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18.


「お前、歴史の勉強はどれくらいやった?」

錆びれた顔面を冷水で洗い流してくるとラスティが言ってから約数分間。その合間の沈黙をどうにか耐えきったユエルは、
その問いかけでようやく巻きついていた緊張感から解き放たれることができた。身体を動かせれば幾分かはマシであったのかもしれないが、
彼が建っている場所が限りなく閉鎖的な空間であること。そしてまるで樹海を思わせる周囲の乱雑さが彼の行動を制限し続けていた。


洗面所から帰還し、濡れた顔と髪をタオルで乱暴に吹きながら器用に塵と塵の間をすり抜け、ラスティは元の椅子に座る。
どこからか持ってきたのか、彼の右手には真新しい煙草の箱があった。
ラスティはそれに火をつけると、毎度お馴染みの悦に浸る。そして生気を取り戻した自らの瞳でユエルの解答を促していた。

「ほとんど知らない。育ちが悪かったんだよ。あいにく、そういう勉強とかいう堅苦しいものは全く頭に入ってない」
「だろうな。ガリ勉のお坊ちゃんがあんなところで腐ってる筈もないか」
「……言うなよ、それは。思い出したくないんだ」

不用意に自分の過去を抉られ、ユエルの表情が露骨に曇る。

「わかってるよ。じゃあ全くの無知ってことで話を進めるぞ?」

不本意ながらも、彼は大きく首を縦に振る。

「とりあえず昔にどでかい騒乱があったってのは知ってるよな?」
「……大昔の兵器が暴走してどったらこったらって奴だよな、確か」
「それだそれ。で、その動乱で企業のほとんどが活動不能に追い込まれて、今のような体制ができあがったわけだ」

レイヴンならば誰でも聞いたことはある常識だった。それを一つ一つ確認するかのようにラスティは言う。
教科書通りの口調に、最初は不自然さを抱いていたユエルだったが、

「その過程はどんな感じだったと思う?」

死角から忍び寄ってきた核心が鼓膜を叩くと、それをどこかに消え去っていた。
ラスティの口から大量の煙が吐き出され、彼の表情を覆い隠していた。しかし見えなくとも大体の予想はついた。

「さあ……。実際教えてもらったときも、はい、そうですか、って感じだったから。実のところ考えたこともない」

ラスティにはわかっている筈なのだ。ユエルが言う発言一つ一つが。
彼にわざと喋らせ、その反応をまるで楽しむかのように眺めている。だが、今の時点で彼の意図などユエルにはわからない

「わからなくとも想像はつくだろう? 簡単なことではなかった筈だ。新興企業がやたらとしゃしゃり出てきて、世界各地で覇権争いだ。それはもう小規模の争いなんか日常茶飯事だっただろう」
「何が言いたいんだ、お前は」
「お前なら、そういう場合どうする?」

ラスティの化けの皮が剥がれ落ちた瞬間。いつかは来ると予想していた瞬間が今まさに訪れる。
と言っても、精一杯の覚悟が豊富な想像力と等号で繋がらないのだから、結局はいつもと同じだった。

「どうするって言われても……。俺なら、そうだな。とりあえず押さえつけておくかな。暴れられると厄介だ」
「どうやってだ?」
「……そりゃ、いろいろあるだろ。そういう奴らを押さえ込めるような組織とか企業とか作ってだな」

彼の目が大きく見開かれていたのを、その時ユエルは確かにその目で見る。
蔑むようでも哀れむようでもない。ただ正解を答えた解答者のような無邪気な能面がそこにあった。

「そういうことだよ」
「は?」

一本の煙草を口に咥え、その空いたから口の隙間からそれらしい言葉が漏れる。

「押さえ込むにはそれを押さえつけられるだけのものが必要ってことだ。そうして今の体制は完成したんだ。これでわかっただろ?」
「先生、全然わからないんですが」

背筋をピンと伸ばし、堂々と胸を張ってから彼はそう答えた。

「……だいぶレベル下げたつもりだったんだけどな」
「とりあえずだ。話をお前基準で考えるな。俺用にもっと下げろ。とにかく下げろ」
「そうか。ならもっと基準を落とせばいいんだな。よし」

失望と落胆を自らの顔に滲ませていたラスティだったが、そうしないと話が進まないと判断したのか、渋々ながらも彼はユエルの求めに答えていた。

「浜辺を想像してみろ」
「は?」
「浜辺だよ、浜辺。その波打ち際にお前は立ってるって設定だ。いいな?」
「あ、ああ」

それが幸か不幸かは最早誰にも判断できない。しかし、当のユエルの頭の中には、
既にしっかりとした砂浜やそこに吹く爽やかな風までもが中々の完成度を誇って埋め込まれていた。

「で、そこでお前は砂の城を作ろうとしている。大の大人が砂遊びしてるもんだから周囲の視線はとても寒い、完全にドン引きだ」
「お、おい、ちょっと待て。何だかすげぇレベル下がってないか? つーか何だよ、その後付けは!」
「下げろと言ったのはお前だ。黙って聞いてろ」

自分がせっせと城作りにいそしむ風景を思い浮かべた瞬間、ユエルの背中におぞましい寒気が走った。
即刻却下を申し出たのは良いものの、確かな事実を突きつけられた彼はぐぅの音も出せずにあっさりと沈む末路を辿った。

「そしてお前はせっせと城を作る。そして完成した。ところがだ。完成した途端に巨大な波が押し寄せてきて、その城を崩してしまった」

言われるがままに、頭の中にある城に大量の波が押し寄せ、その水圧が跡形もなく城を押し潰す光景を彼は想像する。

「困ったお前は、とりあえずもう一回作り直そうと決めた。さあ今度はどうする?」
「……とりあえずもっと遠くに移動するな、波の届かないところまで」
「他には?」
「頑丈にしたり、とか」

そして次の瞬間にはさらに壮大な城が別の位置にしっかりと建てられていた。無論、脳内での話であるが。

「ってこれ、答える意味なんかあるのか?」
「……これだけ噛み砕いて言ってやっても、まだ理解しないんだな」
「噛み砕き過ぎな気がするんだが」

当たり前の質問をしたつもりのユエルだったが、溜め息を漏らして落胆するラスティの澱んだ表情を垣間見ると、素直に自らの勘の悪さを嘆いた。
煙草を吸い込み、新たな汚物を肺に注入させたラスティは、そんなユエルにようやく見切りをつけたのか、遂に重い腰を上げるかのように口を開く。

