の動作は幕を閉じてしまう。


その原因はECM。攻撃に夢中で気づかなかったが確かに漆黒のACの上方にプカプカと浮いている物体は間違いなくそれ。
レーダー、およびFCSなどの電子機器を妨害電波によって遮断し無効化する特殊装置だ。
だがその効力を発揮する時間はほんの数秒で、永遠の妨害などは夢のまた夢の話でしかない筈。
予想通りすぐに通常機能を取り戻したノヴァは再び銃口を相手に向け直そうとする。しかし相手の意図はそれとは別にあったのだ。


一瞬の気の迷いが純白と漆黒との相対的な距離が詰まっている今では命取り。それを自覚する事すらしなかったユエルに、
そのECMが漆黒が限りなくこちらとの距離を縮めて肉薄する為に用いられた、という事実に気づく事など出来る訳も無かった。


漆黒の巨躯が目前に迫っている。相手の真髄は接近戦、それは漆黒の武装を見ればすぐに判断できた。当然今置かれている状況の意味も――。
懐にまで潜り込んだ漆黒が右腕に握るマシンガンを放つと、銃口から漏れる閃光と共に数十発の弾丸が一つも外れる事なくノヴァのコアに吸い込まれる。
その衝撃はコクピットにも伝わり、上下に揺さぶられる震動を生身の肌で感じたユエルは、敵の間合いへの侵入を許した自身に苛立ちを感じながら、
拙すぎる今の状況を打開する為にライフルを突きつけようと右腕を漆黒へ向けた。


だがそれすら漆黒は許さない。その銃が火を吹く瞬間、漆黒の左腕がノヴァの右腕を絡めとり動きを封じたのだ。
漆黒は逆に、完全に無防備となったノヴァの人でいう鳩尾をめがけて自身の膝を叩き込み、大きなその体躯を簡単に仰け反らせて吹き飛ばす。
もはや只の的と化した純白を漆黒が見逃してくれる訳も無く、追撃とばかりに右腕のマシンガンそして左腕のショットガン、
さらには肩のロケットランチャーが持ちえる多種多様の砲が、無防備なノヴァのコアに突き刺さり純白の装甲という装甲を悉く弾き飛ばしていく。
数十発の異なる弾丸と大質量を持った榴弾。逃れる術などを持たないユエルは我慢できない振動を感じながら唇をかみ締めてそれを耐え続けるしかない。


思い切って交差気味に左腕のライフルで狙いを付けるが、それも相手にとっては児戯に等しいのか、
すかさずエリュシオンの右腕が勢い良く振り下ろされ、それがノヴァの左肘を打つ。
無理な体勢での挙動が祟ったのか、身体をくの字に折り曲げるように前のめりとなったノヴァに漆黒は容赦無く榴弾を叩きつけ、
丁度それは左肩口の装甲を大きく歪ませる。敵の動作に全くの無駄が無いと気づかされたのは、
その部分に装着していたレーダーの接続部が引き裂かれ、警告音と共にそれが地に落ちる鈍い音を聞いた後だった。


まさに聖域。火力や機動力だけでは測れない強さがそこにはある。常識も理屈も全て無視する漆黒を視界に捉えて、
離脱の決断を全会一致で可決したユエルには、もうその聖域から逃れる為だけにノヴァが持ち得る機動力の限界を突破させるしかなかった。


背部のエネルギーが収束、翡翠色の輝きを見せたそれは刹那、機体を押し出す莫大なエネルギーを創造しノヴァを高速の世界へ誘う。
押し潰されそうな重力に身に委ね、どうにかそのデッドゾーンから抜け出した事を確認すると、
放出されるエネルギーをカットしつつ乱れきった息を整えながら彼は再び動きを止めていた漆黒を見据えた。


足りなくなった酸素を貪る為に肩を上下させながらユエルは思う。次元が違う、と。
こちらの攻撃は全て避けられ、逆に相手の攻撃はほぼ全て受ける羽目となったという現実が、
頬を伝ってくる汗を拭う気すら奪い取り、彼に呼吸以外の他の動作をさせる事を許さない。


オレンジに輝く単眼の視線が除く先に存在する男の圧倒的な実力を改めて認識し直したユエルは、
自身の萎縮しきった心を無理矢理に奮い立たせる意味で、再びトリガーを強く握り締める。
しかし、そんな彼に微塵の容赦も見せない漆黒が迫るその銃弾を難なく避けきってしまう展開に何ら変化は起こらなかった。







「さすがだな。見に来た甲斐があったってもんだぜ」
「ああ、まさかここまで強いとは……。でも対戦相手が可哀想だ、早く終わらせてやるべきだな」


隣で男達が談笑している。可哀想……全くその通りだ。まさに防戦一方。攻めている筈なのにその単語で括られる戦闘模様。
FCSに頼りきった基本に忠実、言い方を変えれば何の工夫も無い射撃を繰り返す純白に、
洗練された独自の操作技術で完璧に攻撃を受け流し、単なる返し技のみで相手にここまでの損害を相手に与える漆黒。
そんな漆黒は決して自ら攻めず待ち一辺倒。だが目の前の現実はそれでも十分過ぎる程の効果を観客達に見せつけていた。


攻めに回った漆黒の姿も出来れば拝んでみたい気もするが、恐らくもうそれは視界に映る事は無いのだろう。そうなる前にゲームーオーバーだな。
と、試合の流れを一通り組み立てたミーシャは、他の景色に気を取られる事無く視線を一直線に固めそれを離そうとしなかった。

「遅かったな、ラスティ」

興奮の冷めないアリーナの試合会場の外部。会場に入れずに、やむなく映し出されたスクリーンに釘づけとなる大勢の観客達の背を
網膜に入れながら立っていたミーシャは、ようやくこの喜劇のような舞台を作り上げた脚本家の気配を自身の背で感じとる事が出来た。

「……珍しい客が来たんでな。で、どうなってる?」
「子供と大人の喧嘩だよ、これは。あまりに一方的過ぎて話にならない」
「だろうな」

狙いもろくに付けないままで四方八方に闇雲に撃ちまくるだけのユエルと、
対照的にその弾丸を地味だがしかし確実に攻撃を回避するアゼルの姿は、もはや始めから仕組まれている演舞のようなものとしか思えなくなっている。
漆黒の搭乗者の技量をさらに美化させるための道具。スクリーンに映るユエルに与えられた役割は大方その程度のものでしかない。
だがその光景を垣間見ても動揺一つ感じられないラスティの態度に、そんな単純な図解を理解していない筈が無いと判断したミーシャは、

「なあ、これもお前の言う企みの一つなんだろ?」

と、確信していきなり核心を突く疑問をぶつけてみる。
自分の横に並び、火のついた煙草を口にくわえながらズボンのポケットに手を突っ込み、前方のスクリーンを注視し続けるラスティは、
こんな試合を眺める為に神経を研ぎ澄ましているのか、何故か語ろうとする気配が全く見つからなかった。
一人黙したままのラスティのそんな姿を横目で捉え、返答が返ってこないと察したミーシャはその動かない横顔に視線を向ける事無く言葉を重ねる。

「お前があいつに肩入れする理由は分からんが、あの時といい今といい少しやりすぎじゃないのか? これも毎度のお遊びの一つか? もしそうなら俺は……」
「……そんな風に見えるのか、俺は?」

徐々に語気が強まっていくミーシャを軽い息遣いと共に重ねたラスティの一言が遮った。
ミーシャは彼と目を合わす事無く視線をスクリーンに固定したまま、

「ああ」

正直な感想を述べ、ミーシャは表示される二機のACをじっと眺めつつ彼が口を開くのを待つ。
どれ程待ったか、静寂な空気が淡々と流れる中、今度は深い溜め息と共に煙草の硝煙が微かに香った直後、