「いいか? 最初の砂の城ってのは、つまりは昔の企業みたいなもんだ。城を崩した波っていうのがその発端となった騒乱。そして新しく作ろうとした城ってのが、今のティル・ナ・ノーグの原型だ」
「あ」
「かつての新資源を巡った戦いは、地下に埋蔵されていた旧世代の兵器をどっかの大馬鹿が目覚めさせちまった所為で、当時の権力を掌握していた大企業の大半が共倒れした状態で一応の終わりを見た。そして旧世代の兵器も生き残ったレイヴンが破壊して騒乱は完全に終結。だが、壊滅の危機に瀕していた企業体にとっては、それだけで収まる筈がなかった。ほとんどのレイヴンが死に、経営体制の根本に大打撃を受けた大企業は、ことごとく合併と吸収を繰り返した。兵器部門と何ら関わりない分野でも、旧兵器襲来の影響で人口自体はかなり減っていたらしいしな」

芝居がかった長台詞を言い終えた後に、ラスティは咳払いしつつさらに重ねる。

「そしてその結果、ある結論が生み出された。過去の過ちを繰り返さないためにもっと徹底した管理体制が必要だ。とかいうわかりやすいものだ」
「それが今の?」
「ああ。簡単に言ってしまえば、そういう思考から生まれたのが今の政府ってわけだ。企業統治が駄目だったのなら、国家政府による秩序の再建を。ってな具合にな」
「……」
「そうして小競り合いを続けていた中で、特に勢力の強かった企業数十社を選出し、舞台は戦場から机上に移った。後の話はトントン拍子に進んだそうだ。過去の失態ならば腐るほどあったことだろうな。あれも駄目、これも駄目って感じで。もっと城を頑丈にしようっていう先人の思い通りに、過去にあった権利のほとんどが禁止か、政策強化の憂き目にあった。一番の矛先はレイヴンだ。国家と企業の二つから監視されることによってレイヴンへのイメージはすこぶる悪かったらしい」

指に挟んでいた煙草の先から今にも燃え滓が零れ落ちそうだった。酷く長い解説に自分で酔いしれているのか、ラスティがそれに気づいた様子は見えない。
不安に駆られたユエルが思わず声を掛けようとした刹那、彼はようやくそれに気づき、慌てた様子で煙草を軽く叩いて先端部分を灰皿の中へと落とす。

「そしてようやく国家と呼ばれる統治体制が発足し今に至る。レイヴンに対する依頼も、必ず政府が一見したのちに公に晒されるようになったしな。で、その完成した体制はその後も無事に機能し続け、そしてようやく世界は平和になりましたとさ。めでたしめでたし」
「あ、そうなんだ。……って、おいおい!」

熱弁を振るっていた割には、あまりに呆気なさすぎる結末。何の面白みもないそれに思わず苦い表情で問い返そうとしたユエルは、

「馬鹿。んなわけねえだろ」
「な」

直後に飛び出たラスティ本来の邪悪な笑みに押され、不本意ながらもその疑問符を頭の中に引っ込めてるしかなかった。

「お前もお前でいい加減気づいてくれ。こっちはやたらと疲れてるんだよ。最後の最後まで言わせやがって……」
「だ、だから一人で勝手に話を進めるなって。しかも何でそこでキレる? それで無事にハッピーエンド、とかじゃないのか?」

何がラスティの逆鱗に触れたのかは定かではないが、先程まで握っていたまだそれなりの長さがあった筈の煙草を、
力任せに吸殻の山の中へ押し込んだ行動から考えても、彼の心情があまり芳しくないことは十二分に理解できた。

「こんなもん教科書ん中にも余裕で書いてあるぞ? まあ読んでもいないお前じゃ知らないのも無理ないな。ま、とにかくだ。俺が言いたいのはこんなくだらねえ前振りなんかじゃない」
「……と、言うと?」
「おかしいとは思わないのか? 何でこんな上手い具合に話が進む? どう考えたってあまりにも都合が良すぎるじゃないか」

ユエルは否定しなかった。むしろ、彼の頭の中には既にその思考が植えつけられていたから。

「まあ、それは……。できた当初とかにトラブルとかなかったのか? くらいは思ったけど」
「それを言えって言ってるんだ。これで何回目だよ」

あの不敵な微笑を浮かべながら、ラスティはピンと伸ばした人差し指をユエルの前に向ける。今度こそ答えを捉えた。ユエルはそう確信する。

「国家と言えどもそこはまだできて間もない幼虫みたいなもんだ。それがいきなり全世界を牛耳ろうなんざ無理がありすぎるだろ。だがそいつらはそれを見事なまでに成し遂げやがった。邪魔になる奴らを掃除するか、服従させるかしてな。で、実際そういうのがあったんだ。その手際はまさに完璧だった」
「そんなことどうやって?」
「そんなもん決まってるだろ。裏で取引したに決まってる」
「取引、ねえ……」

賄賂に根回しそして八百長。自他共々に認めつつある単細胞では連想する言葉に限りがある。
的確なイメージが思い浮かばず、ユエルは己の顔に焦りを滲ませていた。

「そんな難しく考えるなって。どこにでもある普通の営業だろ? たとえ政府と言えどもそれは例外じゃない、筈だった」

しかし、そんなことなどどうでもいい。といった様子で彼は億劫そうに答えていた。
その余裕に溢れた振る舞いを見ると、彼自身もまたそれを平然と行ってきたのではないか。と思えてくる。

「それでも政府はそう言った類のものを一切良しとしなかった。一応過去の失敗はしないっていう建前があるしな。何も知らずにポンと机上に札束積んだ馬鹿企業は、次の日には世間に目立つように大々的に粛清されてたよ。だが、そんな“奴ら”の誘いだけは、たとえそんな鉄血政府と言えども断ることができなかった」
「奴ら?」
「“奴ら”が政府に提示したものは金とかそういったものじゃなかった。当時の政府連中は金以上に喉から手が出るほど欲しがっていたものがあった。奴らはそれを差し出したんだよ。自分たちがのし上がるための餌としてな」
「一体何を?」
「力さ」

ラスティがふざけていないということは彼の瞳を見ればわかった。そして伝わる独特の気配。
空気の流れが途端に鋭くなったのを、ユエルは肌で察していた。返すべき言葉も見当たらず、無言を通していた彼に、