「……なら逆に聞くよ。あんたはユエルの事をどう見てる? 個人としてじゃなく一人のレイヴンとして」

と、今度はラスティが不意な問いをよこしてきた。しかし未だその顔は正面を見据えたままで動く気配は無い。

「どうって、レイヴンとしては普通じゃないのか? 多少アリーナが苦手で、代わりに依頼にはそこそこ強いってぐらいだろう」
「何故、そうなるか分かるか?」

再び、意味深な言葉を重ねるラスティにミーシャは戸惑いを感じつつも、

「……性格、じゃないのか」

と、数年間を過ごした上でユエルという人間を分析、総合した答えを纏め、それをどうにか吐き出した。
だがそれは「違うな」と低く呟いたラスティによってあっさりと覆されてしまう。

「にしては極端すぎるんだよ。あいつの依頼成功率を知ってるか? 100%だ、殲滅戦限定だけとは言え、この数字は“そこそこ”なんてもんじゃない。相手がMTだろうがACだろうが関係無しで、殺せと依頼された敵は全て皆殺し。そんな奴が何故かアリーナでは微妙な成績しか残せない。その理由は何だと思う?」

意外な事実だった。ユエルにも任務内容によっては運悪く実力のあるレイヴンと邂逅したことがあるだろう、
その彼らも含めての「皆殺し」というラスティの発言だ。それでは明らかに矛盾しているだろう。
ならば、そこまでの力を有する筈の男が、自らが見つめる画面の奥でなす術も無くもがいている様は一体何なのだ?


ラスティが語る想像の男の姿と、今そこに在る現実の男の姿がどうしても重ならず、自分でも訳が分からなくなったミーシャには
もはやラスティが自らで口を開くまで待つ、という選択肢しか残されていなかった。

「……あいつの本質は完全野外実戦型、兆候はあった。言い換えたらルール無用の殴り合い好きって所か、俺もそのタイプだったから良く分かる。だがあいつの場合、その差がとにかく桁違いなんだ。通常じゃ考えられない程にな」

彼ですら驚いているのか、低く呟いた言葉には覇気が感じられない。

「加えてあの戦闘データだ。見て笑ったよ。あいつは“あの機体”をまるでおもちゃ同然に扱って二十機程度のMTを皆殺しにしてた。あんな貧相な装備でだ。あんたならよく知ってるだろ? “あれ”の恐ろしさは。七年前“あれ”の整備担当だったあんたなら当然だよな」
「いや、それは……」

言葉が続かなかった。“あれ”――遥か過去、数年前のラスティですら足元にも及ばない力を持ったと男の搭乗機――アダナキエルの呼称だ。
七年前、修復不可能なまでに破損していたのをラスティが長い年月をかけ補修し続け、復元とはいかないもののオリジナルに近い機体を造り上げてきた。
それを今更になって持ち出すラスティの思惑がミーシャには理解できなかった。

「最初は簡易な依頼で試すつもりだった。あらかじめ任務内容を調べて安全だと思った時間帯にあいつを言いくるめて依頼を受けさせた。だが、あいつの受けた任務は、その一瞬の合間を縫って現れた高報酬の依頼。……失態だった、それも取り返しがつかない失態だと思ったよ、あの時は」

つまりはユエルをそのデータだけを模した機体に搭乗させその機動性あるいはパイロットにかかる負荷を試した、というのが彼の企みの本質なのだろう。
だが、あらかじめ危険性の少ない任務を選定し死ぬ確率が最も低いと思われる時間帯を選んだつもりが、
神のいたずらのなせる業か、ユエルはあろうことか突如出現した高報酬の任務につられその針に喰いついてしまった、という事か。
これで先日の一件の謎がこれで全て明らかとなった訳だが、しかし今のミーシャにはそれだけでとても満足できる状態ではない。