「お前“強化人間”って聞いたことあるか?」

と持ち前の微笑を全面に押し出しながらラスティは言った。


だが、彼の様子は、完全な人事のように話していた先程とは違い、明らかにおかしかった。
まるでそれは、己の過去を掘り返し、その幻影に激しい憎悪を感じるユエルと何ら変わりないほどに――。





「そもそもの事件の発端は十年以上も昔の話だ」

静まり返った空気がアゼルの独白の手助けをしてくれているかのようだった。
休憩室と銘打たれた大部屋の中にその場にいる四人分の椅子と巨大な机。その上には次の作戦における周辺の地理を描いた地図が広がり、
壁に駆けられたスクリーンには、敵勢力のデータ及び作戦実行時に展開する位置取りなどが表示されていた。


だがそれは今は何の効力も示してはいない。あらかじめ一通りの説明を受けた後を見定めていたのだろう。
スクリーンの前に立つアゼルに視線を送るジンの姿をレスターは彼のほぼ真横の位置で見ていた。いつにも増してその時の彼の様子は真剣そのものだった。


ようやく睡魔と億劫さから解放されたかと思えば、次はこれ。よく見ればジンだけではない。リアもまたアゼルに対して似たような意思を叩きつけていた。
時期尚早と判断し、話すことを渋り続けてきた話題。それを解放する瞬間が遂に訪れたことはその場にいた誰もが理解していた。


アゼルが語りだしてから既に数十分は経過している。口数も少ないアゼルにとってはまさに未知の領域そのもの。
しかし、ジンとリアの視線を釘付けるほどの印象を与えているだけで十分合格点は与えられるだろう。
一つ一つの事象を噛み締めながら語り続けるアゼルの姿を見て、四人の中で唯一覇気の篭もっていない目を携えながらレスターはそう思う。

「順調に復旧を続けていた世界だったが、その反面、政府に対する批判が強まった時期があった。波風を立て始めようとしている存在をことごとく粛清しようとするような弾圧的な政策に不満を漏らす連中が現れたんだ。そんな世の中だったんだよ。反乱の一つや二つ起こってもおかしいことじゃなかった」
「当然、それも粛清の対象になったわけだ。そういうことだろ?」

ジンがすかさず言葉を重ねてきたが、

「普通ならな。だがその時だけは、少し様子が違った」

とアゼルはそれを巧みに利用し、次の話題への足がかりとしていた。

「反乱を起こそうとしたのは企業ではなく、粛清時の手段として用いられていた一部のレイヴンだったんだ。事情は詳しくは知らないが、おそらく当時の体制への不満からだろう。粛清に対しては全てレイヴン任せだった政府にとっては、手懐けていた飼い犬に手を咬まれるような気分だっただろうな」

鮮明とまではいかないが、レスターにもその時の様子を思い浮かべることはできた。言葉だけ説明することは実に容易い。
だが、少年時代をその渦中で過ごしたレスターにとって、それは簡略化されていい事象では到底ない。
腕を組み、そして一言も発することなく静かにアゼルを見つめる彼の内心は勿論穏やかではなかった。

「最初のうちは別のレイヴンに頼めば良かった政府だったが、徐々にその波が強まっていくのを感じ、それを自重し始めた。対するレイヴンと言えば、そんな政府の目を盗みつつ企業独自が出した高額の依頼に飛びつくようになる。彼らも商売だからな。割に合わないところに行きたがる奴なんかほとんどいない。そしてその結果、いつ火種が挙がってもおかしくない膠着状態が訪れ、対立は無視できないレベルにまで拡大した」

アゼルの声が一瞬言葉に詰まる。リアやジンの眉がピクリと反応したが、「でも事情が変わった」と一呼吸を置いて重ねられたアゼルの声がその反応を遮っていた。

「一触即発の緊迫したその舞台に“奴ら”はズケズケと踏み込んできたんだ」

熱気にも似た気配がアゼルの周りから迸り始め、外からでも徐々に冷静さが欠けつつあるのは容易にわかった。
彼にとっては忘れられない、いや忘れることすら許されない呪縛。単に話すだけでもそれは相当量の覚悟と精神力を彼から削り落としていく。
それでも言葉は何の妨害もなく、彼の口から吐き出される。もはやそれは思考などという枠組みすら超えているのではないかと思える勢いであった。

「奴らの要求は、政府に自分たちの半独立化を認めさせること。その代わりに反乱を鎮圧させる力を提供すると奴らは持ちかけた」
「それがさっき言ってた強化技術?」

リアの問いかけにも彼は動じずに、

「ああ。今では厳戒態勢でその技術漏洩が防がれているが、その当時ではまだ甘かったらしい。と言っても今と比べてのことだがな」

とあらかじめわかっていたかのような口調で応える。

「始めは了承を渋っていた政府だったが、奴らの技術力の一端を目の当たりにした瞬間、目の色を変えた。そして最終的には、彼らは奴らの要求を呑むことになる」

彼の言葉をしっかりと胸に留めようとしているリアに対し、隣のジンはと言うと、複雑化していく話についていけないのか、
口元を軽く捻らせて、視線をあちらこちらへ泳がしていた。その様子から見れば話を聞いているのかどうかすら怪しく思えた。

「奴ら――“アーネンエルベ”はそうして政府と極秘に提携を結び、反乱制圧の為に彼ら直属の独立実行部隊――通称“ゾディアック”を各地に派遣。その結果は、言うまでもないな」
「でも聞いたことありませんよ、そんなこと」

話が核心に近づくにつれ、リアからの質疑が激しくなっていく。熱弁を振るい続けるアゼルにはいい加減キツイか、と判断したレスターは椅子からすっと立ち上がると、

「当然の処置だな。たった“三機”のACを筆頭にした少数戦力に全世界の反抗勢力が相次いで敗れたと伝われば、それは歴史に残る大恥だ。どこの企業も事実を揉み消すのには最善を尽くしたんだろう」

今までの無言から一転、アゼルが発しようとした言葉の大半を代弁していた。

「さ、三機……?」

長い台詞の合間に挟み込まれたその単語に、リアはもちろん、耳を傾けていないように思えたジンですらも目を丸くしていた。

「それだけ奴らが保有していた強化技術はずば抜けていたってことだ。同じく、適正を持つ人材の回収もな。他の企業も情報程度なら多少は掴んではいただろうが、奴らほどそれを有効活用できた企業はいなかった」

そんなレスターに送られる「何故お前も知っている?」という視線。だがそれはとんだ勘違いだ。
口の回転数で圧倒的にアゼルに勝る彼でなければ、二人へ正確な情報を伝えきることは到底できない。


だからこそ彼はサポートに回った。彼の口から話せばもっと手短に濃密に話をすることができる。
しかしそれでは意味を成さない。あくまでアゼルが語らなければ、この物語はただの歴史の講義で終わってしまうのだから。

「話を戻すぞ」

放っておけばいくらでも群がってきそうな二人の剣幕を押しのけるようにしてアゼルが言う。
それが功を奏したのか、二人の勢いは水を差されたかのように縮小し、場の空気が再び正常に戻る。

「そんな極秘裏に結ばれた協定により、政府は提供された技術を利用して自分たちの裁量で自由自在に動かせる実行部隊を組織。そして奴らの方は政府の目に留まることなく、半ば狂気とも言うべき速度で吸収、合併を繰り返して大企業へとのし上がっていた」

アゼルの顔がいよいよ険しくなってくる。ふと気になり覗き込んだ先にあったのは、今にも溢れ出さんばかりの憎悪、怨念、そして後悔。
もう彼の視線の先にリアやジンの姿は映ってはいないことだろう。今、彼の目に映っているのはあの場所以外にはありえなかった。

「だが七年前、事態は一変した。水面下で両者の対立が突如として始まり、今までの友好さが嘘のように消え去ってしまったんだ」

そして告げられる事実。リアとジンもその時アゼルの変化に気づいたのだろう。彼に感化されるかのように二人の目つきが厳しいものへと変わっていく。

「数ヶ月の拮抗状態の後、先に動いたのは政府側の方だった。そして数人の実行部隊、レイヴンを含んだ少数精鋭でアーネンエルベ本社に強襲を仕掛ける計画を始動させる。それが全ての始まりだ。そして、その作戦に俺やレスターも参加していた」





「そもそもあの馬鹿どもが提供したのは単なるデジタルの資料に過ぎなかったんだ。ところがだ。試した奴なんかいる筈ないってのに、政府の連中はそれで天下を取ったような気でいやがった。ただの断片しか手渡されていないことなんざ誰も気にも留めてなかったそうだ」

めまぐるしく変動していた過去十年の裏側。妄想にしてはできすぎているし、仮に真実なのだとしても、とても信じられるものではない。
決して日の目を見ることのなかった争い。世間から完全に抹消されることを義務付けられたそれが、今まさにラスティの手のよって紐解かれている。


にもかかわらず、何故彼がこんなことを知っているのか? その疑問はユエルがラスティの言葉に耳を傾けているうちに自然とどこかに消え去っていた。
確信にも断定にも近い結論がラスティの数々の言葉によって既にユエルの内で構築されている。間違いない。ラスティは当時その場所にいた。

「欠陥だらけだった企業側の強化もどきに、完成されつくしたアーネンエルベ側の強化人間。……最初から勝負になる筈がなかった」
「その割には何だか言いにくそうな言い方なんだな」

おそらくわざと言葉を濁しているのだろうラスティに、ユエルは間髪入れずに言う。
ご明察、と言わんばかりのふざけたラスティの微笑が後に続いていた。

「ああ、そうだ。あの時の戦況はまるで泥試合だった。政府側で陣頭指揮を執っていた“あいつ”さえいなければ、もっと早く終わっていたんだがな」
「あいつ?」
「ジード・フェーベル。人の道を三段飛ばしで踏み超えやがった狂人だよ」

記憶にない名前だった。それに狂人というあまりに誹謗されすぎている表現がユエルの頭にちらつく。
しかし、指揮官にまで抜擢されるほどに秀でた人物と、彼の中で連想できる狂人というイメージがどうしても合わない。
彼の思い違いか、それともラスティの個人的なイメージからなのか。微妙に食い違う内容に心を乱されながらも、ユエルはさらにそこで集中を高めた。

「とにかくあいつの入れ知恵でアーネンエルベ側は予想外の苦戦を強いられ、抗争は長期間に及んだ。でもな。これが上手い具合に笑える話に変わってくるんだよ」
「そうなのか? 俺にとてもはそんな雰囲気には思えないんだが」
「まあ聞けよ。で、そんな中で予想外の長期戦で世間の目が集まってきてしまったんだ。『お前ら何やってる!』ってな。方々からそんな批判が集中し、そろそろ自分たちの首が危うくなったと判断した政府は、その時何をしたと思う?」

完全無欠の愛想笑いだった。感情も何もない乾いた笑い声が事務室一面に拡散しても、それはユエルの心に届かない。
笑ってでもいなければ自分を保っていられないかのようなラスティの姿に、ユエルは真にラスティへの恐怖心を抱く。
そこにいたのは、饒舌でふてぶてしいラスティ・ファランクスではない。まるで全く別の誰か。そんな印象を持たせるに十分な迫力がユエルの前にあった。

「大掃除さ。それも抗争に関わった全ての存在をこの世から抹消するためのな。要するに、政府のお偉いさん方はてめぇの首欲しさでそこで戦っていた連中全員を殺そうとしたんだ」

顔は笑ってはいるが、心には腸を煮え繰り返したいほどの衝動が詰まっていると見て間違いなかった。

「全員、だって?」
「そのままの意味だよ。さしずめ作戦に参加していたレイヴンやら身内やらの口封じってところだな。実際、何百という数のACやMTの大群が俺の周りを取り囲んでいた。これだから金持ちは困るんだ」
「そ、それで、どうなったんだ?」
「生き残った人間は極少数。多く見積もって十機ってのが良いところだろう。残った奴は全員行方不明というレッテルを貼られて円満に処理されたよ」
「……ひでえ」

雇い主に雇われ、雇い主に裏切られて散る。まさに理不尽としか言えない最悪の末路。
そこで何があったのかなどと問い質す余裕はユエルには到底なかった。

「だが、上手く誤魔化せた筈のその事件も、誰かのいたずらによって結局は世間に大公開された。そして政府はアーネンエルベとの癒着を見事に露見させられ、豪雨のような批判が飛び交った中で、政府は関係者全員が総辞職という形で仕方なく責任を果たした。同時にアーネンエルベは即刻解体の憂き目に合い、そして事件後に政府の根本姿勢にメスが入って政治とレイヴン事業との完全な切り離しを提案。その結果、発足したのが今の『ティル・ナ・ノーグ』。さらに都市を一定区画ごとに分割し、監視の目を集中させる政策が新たに考えられた。今の体制の根本もそこで生まれたわけだ」