完全無欠と思われたラスティの緻密な策略に見えた小さなほころび。
だがそれは意外な事実をラスティにもたらす結果となる事を、その時の彼は知る由も無かった事だろう。

「だがあいつは帰ってきた。機体の負荷に耐え切れず気絶したって事実がちゃんとあるが、それでもあいつはたった一日で帰ってきた」
「……ありえない」
「で、この試合を思いついた。データでじゃない、この俺の眼であいつの力を見極める。絶対的不利な状態から這い上がるあいつの姿をな」
「……ちょっと待てくれ。それじゃ矛盾してるだろ? あいつはアリーナじゃ――」

勝てる確率など無いに等しい。と、思わず食い下がろうとした彼をラスティは、この場で初めて見つめ返し、
自身の視線で以後のミーシャの行動を押さえ込む。
そしてそれ以上の言及を阻むと同時に、分かっているから何も言うな、といった意思を視線に込め、かつ手の動作で表してそれを受け流したラスティは、
そこで静かに口を開き、絡み合った矛盾という名の結び目をゆっくりと解き始める。

「これは普通の試合とは違う。普通なら実力が似かよった奴らが戦うが、あれは実力均等という事でアリーナでの“不幸な事故”を防ぐ為だ。それは上位の奴らにも言える。神がかり的な射撃を同じく神がかった技術で巧みに避ける、そういったバランスがあってこそアリーナってのは成り立つんだ。だがもしそれが崩れてしまったらどうなると思う? 正確無比な銃弾をろくに回避もできない新米が浴びてしまったらどうなる? 途端にルールという均衡は崩れ、相手は“死ぬ”という恐怖を本能的に感じる事になる。俺が見たいのはそこから先。果たしてあいつはその現実を突きつけられても、何もできずにあっさりと負けてしまうのか、それとも……」

そこでラスティは口を閉ざし、再びスクリーンを注視して固まってしまう。
彼が発した思わぬ言葉の洪水を喰らって半ば呆然となったミーシャにはこんな茶番に自身の全ての思考を注ぎ、
一片の隙も見逃さんとしているラスティを馬鹿げていると制止出来る気概すら持つ事が出来ず、
残されたカードである、目を逸らすという行為を仕方なく引き抜くしかなかった。


だが視線を戻した所で彼と同じものが見える筈も無い。それはミーシャも重々承知している。
ラスティが何を背負い、そして何の為にこんな事をしているのか、自分にはそれすらも分からないのだ。


顔を逸らすその刹那の合間に唯一分かった事と言えば、微かに垣間見えた隣の男は既にラスティという男では無かったという事。
そこにいたのは、最強という名の呪縛に今尚縛られ続けている悲運の男『サジタリアス』
かつては常に隣にいた男との再会にも、もはや何の感慨も沸かないミーシャはその変容にも表情一つ変える事無く、
試合の勝敗を見届ける為に、その意識を真正面の液晶画面に注いでいった。







強い、強すぎる。僅かな手合わせの間でも敵の尋常では無い力を分析する感覚くらいはユエルにもある。
手を合わせればよく分かる。ユエルの中で導き出された対戦相手―アゼルの強さの根源。
それは、単純な機体の攻撃力でも機動力でもない。桁外れな機動を可能にする人智を超えた機体制御力だ。


頭の先から指先まで、まるで自分の身体のように機体を操る操作技術。
でなければACでは考えられない肉体技も、残像とすら感じさせる水のように不安定な緩急運動も説明がつかない。
さらにはECMという機能が敵のFCSを使用不可能にさせ、その漆黒が易々と自身の聖域に入り込める手助けをする。
これが近距離戦特化機体という癖の多い機体にも関わらず、その欠点が全く懸念されていなかった理由。まさに冗談では無かった。


「くそっ! ありえねぇだろ、こいつは!」


言葉など吐き出す暇も無い程の攻防が絶え間無く襲い掛かり、内に溜まる苦言全てを集約させてどうにか搾り出したユエルだったが、
視界に広がる状況を見れば、それで十分満足したとはとても足りるものではなかった。
電波妨害を対処できるレーダーが破壊された為、敵が放出するECMの威力が殆ど減算されずにノヴァの電子機器を困惑させ、
漆黒はもはや何の小細工も無しにノヴァに対して自身の魔の手を伸ばす事を可能にしていた。