誰もが知っている画期的な案、つまりは広大な面積を持つ都市区画を分割し、それぞれで半自治的な活動を展開する。
これまでの共産的な政策とは異なり、かつての資本主義的な思想も取り入れた全く新しい体制。
一度崩れた信頼性というものを取り戻すべく様々な人間が切磋琢磨した結果、この案はおおよその部分で全面的に肯定され、現在に至ってはAからEまでの五区画が設置されている。


そんな常識すらも、発端はラスティのいう七年前の事件ということなのだろうか? 
このままだと世界情勢の動きのほぼ大半が、その七年前に起きたという事象から変革していった、ということになってしまう。
果たしてそれが信じられるのか、と問われればユエルはまず答えられない。


当然だ。それを語っているのはラスティただ一人。たった一人の人間の言うことを素直に信じるというものがそもそもおかしいのだ。
実際あったという公的な文章もなければ、それを証明できる写真などもない。あるのは決して色褪せようとしないラスティの声色だけ。


それでもラスティは疑念の一つすら感じさせない堂々たる姿でそこにいる。おそらくは何を聞かれても動揺すら見せることはないのだろう。
これが口から勝手な出まかせを吐き続ける男の姿なのか? いやきっと違う。今までに見てきたラスティは、ここまで多くを語ったことはない。
それが今まさに断片的ながらも紐解かれている。その意味を考えれば、これはもはや真実であると言わざるを得ないのかもしれなかった。

「だがその企業は解体されなかった、と?」

疑心暗鬼しかなかったユエルの心にそんな光明がうっすらと差し込み、彼はそれを手繰り寄せるかのようにして手に取った。
それは彼の言葉にわずかな棘があったことをユエルに気づかせ、そして的を射るような言葉を彼に与えていた。

「急に鋭くなったな。つまりはそういうことだ。一応、形式的には倒産という形になった奴らだったが、所詮そんなものは世間からの目を逸らすための方便でしかない。現に何人かの狸はそこらの企業に天下りして今でもそこそこの権力は握っているからな」
「やっぱりな。そうでもなければ、お前がこんな話をする理由はどこにもないからな。そう考えるのが妥当だと思った」

驚愕に心を乱されることを良しとしなければ、きっと以前とは違った見方ができる。そう思った瞬間に冴え始めた頭から意外な発言が飛び出していた。

「たぶんだけど、その企業は今もまだあって何かしようと企んでるんじゃないか? そしてそのための戦力も既に持っている。違うか?」

ラスティの語りを黙々と聞き続けてきた結果、頭の片隅で微かに蠢くものができていた。
仮定の範疇から脱しきれずに燻ぶることしかできなかったそれを、ユエルはあえてそこで表に出してみた。
複雑な表情を浮かべ、曖昧な口調でラスティは、「五十点ってところだな」と返す。

「それともう一つ……」

すっと息を吸い込み、彼はさらに言葉を紡ぐ。
それがラスティには印象に残ったのか、彼の眉間にわずかながらに力が篭もるのがユエルには見えた。

「ヴィルゴのことか?」

その指摘の速さにユエルは頷くことすら忘れる。代わりに重い沈黙が肯定の意味を持って機能していた。

「言っただろ。あいつのことは話さない。言う必要もない。それに、もう気づいてるだろ?」

微笑とともにラスティは短くなった煙草を灰皿の中へと押し込む。
それが引き金となった。ありえないと思っていた一つの結論が頭の中で実を結んだ瞬間。


ヴィルゴというレイヴンはその当時、奴ら――つまりはアーネンエルベに所属していた傭兵であった。
いや、正確に言えば傭兵ではない。恐らくは私兵であろう。企業側が持ち得る技術を利用し完成された強化人間の一人。
それがヴィルゴというレイヴンの真の姿。そう考えればあの常識外れた強さも説明がつく。だが、

「お前、あいつの噂を聞いたことがあるか?」

ユエルが思いついた疑問を口にする前に、唐突にラスティが思わぬことを持ち出してきた。

「いきなりなんだよ? ……そうだな。人並み程度には」

曖昧すぎる質問にユエルは戸惑いながらも答える。

「それでいい。言ってみろ」
「えっと、誰も姿を見たことないとか、実は何人もいるとか、お前が乗ってるとか。そんな程度だぞ?」
「なら、どういう戦いをするのかは知ってるか? あるいは任務中の伝説とかは? 複数のレイヴンをたった一人で倒したとかでもいい。何かあるだろう?」

吐き出そうとした疑問を頭の隅に寄せ、とりあえず思いつくままに答えようとしたユエルだったが、

「……ない。俺はそんな話聞いたことない」

とあまりに情けない声を発することしかできなかった。

「だろうな」
「え?」

しかし、そんなユエルをラスティは小馬鹿にはせず、逆に当然だと言わんばかりの口調で言った。

「噂なんて最初からない。そういう類の噂があいつには全く存在しないんだ。不思議だと思わないか? 正体云々の噂でその辺が覆われてる分、世間じゃ気づかれてはいないみたいだがな。上位レイヴンの間じゃとっくの昔に広まってる。これがどういうことか、いかに馬鹿なお前でもわかるよな?」
「おい、まさか……」
「戦場であいつと出会った連中で生きて帰ってきた奴はいない、誰一人としてだ。これで納得だろ? 噂を広める筈の人間が全員死んでるんだ。そりゃ噂なんか出るわけがないよな。……それなのにどうしてお前はここにいる?」

頭がどうにかなりそうだった。何もかもが想像の遥か上を行き一人歩きしている。一体どこで道を間違えてしまったのか、
ただ流れに身を任せていただけなのに、またしても自分は争いの渦中に身を置こうとしているのか……。
恐怖にも近い何かが足先から忍び寄ってくる感覚。しかしそれにもかかわらず、

「もう一度聞くぞ? お前、本当にあいつに会ったのか?」

眩暈がしそうな現実を直視しようとしたユエルに対して、ラスティからさらなる追い討ちが掛かる。
ミーシャ、そしてラスティが彼の言うことを信じようとしなかった理由ががこれか……。


理由はどうあれ、話を聞くだけでもヴィルゴの貫徹した意思と思惑のそれぞれがひしひしと感じられる。
気づいているのはここにいるラスティやミーシャを含めてもほんの一握りだけ。そのような行動に一体どれだけの意味がある?