一発一発の威力が甚大なスナイパーライフルの弾丸は全く直撃せず、気休め程度のライフルが黒い装甲に銃創として数発ほど刻まれていく。
左手のライフルにだけ気を止めていれば他の武装はすぐには致命傷にはならない。そう判断されているかのような動きに、
自身が巡らせている全ての戦略を見透かされている事を感じて、ユエルはぎゅっと唇を噤んで耐えている表情を動かさなかった。


数発のライフルがさらに命中。しかし即座にその何十倍もの弾丸が返却され、状況はさらに悪化の一途を辿るだけ。
大量の弾幕を随時受け続けたノヴァのコア部分は既に何層もの装甲を突き破られており、流線が特徴的なコアは凹凸の激しい不恰好な物に造り直されている。


追う漆黒、逃げる純白。舞台の第二幕は第一幕とはもはや全く逆の様相を呈していた。
機動力で勝るノヴァがひたすら後方移動している間に両の手のライフルを乱射。
対してエリュシオンは徐々に開く互いの距離を気にも留めず、放たれる銃弾の回避に専念し、隙を見計らってECMを放出。
相手のFCSが混乱に陥った隙に近づき、攻撃を加えた後に再び距離を離す。そんな構図が今まさに展開されているのだ。


と、ここで八発目のECMがその効力を終え爆散する。好機だった。同時にノヴァに搭載されているFCSがその全ての機能を回復させ、
それに乗じてタイミングを合わせて切り替えておいた武装のロック完了を知らせる電子音が正確に三回、ユエルの鼓膜を震わせた。
徐々に鮮明となり始めた恥辱の光景を頭で全否定しつつ、このまま黙っていられるかと心で吼えたユエルは、
前方で踏んぞり返っている苛立たしい漆黒に一泡吹かせるためにトリガーを強く引き絞る。


瞬時に背部の小型ミサイルランチャーから三発のミサイルが飛び出した。
続いて細長い楕円型の追加武装――エクステンションから四発のミサイルが連動して弧を描くように発射され、
計七発のミサイルのセンサーが漆黒を捉えると、噴出していた白煙が満載された高火力の火薬と共にさらに勢いを増して襲い掛かる。
その光景を間近で見た漆黒は軽やかに地面を蹴って跳躍。そのまま回避行動に移り、七発のミサイル群もこれを逃さぬと上空へ追撃を掛けた。


だが人間が操るACの意図を単なる機械に理解できるはずも無く、次の敵の行動を予測することなども到底出来る芸当では無かった。
舞い上がった漆黒のコアが真下に向けて迎撃用の機銃を撒き散らす。
殺傷力を考慮に入れられていないそれでも、ミサイルの先端付近に軽い衝撃を与え、誤作動を引き起こすことは可能だ。
照準もついていない機銃弾が二発のミサイルに掠り漆黒に到達する前に轟音と共に派手な火柱を上げ、残骸が地上に落ちていく。
漆黒はその光景を確認すると同時にブースターをカット。瞬間、鈍重な機体が重力に任せ垂直落下を始めた。


機銃が破壊したミサイルの隙間を、漆黒は網の目を潜るようにするりと通り抜け、難なく地に降り立つ。
急な機動に残ったミサイルも反転してその影を追いかけるも、あまりにも急すぎる挙動故についていく事ができない。
機体に衝突する前に燃料を使い果たしあらぬ方向で爆発するか、または急旋回に必要な距離が足りず、
そのまま地面に激突しその役目を終えるかのどちらかが残りのミサイルの末路だった。


だがユエルは最初からそのミサイル群が直撃してくれる事は望んでいない。回避される事なども既に予想の範疇だったのだから。
始めから目的はこちらから仕掛けることが出来るまでの時間を稼ぐ事にある。僅か数秒でもノヴァの機動力なら問題は無かった。
先程とは違い、逆に漆黒の懐寸前まで入り込む事に成功したユエルは掴み取ったその絶好の機会をものにすべく、
思いつくがままにライフルを相手のコアに向けた。何発かがコアに突き刺さり派手な火花を咲かせる。