そしてある意味狂気とも思えるその存在が、ユエルやセネカという一レイヴンを見逃したという事実。
これでは理解しろという方が無理がありすぎる。次々と現出してくる謎の連続にユエルは頭を激しきかき混ぜられる。

「ああ。会った」
「……なるほどな」

先程とはまったく違った覚悟を込めて、ユエルはしっかりと頷いて言った。けれども、ラスティはただそれを一瞥した後に呟くだけで終わる。

「信じてくれるのか?」
「お前はここまで言ってもまだ嘘をつくような馬鹿じゃない。そんな度胸もないこともよくわかってる」

暴力の一つや二つは覚悟していたユエルだったが、予想に反したそれに表情を弛緩させて安堵する。
対するラスティは口上では認めてはいるものの、まだ心の底では納得できていない。そんな渋い表情を漂わせていた。

「でも、何で俺は見逃されたんだ?」

意味深な表情を浮かべてラスティがユエルを凝視する。当然問われる類の疑問。
今まではありとあらゆる疑問に用意周到に答えを用意していたラスティだったが、今回だけは違っていた。
顔色を濁し、言葉を言いあぐねているような印象をユエルは感じる。

「……お前はな。あいつが背負ってる荷物の一部を背負わされたんだよ。それも強制的にな」

数秒ほどの沈黙が流れた後に、ラスティはようやく口を開く。しかしその口調は明らかに先程とくらべて覇気がなかった。

「荷物?」

続けて問いを重ねたユエルはそこで全てを理解した。ラスティは気づいたのだ。ヴィルゴがユエルを見逃した理由を。それも今この瞬間に。
そしてそれは決して口外してはならないレベルだったに違いない。だからこそラスティはわざと言葉を逸らせてそれを自分の中だけにしまい込んだ。

「俺が言えるのはここまでだ」

次にラスティがこう言うのは目に見えていた。腰を預けていた椅子から立ち上がると同時に、彼はそそくさと部屋を出ようとする。
だがユエルは「お、おい!」と彼の前に立ち「まだ話は終わってないだろ?」とそれを阻もうとする。


だがユエルがラスティの瞳を見た瞬間、その勢いはどこか遠い場所にまで吹き飛んでいた。
かつて垣間見たものよりも遥かに深く冷たい目。その双眸が容赦なくユエルを突き刺し、彼はその場に貼り付けられる感覚を味わう。

「いいか、これだけは約束しろ。この先何があろうとこの事件には関わるな。相手は下手すれば世界そのものにもなりかねない。今日でこのことは忘れることだ。それができなければ……」

その背筋が凍りつく感覚には何となく覚えがあった。自分は以前に同じような感覚を味わったことがある。
だがその先は思いつけなかった。目の前に光る絶対零度の瞳が彼を睨みつけていたのだ。とても思考などという行動には至れなかった。

「俺はお前を殺す」

明らかに別人に見えるラスティはその強烈な視線を携えながら、静かに口を開いて言った。嘘にはとても思えない。
もしユエルが約束を破った場合、ラスティは間違いなく彼を殺す。まるで機械のように感情一つ露見させないままで。
ラスティの全身からは獰猛な野獣の殺気というより、洗練された狩人のような殺気が滲み出している。

「忘れるなよ」

ユエルの傍をすっと横切る際に彼はそう呟いていた。
俺にそんなことをさせるな。棘のある言葉の中からそんな柔和な意思がふと見え、ユエルは慌てて振り返り、ラスティの背中を見た。

「……どこに、行くんだ?」
「寝る」

バタンと扉が閉じられ、ラスティがはそこから消える。そういえば彼は三日近く寝ていなかったのだ。
それに気づくと同時に、張り詰めた空気が元に戻り、ユエルは思いっきり肺の中に溜め込んでいた空気を吐き出した。


冷酷なのか温和なのか、掴みきれないラスティの性格を改めて実感したユエルは、静かに溜め息を吐きつつ辺りを見回す。
あいかわらず様々なものが乱雑に撒き散らされた部屋を一瞥し、彼もまた部屋を後にした。その部屋の異常な換気の悪さに気づいたのは、部屋から出てすぐのこと。

「まさか」

あいつもこの空気の悪さの所為で寝るに寝られずに出て行ったのか? ふとそんな考えに至ったユエルだったが、それを確認する術はもうどこにもなかった。 





「――俺の話はここまでだ」

一日分以上はあるであろう言葉を、このわずかな一時で吐き出すのは、やはり並大抵の負担ではなかったのだろう。
喋り終えたと同時に、猛烈な疲れが込み上げたらしく、アゼルは脱力しきった様子で自分用に用意されていた椅子に勢いよく座り込み、
溜まっていた息を吐きだしながら力ない視線を天井に移していた。
己の意図を極力理解させようと努め、逐一言葉を取捨選択した結果だ、当然の末路だろう。と一部始終を見ていたレスターは思う。


傍観していた彼ならば、今のアゼルの心情など実に簡単に読み取れる。
言葉だけでは到底語りつくせない過去の世界を懐かしんでいるのか。いやそうではない。もしそうであるのなら、自分の目に映るくぐもった瞳の説明がつかない。


果てしない後悔と、自らに対する殺意を混合させた暗くそして物悲しい瞳。心ここにあらずといった状態で椅子にだらんともたれかかる様は、
魂が抜け落ちた後の抜け殻にも等しい。リーダーがこんな腑抜けになっては元も子もないだろうが……。
とわずかな苛立ちを含めて思ったレスターは、とりあえずアゼルに変わって場を仕切ることを決断する。

「俺たちが相手にしようとしているのはその残党だよ。これでお前らもなんとなくわかってくれたな?」

ぽかんとした様子の二人にレスターは目を配りながら尋ねた。

「はい、なんとか」
「とりあえずでかい相手ってのはわかったけどさ……」

理解するのがやっとといったところだろうか。二人の曖昧な返答を聞いて彼はそう判断する。

「大体そんな感じでいいさ。二人ともこれから覚悟しておけよ、俺達の仕事はこっからが本番なんだからな」

現在の心情を読ませないためにレスターは柔らかな表情を作りながらそう言い終えた。そして彼はアゼルに向かい合い扉を指差して彼を誘う。
意図を汲むのは容易だったのか、アゼルはレスターの行動に疑問の声一つ漏らすことなく頷き、席を立った。

「作戦の日時は決まり次第、俺から言う。それまで二人とも好きにしていても構わない」

なんとか作った精一杯の微笑を見せながら、アゼルは部屋に残る二人に告げ部屋を後にした。

「そうそう、若いんだから外でも行って遊んでこい。もちろん、二人きりでな。こういうチャンスは滅多にないぞ、おい?」
「な、何で二人なんだよ!」

ジンの絶叫を背中に受け、レスターも彼の後を追う。ぽっと紅潮していたジンの顔に思わず吹き出しそうになったが、
同時に、無言で殺気を漲らせたリアのきゅっと眉をひそめる表情がその行動を阻害していた。
バタンと扉を閉じ、レスターは複雑な思いを抱えながら、先を歩くアゼルの後を追いかける。


リアの結構な頻度で降り注ぐ相手を威圧する眼差しは、自分の他愛もない冗談に対してか、それともその中に含まれた真実に対してか。
そのどちらにしても、後ろで呑気に座っている思考単純明快男の果てしない旅路の末路はこれで決定だろう。ジンに春は当分の間訪れない、と――。










「さて、どういうつもりなのか、いい加減聞かせてくれないか?」

だだっ広いガレージ内、ましてや一切の作業を行っていない空間ではなおさら声がよく通る。そしてここなら誰にも邪魔をされず彼の意志を問うことができる。
ハンガーに掛かるエリュシオンを眺めていたアゼルはくるりと向きを変え、言葉を投げ掛けたレスターへと視線を移した。

「何のことだ?」
「お前言ったよな? 全部話すって。それなのに何だよ、あれは。肝心な部分を綺麗さっぱり隠しやがって」

彼が話したのは真実の断片程度でしかない。その核となる部分をまるごと省略し、単なる物語に仕立て上げてしまった。
あの地獄はそんなものではない。それは他の誰よりもアゼル本人が一番よく知っていると言うのに。

「……あれで十分だよ。あいつらには知らなくていい真実だってある」

だからこそ話すべきではないと彼はそんな意思をレスターに放っていた。
話したところでそこに意味なんてない。必要なのはこれからのどうするかを考えることだけ。
唯一全てを語れる資格を持っているアゼル自身が語ることを拒否するならば、もうレスターに言えることは何もなかった。

「他にも聞きたいことはある。前の任務のことだ」

暗い表情で物思いに耽っているアゼルをよそに、レスターはさらに続けた。

「あの時、何故撤退したのか、お前がその判断を即断できた根拠をだよ。奴らは来ない。お前がそう確信できた根拠は何だ?」

自らの言葉をいまさら思い出したかのように、アゼルは言葉ですらない何かをぼそりと呟いていた。
状況を進展させるために取り繕った言葉など、記憶に残る筈もないことはレスターもわかっていたが、しかしこれはアゼル自身が振りまいた種。


少しくらい自分の発言には責任を持て。とレスターは思わず口走りそうになるも、口腔寸前でその言葉はどうにか消えた。
そうこうしてる内にアゼルの方はというと、どうにか記憶の断片をつなぎ合わせていたようで、
慌てたような先程の表情を覆い隠し、覚悟を固めた彼の顔がレスターの視線に入り込んだ。

「……あっさり、しすぎてたんだ。敵の種類、指令系統の杜撰さ、そういったものが全部“奴ら”らしくない。それが逆に怪しく見えた」

共感――レスターに生まれたものはそれだった。目標は全壊。にも関わらず、こちらの被害は単にACの損傷程度のものだ。
自らが垣間見た現実、さらにアゼルが語っていた話を総合した“奴ら”の想像図に食い違いがあるのは明らかだった。
あまりに微々たるもので常人では到底わかりえないほどの差異。だがアゼルはその違和感を、あの戦場で見極めていた。

「お前はそれを“わざと”だと思ってる――そういうことか?」

確信混じりの問いに、やはりアゼルも首を縦に動かして応じた。

「あくまで仮定の話だがな。そもそも奴らは罠を張る気なんか最初からなかったのかもしれない。むしろ、わざと周囲にその存在を晒して自分達の敵を見極めているのだとしたら――」
「……おっかねぇことこの上ない、か」

若干の笑い声を漏らしてレスターは言う。もちろん本当に面白いわけではない。
何から何まで尋常ではない奴らの行動自体に慄き、恐れたからこその愛想笑いである。

「納得してもらおう、なんて期待してない。自分でもイカれてる理由だって思うから」
「安心しろ、十分納得だ。ついでに“次の任務”についても納得したよ」
「“私達を置いてく”ってことが?」

瞬間、言葉に表しがたい悪寒が二人の背中に走っていた。肩が思わずビクついたのも二人同時だった。
怒りやら皮肉やらを一緒くたに詰め込んだような声が、彼らの間に割って入り、二人はその声の主を認識しつつ恐る恐る視線を移した。
ヤバイ。二人の人間の感情がこれほど完璧に一致したのは先にも後にもこの時が初めてだろう。

「リア――」
「お前……知ってたのか?」

それぞれが違う言葉を漏らしながら、二人はいつのまにか彼らのすぐ傍に立っていた女性――リア・ガウディを注視した。
それほど長くはないセミロングの薄茶色の髪に対照的な濃いブラウンの瞳。その瞳から放たれるのはやはり憤怒だろう。
理屈はいやでもわかる。というより、わからない人間などほとんどいないだろう。


だからこそ隠密に、ということだったが、さすがは彼女もレイヴン。
洞察力に関しては常人とは比較にならないレベルであることを二人とも見逃していたのだからもはやぐぅの音さえ出ない。

「知ってるも何も、あんな言い回しを聞いていればバレバレに決まってます。……私たちを遠くに離した後に、二人だけで――ってことよね?」

巧みに丁寧語と普段の言葉を使いわけ、リアは二人の男を相手にも臆すことなく詰め寄ってくる。
レスターに対してだけはいつも微妙な怒りが混ざる口調も、アゼルにだけはその態度を半回転させて殊更穏やかに話すことも、
彼女本来の話し方なのだが、未だにレスターは納得がいかなかった。時折彼に向けられる敵意の視線は、
彼の冗談を冗談と見ない生真面目な彼女の性格が原因らしいが、場を和ませようと努めるレスターの努力が報われないのは彼にとっては辛いものがあった。