完全な黒のカラーリングの為、弾痕などは判別できなかったが傷と呼べる傷は明らかに刻まれた筈だ。
が、息つく暇も無くマシンガンの雨が降り注ぎ、ユエルにそれを確認させる余裕を与えない。
そして右腕に続きエリュシオンの攻撃手段の中心となるショットガンがゆっくり掲げられるのがユエルの目に映った。


タイミングは今しかなかった。全身が警鐘を鳴らしその時が来た事をユエルに伝える。
マガジン一つ分の弾丸も甘んじて受けた彼は、今だ、と心で叫んですかさず右腕を振り上げ、
あたかもそのショットガンからコアを守ろうとする体勢を作った後、武器破棄の命令を出し実行に移した。


ガチン、と鈍い音を立て右腕からライフルの接続が解除される。自由落下を始めたライフルは、丁度放たれた漆黒のショットガンと重なり、
その散弾はノヴァのコアを庇ったような形で掲げられたライフルを覆いつくし見るも無残な姿にまで引き裂いた。
しかし、中に残った残弾が炎に包まれ爆散する刹那、ユエルはあろう事か空となった右手でその残骸を掴み取るという暴挙に出る。
狙う先は漆黒の左腕。一気にそれを敵のショットガンへと押し付けると同時にライフルは派手な轟音を撒き散らして爆発。
超至近距離で起こった小爆発は漆黒のショットガンだけではなくノヴァの右手首までをも粉砕しその役目を終えて虚空へ消えた。


これで一撃で致命傷へ至る選択肢は無くなった。こちらは右手首一つ失っても、もう握る武器が無いのだから何の痛手も負ってはいない。
痛手を負うのは相手側の方だけだ。残るはマシンガンとロケットランチャー、これならまだ戦える。
まだ終われない、終わるわけにはいかない、と精一杯の意地を貫いた結果得た安堵感。
同時に会場も一斉に沸いた。彼が一矢報いた事を誰もが理解したのだろう、その歓喜の渦を一身に受け、ユエルはようやく張り詰めていた表情を緩めた。


しかしそれは彼の視界が眩しいほどの金色に染まるまでの短い生涯に過ぎなかった事を、彼は直後身をもって体験する羽目になる。


突然襲ってきた閃光、そして桁外れの振動。突然、視界が黄色い光に覆われ、一瞬何が起こったのか分からなかった。
だが思わずコンソールに頭をぶつけそうになるほどの揺れがいきなりコクピット内を支配していった感覚と、
肉に食い込むゴムの材質が器官を圧迫し思わず息が詰まった事だけははっきりと覚えていた。


状況が全く掴めず、何が起こったかを判断しようとした刹那、不意に背筋が凍る程の恐怖に襲われたユエルは、
無意識にペダルに足を掛けてノヴァを全速で後進させる。ガリっという太く耳障りな音を聴いたのはそのすぐ後だった。


どっと歓声が沸きあがる。相手が何かしたのは間違いなかったが、
軽い脳震盪を起こしかけ、意識が虚空へと吸い込まれる直前をどうにか踏ん張って耐えているユエルにはその意図を理解する事はできなかった。
鳴り響く危険を示す警告音も、漆黒の左腕に新たにせり上がっていた黄金の刀身が消え去っていく様子も、当然今の彼の視覚や聴覚には全く認識されてはいない。


拙い。朦朧とする意識の中でもその気配は敏感に感じ取れた。方向などはこの際どうでもいい、とにかくこの場を離れるべきだ。
持ちえる生存本能が発した指令を即座に受容し、ユエルは操縦桿を握り締めてそれを行動で示す。
だが再び予想外の異変がノヴァのコクピット内を駆け回っていた事を彼はまだ知らなかった。


右腕の反応が全く無かった。操縦桿を握り締めてもビクともしない。こんなときに故障か? 
と考えもしたが、前方を映し出すスクリーンにはその影も見当たらない。だが別のサインがその画面には現れていた。
それに気づいた時、ユエルはあまりの衝撃に思わず言葉を失う。表示されていたのは目を覆いたくなる程の最悪な答えだったのだから。


コンソールには赤く灯った警告灯と共にある文字が浮かび上がっていた。はっきり『右腕部破損』と。
反応の無い操縦桿、先程自分を襲った悪寒。その全ての事象が一本に繋がり、ユエルはこの日最高の反応速度を見せ、
ブースターを後方に向けて相手との距離を一気に離す。勝てない、勝てる訳が無い……!
今まで感じた事も無い恐怖という物質が全身を巡って彼の神経一本一本に作用していく。


これが同じ人間なのか? 咄嗟にライフルを破棄し、盾にすると同時に大迷惑この上ないショットガンを巻き添えにする。
敵を再起不能にする事はもはや出来ない。ならば毛嫌いするアリーナ独特のルールに従って敵の武装全てを使用不可能にすればいい。
これが自身が今考え得る範囲での最良の戦術だった。勿論その後の過程も全て構成済みだ。
成功すると予想していた、そして事実成功する。だが相手の対処はその予想を遥かに超え、それ以上の報復を自分に寄越してきた。


とても信じられるものでは無い。あの漆黒は左腕のショットガンが破壊された事に何の感情も抱いていなかったのか、
それともそうなることを最初から望んでいたとでも言うのか。代わりに飛び出した短距離に威力を集中させた黄金のブレードで、
爆風の隙間から伺えるノヴァの右腕部をあっさりと両断したその姿は、まさにその想像が現実となったようだった。
全ての原因は格納機能――相手にも存在していたその機能の失念が全ての判断を狂わせたのだ。


漆黒のカウンターはこれだけに留まってはいない。先程のあの小気味悪い音は振り下ろされたブレードが逆袈裟に振り上げられた時に、
ノヴァの装甲を切り裂いていった音に違いないだろう。大脳を介さない先程の反射行動が備わっていなければ、
恐らくその刀身はコクピットまで軽々と届いていた。それが意味する事、言うまでも無い。完全無欠な死だ。


殺される。このままでは間違いなく殺される。次第に頭が混乱し、不意に襲った衝動が正常な思考を妨げる。
だが試合は終わらない。まだ機体は動くのだ。その声を聞いてくれる者など誰もいない。


追う漆黒と逃げる純白。最終幕に移行した今でもその構図に変化は無かったが、一方の精神は既に限界に近かった。
もはや敗北を防ぐ為ではなく、来るな、と叫び続け、単純に死を恐れて逃げ続けるユエル。
錯乱しかけた思考では、自分が広い空間の最果てである後方の壁に追い込まれている事にも気づけない。
このままではいずれ逃げ場を失い、その凶刃からは逃れられなくなるのも時間の問題。そしてそれは現実となった。


「終わりだ」


初めて聞くその死神の声と共に、漆黒の眼光がユエルを見据え、瞬間、視界が鮮明な金色に染められていく。
逃げれば、後ろに下がれば致命傷は避けられる。相手もそれを理解して攻撃を繰り出してきているのだろう。何故ならそれが前提だから。
避けない筈がない、と確信を抱いているかの如き漆黒の一閃。だが今のユエルはその期待に応える事が出来なかった。


避けろ、と頭が命令しているのに何故か身体が硬直して動かない、動いてくれないのだ。
もはや恐怖にすくんだ身体は岩のように硬くなり、思考が命令する指令を受け取る事すら出来なくなっていた。


動け、動け、動け……! その閃光が自らを溶かしきるまでのコンマ一秒未満の間、
極限状態に近いユエルは必死でその身体を動かそうと足掻く。だが願い虚しく身体は一向に動かない。