「すまないとは思った、だが――」
「私たち、そんなに信用ないですか?」
「逆だよ。信用してるから、なおさら行かせられないんだ」

元々言葉を発することを得意としないのがアゼルだ。それ故に誤解を生む確率も高くなる。
今回もその確率が的中しそうだ、と咄嗟に言葉を継ぎ足したレスターだったが、彼がそのまま新たな言葉を発しようとした直後、

「今度はかなりの確率で本当の敵が出てくる。大勢のランカークラスのレイヴンを狩り続けてる相手だ。そんな敵を相手にすれば、俺もレスターも、お前やジンを守ってやれる余裕はなくなってしまう。だから残ってもらう。自分勝手というのはわかってる。だがそれでも、今回は二人を行かせることはできない」

と、アゼルがレスターの肩を掴んで彼の言葉を阻んだ後、リアの目の前に堂々と立ち尽くしたアゼルは、
彼にはやはり似つかない長々とした言葉を彼自身の口から紡いでいった。その凛とした表情を目の当たりにし、
幾分かの沈黙を続けたリアは、こくりと頷きながら何かを決めたようで、その瞳を見つめ返した後、口を開けた。

「……わかりました、納得です。ジンには適当に言って誤魔化しておきますから、安心して行って下さい」

あっさりとした彼女の決断にアゼルがいかにも疑い深いといった様子で聞く。

「って言うとでも思ってたんですか?」 

掌を返したような発言にレスターは思わず面食らっていた。しかしアゼルはやはりと眉をしかめただけで特に大きな反応は見られない。

「誰が何と言おうと絶対ついて行きます。もちろん、ジンも一緒に」
「おいおい。無茶言うなよ」

呆れた様子でレスターが詰め寄るが、リアの剣幕はそれを遥かに凌いでいた。

「これが無茶? 笑わせないで。あなたたちは私やジンをただの子どもとしか見てないんでしょ?」
「誰もそんなこと言ってないだろうが……」
「いいや、言ってる。死なせるのが怖いからつれて行けない? なら私やジンは最初からここにいないよ」
「それはそうだが……」

哀れみを浴びるのは恥辱以外の何物でもない。対等にすら見られていない己の立場に、不満を軽く超えた感情を以て抗議してくるリアに、
もはやそれを沈められる術を見つけられないレスターは、絶句しつつ後ずさる。

「わかった」

押し黙っていたアゼルがようやく重い口を開いた。懇願と憤怒、両者の視線が一斉にそちらに向く。

「覚悟はできてるんだな?」
「……はい」

その言葉の通り、覚悟を問う静かな視線が彼女を貫いていた。リアは一切の迷いを捨て去った表情でそれにはっきりと頷く。

「……なら一緒に行こう」
「ほ、本当ですか?」
「ああ。予定通りに出る。それまでは自由にしていて構わない」

他者を威圧する凄みを帯びた視線がすっと引いて、代わりに美麗な花の如き笑顔が見える。
だが、満足げなその表情を見てもアゼルの顔色は以前暗いままだった。

「約束ですよ」

危険にはなるべく巻き込みたくないといったアゼルの切なる願いは、こうして完全に断ち切られたことになる。
自分の感情か、彼女らの意思か、尊重すべきことが重なって生じる二律背反。こればかりはレスターではどうすることもできない。


その解はアゼルが答えなければ意味がないのだ。そしてまた一つアゼルは新たな苦しみを身体に刻み付ける。
これで何個目だ? とレスターはその傷ついた背を眺めて問うが、解は彼から発せられることはやはりなかった。

「じゃあ私は行きます」

溜まっていた鬱憤を沈静化させたらしいリアは、そう言って会話を終わらせる。

「死なせませんよ。私が絶対に」

その言葉を最後にしてリアは場を離れるが、振り返り様の彼女の表情はレスターの心に強く刻まれていた。
彼女が常日頃から送るアゼルに対するただならぬ視線はレスターも知っている。
ここ何年かはまったく進展はないが、おそらくその繋がりは変わってはいないのだろう。そしてアゼルはそれを承知で彼女の視線を受けている。


それもまた人の意思に他ならない。ひどく単純だがそれでも明確すぎる答え。本来なら何の問題もない触れ合いだ。
だが、レイヴンという境遇が全てを台無しにしている。ありえぬ仲間意識、若気の至り、
既に一線を退いた感が否めないレスターだからこそ当たり前ののことが矛盾の塊となって降りつもっていく。

「つらいとこだな。一番死なせたくない奴に死なせないって言われるのは」
「そうだな」
「ったく、今回は俺たちもヤバイってのに、いつも自分から厳しい状況に追い込んで行くのな、お前は」
「すまないな、レスター。お前には迷惑ばかりかける」

迷惑なものか、お前以上に戦闘において頼りになる奴はこの世界のどこを探したって存在しない。むしろ迷惑をかけているのは俺たちの方だ。
自由に動き回ることを許さず、ありとあらゆる難題をお前に背負わせる俺たちこそ、本来いるべきではないのだ。
にも関わらずお前は何も言わない。皆を尊重し、大事にする代償として自らを殺し続けている。
それなのに文句一つ漏らさない。その優しすぎる性格だからこそ逆に恐ろしい。故にレスターはそれがいつか破裂してしてしまうことを恐れている。

「いいよ、謝るなって。そういうのはあん時から全部覚悟してるんだからよ、お前は黙って命令してりゃいいの」
「ああ」
「それと――」

一年、二年の付き合いではない彼がアゼルの苦しみすら完全に理解することができない。
だがそれを見て何もできない自分をレスターは酷く腹立たしく思う。

「お前だけが苦しむ必要なんかないんだ。ここにはお前以外に後三人も人間が居る。愚痴る程度には十分な人数だ。わかったな? アゼル」
「……ああ」

自らが言える唯一の言葉をかけたレスターにそれ以上できることはなかった。アゼルがはっきりと頷く様子を見て、
大丈夫そうだと判断したレスターは、そのまま彼の持ち物である蒼白のACの調整を施す為、彼の元を去る。


理解できぬのならせめて別の方法でやるしかない。行おうとする作業などたかが知れてるが、
今回はそれでも行うべき過程を端折ることなどしない。するわけにはいかなかった……。



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