このままでは全てが終わってしまう。嫌だ。まだ俺にはやる事がある。まだ俺は何もしていない、償えてもいない。
“あいつ”を死に追いやった罪を償うまで俺はまだ死ねない。その為に俺はこうして今も生きてしまっている。
あの時捨てる筈だった命。だがその罪の意識があったからこそ、二年前、俺はラスティの手を取ったんだ。


まだ俺はあの時と何も変わっていないんだ。あの時、生き続けると決めた。必ず変わると俺は“あいつ”に誓った。
だから、こんな所で終われない、終わってたまるか。見つけるんだ。生きる為に、生き続ける為に、この状況を打破できる最善の方法を――。


……方法? そうだ、あるじゃないか。この危機的状況から脱するだけではない、この勝負すらひっくり返せるだけの方法が。
何を迷う必要がある? 使え! 今は迷う暇すらない。これ程の力を、お前は今使わないでいつ使うつもりなんだ……?
止めろ、と禁忌に手を伸ばす愚かな心を制止する声すら弾き飛ばしてユエルは無心でそれに縋る、もう縋るしかなかった。


内にざわめく制止を無視して、ユエルは心の枷を静かに外していく。
瞬間、彼の表情から生気が消え、同時に意識がそこから離れていく感覚が全身を包み込む。
こうするしかない……。禁断の手段を手にしたことに絶望している自分を無理矢理言い聞かせて、
ユエルは静かに目を閉じる。彼の意識は内に眠る自責の念すら消し去って彼を深く暗い虚構の底へと沈ませていった。





ブレードが振り下ろされて、頭部を切り裂こうとする刹那、今まで微動だにしていなかったノヴァの腕が遂に動いた。
桁外れな速度で動いたノヴァの左手の甲の部分は漆黒の腕を阻んでこれ以上の進撃を食い止める。
これまでには見られなかった純白の動きに、歓声の中に少しだがどよめきが混ざり、
それに呼応するかのように、ノヴァは勢いよく漆黒の左腕を振り上げてブレードを弾き飛ばしていた。


だが圧巻はここから。ノヴァはその動作から間髪入れずに機体を大きく捻り込み、生み出された強烈な遠心力と共に高速回転。
操縦する本人が意識を保つ事すら危ぶまれる程の力がパイロットを襲ったが、それにも全く動じずにノヴァの回転速度は衰えない。
そして自身の翡翠のバイザーで目指す地点を捉えると、ノヴァは唯一残る左腕をあらん限り伸ばし、
左手に付随するもの―スナイパーライフル―ごと、目標地点――エリュシオンの頭部目掛けて振り払う。


金属と金属がぶつかり合う鈍い音響にそこにいた誰もが慄いた。漆黒の首筋に命中したスナイパーライフルの殴打は相当なもので、
漆黒の体躯が始めてバランスを失い、機体が大きく横に吹き飛ぶ。
当然、これ程の威力を孕んだもとであるライフルの銃身も、その衝撃から先端付近が歪んで銃口を閉ざしてしまい銃弾を放つ事は出来なくなる。
結果はエリュシオンは頭部損傷。対するノヴァは左腕部武装が破損。その攻防だけで言えばどちらが敗北したのかは言うまでも無い。


しかし自らの骨を砕いて敵の肉を絶った一撃にもノヴァは満足していないのか、その巨躯は歪んだそのライフルの安否も気にする事無く、
むしろまるでお構いなしと言わんばかりにすかさず真横へ跳躍し、バランスを崩した漆黒に追い縋って再び左腕を振りかぶって空気を薙ぐ。
身震いするほどの鈍い音が再度広大な空間に木霊し、漆黒の頭部から火花が迸るのが観客全員の目に映った。


突如として訪れたノヴァの変貌。それがこの舞台の真の最終幕の始まりを告げていた。
人が安易に書いた面白みも無い駄作のシナリオは既にその場には存在していない。
この戦い、否、もはや死闘に移り変わった現在の光景を見つめる者達の中でその事実に気づいている者は誰も居なかった。


たった一人、その映像を見て微笑を浮かべていた男を除いては――。



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